紙の本
過去のことはみんな忘れています(_)
2017/02/26 07:45
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投稿者:kyouko hayashi - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジュンク堂天満橋店から買いました(´;ω;`)
応援しています。最近、あたしの周囲にオウム差別ありませんね
紙の本
見苦しい
2015/10/19 07:08
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投稿者:テラちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
誰から見ても、父親は父親。麻原死刑囚にしても同然だが、三女の目からそれを書かせて何の意味があるのだろう。これまで書かれなかった何かが浮かびあがるのなら兎も角、「私には普通の父親だった」というニュアンスに終始しては、被害者が浮かばれない。
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2015/03/20
ニコ生に出てたから読みたくなった。
中古で買うつもり
2017/02/06 【古】108円
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犯罪加害者家族であり、カルト2世でもあり、カルト宗教の後継者として扱われ・利用され、未成年にも関わらず不当な扱いを受け、司法・行政・マスコミ・社会の偏見・差別と戦ってきた著者の苦悩・苦難の歴史は非常に読み応えがある。また、事件後のオウム信者の著者への対応もそれぞれで人間ドラマも感じる。さらには家族のドラマとしてもとても興味深い内容となっている。
この内容を鵜呑みにするか否かは読者に委ねられるが、著者は基本的に実名で関係者を非難・糾弾しているので不服があれば訴えればよいと思う。出版社も覚悟の上での刊行だろう。(フライデー批判もあるし)
難点は麻原へのファザコン度がかなり高いので、読者の共感を得にくいという事か。これも彼女の真実・心情として読むしかないのだが、未だに洗脳が解けていないとか、父親擁護本として読まれてしまう可能性はある。それが親子というものなのかもしれないが。(それにしては母娘の確執が酷いという対称性もあるのがさらに興味深い)
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本書について、レビューとして興したい言葉は幾つも思いつくものの、堂々と発表する気になれない。ただひとつ言いたいことは、人間の業はひとつの側面だけを見て判断できるほど簡単なことでは無いということ。先の大戦もそうだが、オウム事件といい日本人はこうした人が行なってしまった業に対する総括ということが極めて苦手な人々なのかもしれない。
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地下鉄サリン事件から20年。
1995年は、ディベート界にとっても重要な年でした。
あの頃の記憶がよみがえります。
本書を読むと、マスコミのひどさがわかります。
まあ、どんな時でも同じでしょうが。
本書に書かれていることが、どこまでが真実かは分かりません。
オウム真理教は、今後とも多角的な検証は必要でしょう。
興味深く読めました。
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ご本人しか書けない本ですね。いろいろな批判はあるのかもしれませんが,著者の視点から見たオウムというものが示されたことの意義は小さくないと思います。書中にあるよう,私の勤め先の卒業生でもありますので,どのような学生生活を送っていたのか気になってました。
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麻原麗華、麻原彰晃の三女アーチャリーの手記。
20年が経過したオウムによる地下鉄サリン事件に関する資料としてまずは重要な本である。当時12歳であったという立場であり、その記述が「当事者ではない内部」からの視点である点で他のオウム関連の書籍とは一線を画している。物理的に事件の中心にいながらも、当時幼かったがゆえにある種の責任から逃れており、そのことから虚偽を述べるインセンティブが彼女にはない、という特異な立場にあるからだ。また、麻原彰晃を親しい肉親として見るという立場も、当然ながら他にはない視点を与えてくれる。一方、娘であるがゆえに父・麻原彰晃を過剰に擁護していると場合によっては捉える向きもでてくるであろう。いずれにせよ、オウム事件について考える上で、必ず読むべき本であり、そしてオウム事件は日本人にとっては自らの社会に内在する課題として考えるべき歴史のひとつでもある。
彼女は、本書の中で父麻原彰晃がオウム事件において果たした役割について、次のように記している。
「わたしは事件に関し、父が何をしたのかを知りません。でも、当時を思い返し、今まで自分が経験してきたことを考えると、父がすべての主犯であり、すべての指示をしていたとはどうしても思えないのです。当時父を「独占」していた村井さんや井上さんたちが、父に真実を報告し、また父の指示をそのまま伝えていたとは信じられないところがあるからです」。麻原彰晃の娘であり、あのアーチャリーである著者が、これを自らの主張として受け止められたときの世間の反応を想像できないはずはない。その意味で、彼女としてかなり踏み込んだ言明であることは間違いない。ここでは反省の不在ではなく、その覚悟の存在をこそ見るべきなのだと思う。
オウム裁判については、彼女は森達也の『A3』を読んでいるはずだ。本書の中でも、平岡法相が麻原彰晃に会ったことを森達也に伝える箇所を引用している。それ以上に森達也の考え方が、彼女の麻原裁判に対する考えの形成に大きな影響を与えていることは確実であるように思える。しかし、サリン被害者の視点から書かれた『都子 聞こえますか』(大山友之著)、『妻よ!』(河野義行著)、『アンダーグラウンド』(村上春樹著)には直接言及しているが、『A3』や森達也の他の著作への直接的言及はない。森達也が『A3』で展開した論理は、弟子たちが麻原彰晃の意図を過剰に忖度するとともに、視覚障害があり、自ら事実を確認するに限界がある麻原彰晃に対して都合のよい情報を流す一方で都合の悪い情報が入らなかったことにより適切な判断を行う機会を奪われていたのではないだろうか、というものである。オウム事件は、麻原と弟子たちが互いにニューロンとレセプタとなって暴走した結果ではないか、と『A3』で提示された仮定は、父として麻原彰晃を認識している著者にとって、極めて精神的にフィットするものであったに違いない。そして、自然と自らの腑に落とし、まさにもともと自らの考えであるように認識するようになったのではないだろうか。
その意味でも、この本を読むのであれば、併せて『A3』を是非読んでほしい。そうすると自分の言ってい��ことが理解してもらえると思う。そして、きっと麻原麗華と森達也との対談を期待することになるだろう。
著者は本書出版後、日テレ『ZERO』に出演。キャスターに、謝罪がないと批判されていたというが、この本を少しでも読んでいれば、その主張の是非の判断は置くとしても、彼女に謝罪する意図はないということが分かるだろう。
いずれにせよ、軽々に彼女のことを反省がないなどと批判するべきではない。本書に記されているような、自らの記憶が徐々に失われていくような体験を10代において経験した人は稀だろう。彼女は、それも含めてこれまでの人生において様々な形で闘ってきたのだ。もちろん彼女の言うことが正しいというレベルのものではない。しかし少なくとも被害者への配慮や加害者家族の責任などといった議論とは独立して評価するべきものだと思う。
読むか読まないかはあなた次第。オウムを異質な絶対悪として断罪することのみを望む人にとっては決して心地よいものではないはずだから。
↓『A3』のレビュー
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087450155
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4087450163
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掴み所のない印象。確かに現実を生きてきた人の文章ではなく、現実として受け入れ難い体験をしてきた人の回復中の文章のように感じる。
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たしかに壮絶な人生で計り知れない苦労があっただろう。でも、腑に落ちないことだらけの内容。記憶を失ったといいながら、子供のころのことを詳細におぼえていたり、自分と関わった人たちを善と悪の二種類にキッパリわけていたり。うまくいかないことは全て周りのせいだったり。結局なにを語りたいのかわからなかったり。カウンセラーになる夢は立派だと思うけれど、それ以前に本人がしっかりと、カウンセリングを受けるべき、という印象。同情はするけれど共感はできない。
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2015.4.6
ファザコンっぽいかな。ちょっと。親父を正当化しようとしていて、被害者が読んだら頭にくるだろうという内容。
一方、犯罪者の子供は、全くその罪とは、切り離されるべきで、彼女は生まれながらにして背負ってる麻原の娘という肩書きは、同情する。
あと、どうやって収入を得てんだ?
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著者にしか書けない本。恐らく相当の覚悟があったものと推察する。
著者の見たものやこの本の記述が、客観的に見て正しいものとも思えない。
けれど、執筆のエネルギーがここまで注がれた本は今まで読んだことはない。
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麻原彰晃逮捕時、当時12歳でなにも分からなかった著者が壮絶な人生を振り返っている。
麻原も娘には優しく、父親らしさがあったこと。
教団ナンバー2の村井秀夫もお兄さんのように著者の勉強の手伝いや遊び相手をしていたこと。
ただの殺人集団であるオウムの中の人間が、自分とそれほど変わりないのではと思えました。
それだけに、なぜあんなことを?
という疑問が拭えません。
自分が親しみ尊敬していた人たちが次々に逮捕され、社会から否定されていく現実はまだ世間をしらない少女にどれだけの苦痛を与えたのか。
またオウムの人間が少なからず社会から疎外感を感じるような人たちで構成されていたことは、現代社会の閉塞感や問題の表れだと感じます。
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文章はめちゃくちゃで、それがかえって本人の手によるものであることを感じさせてくれる。
親の因果が子に報い、という意味では日本一理不尽な誹謗中傷を受け、高校や大学への入学、仕事も不当に断られきた苦難はなかなか常人には想像もつかない人生だ。
「わたしにとって、父は父であり、解脱をしていてもしていなくても、あまり変わりありません。むしろ、普通の父として側にいてくれたらどんなに幸せだっただろう」など、父親に対する朴訥な感情の吐露や父親は西山鑑定に述べられたような詐病でなく、本当の病気(面会に行くと「うんうん」と相槌をうつが、自分たちがずっと黙ったままでも同じように相槌をうつ、とかが根拠なんだという)で訴訟能力もない、とか、ふむふむ、と思わせるところもある。
が、自分の人生で嘗めさせられてきた不当な弾圧に対する不満や怒りをこういう場所でそのまま出すのは、、、どうなんだろう??
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何が本当で何が嘘かとか軽々しく述べられる事件ではありません。読了後、他の方のレビューを沢山読ませていただきました。自分のレビューはいまだ取っちらかっています。
この書を買うときに印税がオーム支援になるの?とも気になったりしました。
それでも読む価値は?と問われれば「ある」とお答えすると思います。