紙の本
わかりやすい
2021/11/21 10:25
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:dsukesan - この投稿者のレビュー一覧を見る
仏教瞑想がどういうものか、普通の人の生活でどう活かすことができるのか、付き合い方を知ることのできる本。
瞑想にも多様性があり、目的と方法が多様であり、自分に合う合わないもあるとのこと。唯一の真実があるから、自分をその瞑想合わせなくてはならないと考えるのではなく、自分の目的、適した方法を考えて、合わない時は別の方法を探すという柔軟な対応もあって良いというスタンスを知る。方法によっては、逆に問題を悪化させることもあるとのこと。
瞑想することと、リアルの物語の中での人格陶冶は別物なので、その指導者の為人をみることも重要ということも、目から鱗だった。
第三の軸を立てるというイメージや、抜苦与楽という言葉と態度を知ることができたのも収穫だった。
瞑想には、慎重に、でも親しんで付き合っていきたいと思える本であった。
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副題の通り、仏教徒になるつもりはないけれど、仏教や瞑想によって開かれる境地に興味があるという人を対象にした仏教および瞑想の入門書である。
「悟り」というのは唯一のものではない
各々の瞑想法には目的の違いがある
瞑想をすれば人格が良くなるとは限らない
自由というのは思いのままに振舞うことではない
悟ったからといって辛さがなくなるのではない
瞑想することによって失われる感覚もある
「信仰」によって合理的思考力は毀損されない
俗世に積極的に働きかけることも仏教の大切な側面である
…などなど、興味深く刺激的な内容が並んでいた。自分の中に漠然と存在していた仏教に対する偏見が次々と解消され、新たな知見が開けていくのは爽快であった。
この本は、普通の人が仏教に触れることの価値を、誇大表示することなく真摯に提示することに重きを置いている。瞑想についても、利点と欠点をちゃんと示し、それらを理解した上で瞑想を実践してもいいし、しなくてもいい。するならば、目的をはっきりさせ、それに合った瞑想法を選びましょう、と述べている。価値観を押し付けることなしに正しい知識を提供してくれるという点で非常に優れた入門書だと思います。
私自身は、本書に載っている手動瞑想をしばらくやってみようと思いました。
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気鋭の仏教関係者二氏による対談集。
瞑想をメインに書かれているので、日常的に瞑想されている方には新たな発見があるかもしれない。特に「瞑想中はいいんだけど、終わってからとか、仕事中にほとんど活かせていない」といった習熟者には向いていると思う。また瞑想したことのない方にとっては、最新のアプローチで書かれているため、最初の導線としてはベストに近いと思う。
また「日本人にあまり根付いていない輪廻転生の問題をどう考えるか」「高僧の師同士であっても見解が異なることがある」「仏教要素をのぞいたマインドフルネスの実態」など、かなりきわどい対談が繰り広げられており、読む者を飽きさせない、そして考えさせられる良著。瞑想難民は必読と思われる。
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明確に仏教はそれぞれ「別である」と文字にしてくれることで、モヤモヤが晴れる。ニー仏さんが何か考えを言った後に必ず誤解を招かないように一言付け加えているのはとても親切。
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プラユキ・ナラテボー師は良いね。魚川祐司だけだと、なんだか、慈悲がないカンジがするんだけど、そこにナラテボー師がいると、やさしさがあって、ホッとする。
p43
現在アメリカを中心に流行っているマインドフルネスの源流を作った草分け的な存在の1人がジャック・コーンフィールド。
彼はマサチューセッツでInsight Meditation Societyという瞑想センターの共同創設者。
彼は、まずタイで、アーチャン・チャーのもとで修行する。チャー師は、ダンマの教師としては偉大だったが、瞑想上の経験には興味が無かった。
そこで、コーンフィールドは、ミャンマーのマハーシ瞑想センターに行く。
ここで出会った師は、瞑想の指導者としては勝れていて、コーンフィールドは、瞑想上の様々な境地を実際に経験することができた。
しかし、この師は、足をテーブルの上に乗せて新聞を読む。下手な庭師を怒鳴りつける。庭に入ってきた犬に石を投げる。
すなわち、瞑想の技術において勝れていることが、そのまま人格的に優れていることではない。
マサチューセッツのInsight Meditation Societyでは、ミャンマーの瞑想法も、タイの瞑想法も、教える。
実践の多様性がある、ということ。
p57
ブッダは『カーラーマ経』で
「師が言うからといって信じ込んではいけない」
「経に書かれてるからといって信じ込んではいけない」
と述べ、
「不利益や苦しみを招かないかどうか」自ら理性的に判断することを促している。
p55
ダンマに従って生きる人々の資質や目的は多種多様である。
それぞれの求道者の目的地である、さまざまな覚りの境地に至るための、さまざまな道のりと乗り物がある。
同じテーラワーダ仏教でも、魚川裕司のいたミャンマーと、プラテボー師のいたタイでは、違うんだ。
スリランカ、カンボジアでも、また、それぞれ違うテーラワーダがあるのだろう。
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仏教にはずっと興味があるが、スマナサーラ長老がメジャーになってから風通しが良くなった。最近は西洋風に加工したマインドフルネスも流行ってる。魚川祐司さんのアプローチがとても現代的。ミャンマーとタイの違いも興味深く。僕はタイ風の仏教アプローチが気に入りました。
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瞑想、マインドフルネスが流行っているけどそれって本当に仏教の教えに従っているのか。
非常に深いところまで切り込んだ対談で読み応えがありました。
タイトル通りの「悟らなくなっていいじゃないか」というのは「悟りたい人達」への強烈なアンチテーゼですね。
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「悟り」と「瞑想」を中心に、とても実際的なヒントを頂きました。「気づきの目」の図に、腑に落ちる納得感を得ました。「瞑想」といえば、若者向きのスタンスを感ずるのですが、私には無理?でも、”修行”といった堅苦しさは、随分と減り、多くの書物が出版されているのは、喜ばしい。
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ヨガやスピリチュアル界隈でも同様に散見される「あるある」について、よく分析されており、ヴィパッサナー瞑想合宿に参加したり、マインドフルネス・ブームを傍から眺めつつ抱いていた、なんとも表しがたい違和感の正体を掴むヒントが詰まっていた。プラユキ先生のチャート表は非常に良く出来ている。
瞑想の世界にも「瞑想難民」なんてことが言われているらしい。唯一無二の正しさを求めてようとしてしまう→言わば外的な何かに期待してしまう、もしくは逆に疑いから始まって拒絶で終わってしまうからなのかも。ある教え・やり方を信じ、それに従う、ということを「自己の責任において」決めるということが発端にない、という人は割と多いように思う。
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魚川祐司 と プラユキナラテボー の対談本。テーマは 「悟りを目指さない」実践する仏教の地図。智慧、慈悲、自由について 普通の人向けに整理している
智慧は 多様的な思想を前提に いい面を自分に取り入れ、悪い面を 他の思想で補う 自己修正型の概念だと思った
仏教的な自由 と 一般的な自由は意味が違う点がある。思い通り振る舞うことは 仏教的な自由では ない
再読の際は 仏教、心理学、哲学、精神医学の共通性を意識しながら読みたい
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ブラユキ師の本を読むのは初めて。遅くなってしまった。この本の感想を書こうとすると自分のことを語ってしまいそうで。
プラユキ師に(勝手にですが)出会えたこと、ホントに私はツイているなぁと思える。どれだけ救われていることか。
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仏教瞑想がどういうものか、普通の人の生活でどう活かすことができるのか、付き合い方を知ることのできる本。
瞑想にも多様性があり、目的と方法が多様であり、自分に合う合わないもあるとのこと。唯一の真実があるから、自分をその瞑想合わせなくてはならないと考えるのではなく、自分の目的、適した方法を考えて、合わない時は別の方法を探すという柔軟な対応もあって良いというスタンスを知る。方法によっては、逆に問題を悪化させることもあるとのこと。
瞑想することと、リアルの物語の中での人格陶冶は別物なので、その指導者の為人をみることも重要ということも、目から鱗だった。
第三の軸を立てるというイメージや、抜苦与楽という言葉と態度を知ることができたのも収穫だった。
瞑想には、慎重に、でも親しんで付き合っていきたいと思える本であった。
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タイトルに「入門」とあるが、結構難しい本だった。特に魚川氏の発言は、長いうえに用語も要旨も分かりにくいため、さらっと読むのではなく、しっかり立ち止まって咀嚼する必要があった。
対談本ではあるが、魚川氏がリードする立場だったためか、氏の長々とした話を受けて、プラユキ師が自身の見解を端的に述べるということが多かった印象。プラユキ師の瞑想に対する考え方などをもっと知りたかった自分としては、そこが期待はずれだった。
要は瞑想には様々な種類と目的地があって、それらを理解したうえで自分に合う方法を実践して智慧と慈悲に至り、自他の抜苦与楽を実現していこう、ということだと思う。