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愛弟子による評伝、中巻です。
熊本の第五高等学校で教鞭をとっていた漱石は、二年間の英国留学の辞令が出て、ロンドンへ。そして『文学論』の執筆、一度目の神経衰弱、帰国(出発直前に子規の訃報)、二度目の神経衰弱、『吾輩は猫である』の誕生、『倫敦塔』、『幻影の盾』、『薤露行』など短篇の執筆、『坊ちゃん』、『草枕』、『二百十日』の執筆、朝日新聞へ入社、そこで『虞美人草』を執筆、という流れです。
私生活では、妻鏡子が一度流産するも、2年後には長女筆子が誕生し、ロンドンへ発った1年後に次女恒子が誕生、帰国後には三女の栄子が生まれています。
いやはや、漱石が一番大変な思いをした時期だったのではないでしょうか。なかなか自分の思うように動けず、世間、周囲、仕事などへの不満がつのり、イライラピリピリすることが多くなっています。
でも褒められるとやはりうれしいらしく、山県五十雄への手紙では、〈小生の文章を二、三行でも読んでくれる人があればありがたく思います。面白いという人があれば嬉しいと思います。敬服するなどという人がもしあれば非常な愉快を覚えます。この愉快はマニラの富にあたったより、大学者だといわれるより、教授や博士になったより遥かに愉快です〉なんて、すごくうれしそう。
これまで、夏目漱石というと、あの有名な写真が思い浮かび、気難しそうにいつも思い悩んでいるようなイメージでしたが、本書を読んでみると、愉快と不愉快を行ったり来たりしている、とても人間的な漱石さんが立ち現れました。著者が漱石と散歩したときの思い出も、この本ならではのエピソードです。
中巻では、小宮氏が漱石の弟子として直接見聞きしたことが多く語られます。また同時に、これは上巻からずっとそうですが、日記や書簡など多くの資料をもとに書かれており、よくここまで資料を集めて調べてくれたと関心するばかりです。おかげで、ロンドン留学以降の経緯は、まさしく〈漱石が漱石になるための、必要な過程だった〉ことがよくわかりました。
では、いよいよ下巻へまいります。