投稿元:
レビューを見る
難しかった。けれども、生徒の前に立つ者としての公正な態度、学問そのものについて、が書かれてある。
わかりにくかった点もあり。
投稿元:
レビューを見る
ウェーバーが学生に向けて行った講演がもと。話の構成が複雑で非常に読み辛かったが、あとがきで訳者はそれがウェーバーの特徴だと評していた。内容は、学問の限界や教師の本分など。学問に携わる方はもちろん、学ぶ側の学生にとっても新たな発見があるはず。
投稿元:
レビューを見る
あまり面白くなかった。多分、ゆっくりと時間が流れる時代だったのだろう。薄っぺらいから読めたようなものだ。一番興味深かったのは、トルストイに触れた部分である。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20100727/p9
投稿元:
レビューを見る
巻末の解説によれば本書は1919年1月にミュンヘンで行われた学生に対する講演をまとめたものである。
「職業としての」と冠されていることからわかるように、これは学問をすることを生業とする学者論である。
学者となるためのコネと運、学問探究への専心、政治的中立性の確保など多くの論点が盛り込まれているが、個人的に印象に残った箇所を2つ引用したい。
「これ(評者註:学問に没頭する心構え)の無い人は学問には向いていない。いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては無価値だからである」(p.23)
「ある研究の成果が重要であるかどうかは、学問上の手段によっては論証しえないからである。それはただ、人々が各自その生活上の究極の立場からその研究の成果が持つ究極の意味を拒否するか、あるいは承認するかによって、解釈されうるだけである」(pp.43-44)
こういう古典は学生のうちに読んでおくべきである。
投稿元:
レビューを見る
何度となく読み返すべき名著。社会科学とは何であり、何のために存在するのか。その的確な指摘が、学問と向き合う姿勢を示してくれる。そしてその姿勢は、謙虚さと勇気とをくれる。
投稿元:
レビューを見る
「学問の進歩はつねにみずから時代遅れとなることを欲することから生じる」
学問に生きるには、一生学び続けることを厭わない覚悟が必要だな。
投稿元:
レビューを見る
「運命」「宿命」という言葉がたくさん使われていることにとても注目する。神々の闘争という時代に運命性を込めて、これに正々堂々と向かい合い、自らが選びとった価値にことごとく責任を持って行動する。これを伝えるのは学問であるのだ、という風に僕は読んだ。すごく、アツかった。総ての局面においてこれらの言葉を肝に銘じておこう。あと前半に、教える立場にある教授に関してヴェーバーの考える倫理の話があったが、そこ読みながらゼミ教授の「教授」としての技量に感服。生意気ですかね。
投稿元:
レビューを見る
これを買うくらいならば、「職業としての政治」の方がオススメです。
内容的にも、学者を目指したいけれど、どうしたら良いのか分からないような若者は読んでもよいかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
「たとえばある写本のある箇所の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である。・・・いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、情熱なしになしうるすべては、無価値だからである。」というウェーバーの学問に対する真摯な姿勢に惹かれました。学生時代、一時は学問で身を立てようか迷いましたが、結局公務員という道を選びました。しかしながら、学問はやる気さえあれば生涯やることができると思います。
投稿元:
レビューを見る
20110223読了。
マックス・ウェーバーの講演の書き起こし。
職業としての学問の道として、アメリカとドイツの違いの紹介。
学問の道を極める際には一つの分野に集中し、よそ見しないこと。
教師は指導者であってはいけない。一方的な話し手である教壇において、ある特定の考え方に偏るような公平でない話し方はできうる限り行わないこと。
といったことについて述べてる。
投稿元:
レビューを見る
読了したものの、いまいち内容が理解できていない。部分部分でかなり説得的なことが書いてあるなぁという印象が残ったのみ。
邦語訳にもかかわらず、指示語が多いのが難解に感じる一因か?自分は原典などを読んでいないのでこれについてはなんとなくの印象。
投稿元:
レビューを見る
時は第一次世界大戦後低迷のドイツ。青年たちは神が死んだ世界において自分の人生に惑い、自分のやるべきことを明確に示してくれるカリスマ的な指導者を欲していた。勿論、この講演を聞いている青年たちにとってウェーバーはカリスマ的な指導者だった。その青年たちの脆弱さ、困難な時代と向き合うことから逃げ出している風潮を厳しく非難し、情熱を持って日々のザッヘ(ここにおいては学問)に打ち込むことを叱咤激励する内容。
このように、カリスマ的な指導者に熱狂することなく自身の決断を大事にするように説く、優れた思想家の存在がありながらも、その死の直後からナチス・ドイツの台頭を合法的に許してしまった歴史がなんとも皮肉的。魔術から解放された時代という意味でも現代に通じるものがある古典。難解な内容だが、目先の話ではなく、ウェーバーが講演で青年たちに伝えたかったことをきちんと読解したい。
投稿元:
レビューを見る
マックス・ウェーバーの本初めて読みました。ページ数の少ないこういった書籍は情報量が少ないためか読み解くのが難解だったりする。アメリカ人の生徒の在り方は歴史が浅いゆえまさにと思った。実際は読み終えて内容が頭に全然残っていない。また今度読み直したいと思いますw
投稿元:
レビューを見る
【レビュー】100年前にドイツで語られた学問の意義について。今も全く色褪せない。
学問は、ある人が「どのように生きるか」について答えるものではないし、“学問の” 指導者は決してその命題に答えるべきではない。学問の役割とは、複雑化する社会の中で「自分が一体何をしているのか」について様々な面から究極的な理解を与え、各人がそれぞれの行為について自ら責任を負えるようにすることである、と。
投稿元:
レビューを見る
難しい。
何度も読まないと正しく内容をとることは出来ないと思う。
読み取れた範囲だけでも、自身にはない考えたが述べられていたので、購入した価値があった。