紙の本
「内向の世代」を代表する作家、古井由吉氏の作品集です!
2020/05/15 11:11
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、小説家であり、ドイツ文学者でもあった古井由吉氏の作品です。彼は、いわゆる「内向の世代」の代表的作家と言われている人物で、『杳子』、『聖』、『栖』『親』、『槿』、『仮往生伝試文』、『白髪の唄』などの代表作があります。精神の深部に分け入る描写に特徴があり、特に既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みていた作家として知られています。そんな古井氏は、同書の中で、「見た事と見なかったはずの事との境が私にあってはとかく揺らぐ。あるいは、その境が揺らぐ時、何かを思い出しかけているような気分になる」と言います。同書は、このような著者の生涯における思考を読み解く一冊です。同書では、「戦災下の幼年」、「闇市を走る子供たち」、「蒼い顔」、「雪の下で」、「道から逸れて」、「吉と凶と」、「魂の緒」、「老年」、「初めの頃」、「駆出しの喘ぎ」、「やや鬱の頃」、「場末の風」、「聖の祟り」、「厄年の頃」、「秋のあはれも身につかず」といった作品が収録されています!
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2012年刊行の『古井由吉自撰作品』全8巻の「月報」に連載された「半自叙伝」、1982年-83年刊行の『古井由吉作品』全7巻に掲げられた「創作ノート」とを合わせて1冊とした書物。1937年生まれの著者の戦時体験・戦後体験、学生時代・教員時代、専業作家への転身とその後の心境が淡々と綴られていく。古井は1945年5月の東京西南部空襲で焼け出されていて(安吾が『白痴』で描いた空襲では?)、父方・母方の生家のある岐阜県大垣市・同美濃町に相次いで疎開している。朝鮮戦争の記憶が生々しく描かれたところがとくに重要。
1977年-1980年刊行の文学同人誌『文体』の編集作業をめぐるエピソードや、『作品』から『海燕』に活躍の場を移した寺田博をめぐる想い出も興味深いものだった。しかし、「何が書かれているか」よりも、内に内にとぐろを巻いていくような文体の方に知らないうちに意識が引き寄せられてしまうのは、この作家ならではの読後感なのだろうか。
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本文は、大きく二つに分かれています。
「Ⅰ.半自叙伝」:2012年に刊行された著者の自選作品の各巻月報に収録された回想記。
「Ⅱ.創作ノート」:1982年に刊行された、やはり著者の作品集の巻末に掲載された回想記。
この後、「もう半分だけ」と題された本書向けの後書きにあたる文章が続きます。
このように過去に刊行された二つの著者作品集に付随した回想録を一冊にまとめたものが本書です。前後の大きな違いは、Ⅰが幼児~刊行の2012年までを対象に文筆活動に限らない著者の半生を綴ったものであるのに対して、Ⅱがデビューの1968年頃から刊行の1982年までの基本的に作家活動に限定した回想であることです。重なっている期間については、ところどころ内容も重複しています。
本書において扱われる時代ということでは、「Ⅰ.半自叙伝」が、1945年3月10日の東京大空襲にはじまり、2011年3月11日の東日本大震災に終っている点が象徴的で、各時代の空気の変化も伝わります。「Ⅱ.創作ノート」はⅠの約60ページに対して約110ページと比較して長いうえに期間と著述の対象も創作に限られていると同時に、私小説的な要素が含まれています。