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紙の本
過剰反応はしたくない
2006/02/22 11:37
36人中、36人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
自己保存、自己肯定の欲求は、恐らく人間には普遍的にある心理活動だと思う。それが現代社会ではどのような形をとるようになっているのかを検討してみた、という教育心理学者の本である。著者は朝日新聞に掲載されたと言う、吉岡忍の『「自分以外はバカ」の時代』をひき、個人の競争、自己主張を重く見る社会が自分の能力はどうあれ他人をバカにすることによって自己保存を図る若者を作ったのではないか、と主張する。 「仮想的有能感=実績や経験に基くことなく、他者の能力を低く見積もることに伴って生じる本物でない有能感」を現代の若者を理解するキーワードとして造語している。
感情日記を書かせて事項の数を集計したり、使用される単語の数、種類を分析したりと、心理学という学問はこんな風に調査をし、結論を出してゆくのかが書かれていて、勉強になった。幾つかの要素を組み合わせて類型を考える(ここでは自己肯定感と仮想的有能感)、というのは心理学の一般的なやり方なのだろう、さまざまな行動パターンがすっきり理解できる。
質問形式のテストでデータを集めることが多い、ということがわかるが、「文化背景によってだけでも違う解答がでるのでは?」とか「現在の年代差なのか、10代の時の環境差なのかわからないのでは?」など、人文系のデータを使った研究の難しさも伝わってくる。文の中に「であろうと思われる」などの推測の単語が多いのもそのあらわれなのだろう。また、インターネットの2チャンネル利用頻度を調べ、インターネットの利用頻度の高い者が仮想的有能感が高いという結論を導き出しているが、著者も書いている「誹謗・中傷の多いと言われる」チャンネルだけの調査でインターネット全般との関係としてしまうのはやはし少々無理ではないだろうかと、もう少しデータを検討して結論を出して欲しいと感じた部分もあった。
こういったデータ集めの難しさや、上にもあげたように少々無理を感じる部分もあるが、そのあたりのところは著者も充分承知の上で、それでもとにかく指摘をしておきたかった、ということらしい。しかし、新書という形にして広めたことの必要性はなんなのだろう、という疑問がやはり残る。論点は面白いが、もう少し多角的に検討してから世に出したほうがよいのではないか、と思われるのだけれども。
一般読者の気持ちをあおることだけに終わらないことを祈りたい。読み手側も過剰反応をしたくないものである。
どうも昨今はこのような「まだ早いのでは?」と思うような新書が増えているような気がするのだがどうだろうか。
紙の本
若者をなげく年長者たち
2006/09/04 01:21
18人中、18人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
はたして今の「若者」が本当に他人を見下しているのかどうかが気になって本書を手に取り読み出したわけだが、冒頭からいきなり「実はこの著者が若者を見下しているのでは?」ということが気になってしまう。
他人を見下す行為は他人を決めつける立場から開始される。なぜなら、相手が自分より低いと「決定」しなければ見下すことができないからである。そしてこの著者は科学的とは到底言えない「データ」をもとに若者や子どもの傾向を「決定」し、それから安心して、「最近の若者の傾向にはほとほと困った困った」という趣旨でぼやく。しかしその内容は何も「現在」の「若者」や「子ども」にのみあてはまることではなく、「過去」の時代の若者や子どもたちにも、そして著者の態度を例に引くまでもなく、現在の、かなり年長で、いろんな意味で模範を示さなければならないかもしれない人たちの中にも容易にあてはまる人が多い、そういう傾向であると思うのだ。
それなのになぜ著者は問題を矮小化し、現在の若者にのみタイトルのような問題があるかのように語ってしまうのだろう。若者は若者たちだけで若者になり得るものなのか?
古今東西、世代と世代との間には広くて深い価値観のミゾが走っているものなのではなかろうか。どの世代も若いときには老人から「最近の若いモンは‥‥」と嘆かれるものなのではなかろうか。その証拠として採用できるかどうかわからないが、古代の遺跡から発掘された「くさび形文字」で書かれた文章の中にも「最近の若者はなっとらん」的に書かれているのだそうである。(「最近の学生はちっとも勉強しない」という嘆きも不滅らしい。勉強する学生・しない学生、ともに昔からそれぞれ大量にいたということなのだろうか。)
‥‥この本は、そのような、上の世代が下の世代をわけもなく嘆く、そういう文章の一つであるように思えてならない。
紙の本
研究書とは呼べない
2006/06/25 00:32
15人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
実績や他者からの評価に基づかない自身の有能感を「仮想的有能感」と名づけ、これを持つ若者が多くなったから日本社会には色々問題が起きはじめた、と言うのが著者の主張だと思う。こういう考え方自体は別にあってもおかしくないが、いくつか疑問点がある。
まず、なぜ若者に限定したのか、と言うこと。他者を見下して有能感にひたるというのは、昔からよくあったことだと思う。有名な政策の例では、被差別部落の問題が挙げられると思う。あとがき部分にもあるように、著者の若者に対する先入観が若干先行しすぎているきらいがある。
次に、何を根拠にしているのかと言うこと。研究者であるならば、客観的根拠に基づき自説を主張すべきと思う。後半の章で、有能感に対する年代別評価の調査を行っているが、その結果は著者の見解を必ずしも裏付ける結果ではない。それにもかかわらず、対象が女性が主であり、仮想的有能感は男性に多いと考えられるから、と言う根拠のない理由で、それ以後も自説を展開している。そう考えるのならば、それを検証する調査を行ってから自説を展開するのが筋なのではないだろうか?
評論家であれば自分の思っていることを主張したいように主張してもかまわないと思うが、研究者であれば客観的事実に基づいて主張すべきだと思うのは間違いなのだろうか?
紙の本
タイトルで失敗している。若者に限定するのは疑問。
2011/05/27 21:51
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みす・れもん - この投稿者のレビュー一覧を見る
読了するまでに思いの外、時間を要した。それは本書の構成に問題があるように思える。理論の展開に流れがなく、論点があっちこっちへ飛び、気がつくと先ほど読んだことと同じようなことが書かれていたりする。内容を咀嚼して消化するまでにかなり時間を要する。そのせいか途中で飽きがきてしまい、読み流してしまった。
まずは、このタイトル「他人を見下す若者たち」。これは失敗だと思う。このタイトルに釣られて本書をめくった人(私も含め)は、少なからず失望することになるのではないだろうか。なんとか若者の他者に対する侮蔑感情について理論づけようとしているのだけれど、読んでいるうちに「若者だけじゃないのでは? 何故に若者だけに限定するの?」との疑問が生じる。著者に言わせると、若者の持つ他者への侮蔑感情は自分の経験に裏付けされていないもの、本書で定義されるところの「仮想的有能感」であるということになる。一方、中高年が持つ他者への侮蔑感情は自分の経験に裏付けされたものである「自尊感情」からくるものだということだ。
確かに、若者たちが蔑視する対象は、具体的に自分には関係のない人たちに限定されるのかもしれない。それは芸能人であったり、あるいは政治家であったり、犯罪者であったり。自分がその立場になることがないと思われるものが対象となることが多い。自分の実際の経験と比べることがないからこそ、簡単に批判し、「死ね」などという過激な言葉を投げつけることもできるのかもしれない。
一方、中高年者がもつ蔑視感情は誰に向けられたものか。自分より格下(と本人が思っている)の若者だろうか。
自分の経験と照らし合わせて、「今の若者は・・・」とお決まりの台詞を口にするわけだ。
しかし、あたりまえだが、これを「若者」と「中高年」とに単純に分けることはできない。「若者」のなかにも「中高年」のなかにも当てはまらない人は多く存在する。ま、数で言うと少数派になるのだろうか・・・。
最近よく感じるのは、若者だろうがそうでなかろうが、「想像力」の欠如している人が多くなっているのではないか、ということ。相手の立場にたって物事を考えることが出来ないと言い換えてもよいかもしれない。
困っている人をみて、その人の気持ちを想像する。自分の行動が他人にどのように受け止められているか、それを想像する。そういう力が衰えているのでは?と思うことが頻繁にある。だからこそ、簡単に人を嗤い、平気で迷惑行動を起こす。
他人を見下すことによって、自分を持ち上げる。自分自身は変わっていないのに、それで偉くなったような気分に浸る。実態のない自信。「努力」という裏付けのない自信。
何も「若者」に限定することはない。それを世相のせいだというのであれば、あらゆる世代にいても不思議ではないのだから。