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「あの花」「ここさけ」の脚本家。
よく書いたな・・・というのが正直な感想。
此処まで赤裸々に出しちゃった人って少ないと思う。
私が学生時代はまだ「登校拒否児」というのが珍しかった。
小学生時代は居なかったし、中学でも学年で一人。
著者の時代は、当時社会問題として浮上していたことを覚えている。
社会が 軟化してきた と当時はようやく思った。
ある意味、出現できるチャンスで出てきた人。
作品にはかなり色濃く彼女の地元が散りばめられてる。
だからこそ。
アニメであり、共感を呼べるんだと思う。
アニメは子供のもの というが。
本当にそうなのか。
大人が楽しめなくて、子供が納得するのか?
私の持論だが。
大人が一生懸命作ったものは子供は肌で納得する だ。
できれば。
登校拒否の真っ最中でない人が読んで理解する本かも。
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「さよならの朝に約束の花をかざろう」を観て感動したので監督に興味を持った。「花咲くいろは」や「あの花」「ここさけ」の脚本家でもあったわけで、これらはアニメの中では異色の作品であり非常に良い作品だった、これらの作品は著者の登校拒否という体験から生まれたことに納得がいった。しかしダメな学校教師によってどれくらい生徒が傷つけられているのが分かるが、その中に稀に優れた教師が混じっており、その当たり外れは生徒の運次第ということになりそうだ。熱いアニメ現場についても語られており日本のアニメ製作者たちはすばらしい。
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正直すごいなって思ったね
「あの花」のじんたんの
登校拒否のリアルな感じとか
「ここさけ」の成瀬の内気な感じ
実体験から書かれているんだって
思ったね
その時々で助けてくれる人に出会い
シナリオライターに進んでいく
運命的なものを持ってる感じがしたね
仏壇のおじいちゃんの言葉と
「あの花」を思い出してちょっと
うるっと来てしまった。
人の出会い、仲間大切にしようと思ったね
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あの花、ここさけ、花咲くいろは
を見ていないとわからないところもあり。ですかね。
ひたすら岡田さんの鬱々としたものに
付き合っていく感じです。
読んでて、スカッと、とか
晴れ晴れと、とかには
いきませんでした。
悩んでる人や思い詰めてる人には
読んでて力になるところもあるかもですが
ナチュラルな気持ちでは逆にちょっぴりマイナス方向へ引きづられるような気も。
読みやすくはあったけど、
うつうつとして楽しくはなかった、かなー。
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あの花ファンなので。家族で聖地巡りをしたことも。これだけ内側で悶々と考え感じる人だから描けた世界なんだなと思った。
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ドラマを見たので原作に興味を持って。
思った以上にこの本の中身を忠実に、そして実写で見られるように構成したドラマだったんだなぁ…と感嘆。
いまや名うてのアニメ脚本家となったまりーのトラウマの告白。
それはいまでも彼女の中にあって、向き合いながら仕事を続けてる。
そんな傷が、まりーの脚本の魅力…というには綺麗過ぎるか。
個性?
もしかしたら、まりーが作る物語が嫌いだという人は、この傷が認められないのかなあ。
向き合えないというか。
母と娘の確執…が、まりーの創作の根底にあるひとつと教えられたら、「さよならの朝に約束の花をかざろう」の見方も少し変わるねえ。
あれは(あれも?)閉じた世界から少女が飛び出して、母になるワケだし。
それが同一の人物の上に起こる変化であって…って、それはこの本の感想ではないかw
脚本家としての岡田麿里さん。
これからの作品を鑑賞するとき、その内面を読むとき今作を思い出すことにします。
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共に秩父を舞台にして大ヒットしたアニメ映画「あの日みた花の名前を僕たちはまだ知らない。」と「心が叫びたがってるんだ。」の脚本家による初の自伝エッセイ。「ひきこもり」という言葉がまだ市民権を得ていない時代。「学校に行かない」という選択が今よりよほど特別視されていたころの話。
「誰に挨拶したらいいかわからない」という「自意識との闘い」、自らの「キャラ設定」に翻弄される思春期のモヤモヤ、そして「緑の檻」に囲まれた田舎町の鬱屈した空気感などは作品そのまま。映画の中の名台詞、名シーンの裏に込められた意味を改めてかみしめる。
閉鎖的な社会で「いじめ」を受け、長く学校に行けなかった著者は、秩父から「外の世界」に出ることによって道が開かれていく。その「生き直し」の過程には、著者を特別扱いせずに作文を評価してくれた担任の先生や、その幸せを願い、温かく見守ってくれた「おじいちゃん」など、多くの「隣人」の存在があった。専門学校に進学後は、シナリオライターになりたいという夢をかなえるため、「登校拒否児は果たして、魅力的なキャラクターとして成立するのだろうか?」と自問しながら、自らの体験をもとに「あの花」と「ここさけ」を書き上げる。
クリスチャン家庭に生まれ育った地方出身者が「マイノリティ」ゆえに抱える葛藤に相通ずる。今日の教会にも、さまざまな「生きづらさ」を抱えた人々が集っている。著者が不登校だった過去をカミングアウトする場面も、クリスチャンであることをカミングアウトする時の葛藤と重なる。
眼前の苦難から抜け出せないと思い込んでいるすべての人にとって、その向こうに広がる「外の世界」の存在は希望になり得る。(松ちゃん)
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題名とおり、「あの花」「ここさけ」を代表作とする脚本家である筆者の自伝。その筆者が、実は小学校から高校まで学校へ行けずに自宅に籠っていた、という驚きの事実から、ヒットメーカーとなるまでの半生記が綴られる。
あらすじだけでも良い話。学校へ行けない、というのがどういう心の動きを持っているのかがわかり、外に向かう展開は感動的である。が、「あの花」「ここさけ」のような感情の震えがあるかというと、そうはならなかった。エピローグを読んでもハッピーエンドかといわれると悩ましい。
大竹まこと氏がラジオで、ゲストの本を最後まで読んだ、でも読めてなかった、わからなかった、という趣旨のことを述べておられたが、同じく自分もこの本を読めきれていない。
筆者の視点は客観的で冷静だ。部屋・秩父の山奥という「小さい世界」での苦境から「外の世界」で羽ばたく、というような流れで感動的に描くこともできそうなところ、そのようには書いていない。そのため、不登校児ではなかった自分には、その境遇に共感することもできない。また学術書でもないから、不登校になる動機などを網羅的に知る、ということもできない(これはあくまで一つのサンプルとしてとらえるべきだろう)。さらに筆者は同年代であるため、(年齢だけを理由に)上から目線で「よく頑張った!」ということもできない。良い話なのに、感情のもっていきどころがない。
筆者が恐る恐る接触を続けていた「外の世界」で、シナリオライターという職に出会い、目標として試行錯誤しながら少しずつ成功を積み重ねていく。「書ききることができる力」を武器に。ここで、これまで比較的冷静的だった筆者の熱量が上がり、感情の昂ぶりに共感するシーンが描かれる。アニメと出会うのだ。
『嬉しくて、わんわん泣いた。・・・
「すごい、嬉しいと涙ってしょっぱくない!」
・・・その作品に関わった皆が、同じように苦しんで、同じ痛みを同時に持つことができる。だからこそ、強烈に幸せを感じられるときも一緒。それは観てくれている人も同じ。観てくれた人が喜んでくれたら、泣いてくれたら。私もこうして涙が止まらないのだ。』
そして、「自意識なんてくそくらえだ」と自ら監督に売り込むに至る。
ここまで自らの人生を駆動させる熱量との出会い、ここがこの本のピークと感じた。
しかしこの本はここでは終わらない。ここからはアニメ制作ならではの出会いもあればトラブルも描かれる。でもそれは筆者が惚れたアニメという仕事の事実なのだろうし、名が知られることの事実なのだろう。でも、一方的に感動的な成功譚で終わらせないこと、それこそが筆者が描きたい光と影の二面性かという気がした。
そして苦しみにぶつかりながらもこの世界にほれ込み、仕事をものしていく姿は、やはり眩しいのだ。
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自分らしさの自分を追い求めて自分を否定したりダメなところに目がいったりする中でも成長していたのだと思う。登校拒否の日々は消日していたわけではなかったのではないか。その後熱くなれるものを見つけて歩んでいるところは過去があったからだと思うけど、それは今だから言えるのかなぁ。
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娘が借りてきた本。
「あの花」も「ここさけ」も知らないんやけど、娘が「面白かった」というので読んだ。
イッキ読み。したけど、エッセイやし、途中でちょいちょい休憩は挟みつつ読んだ。
ほんで、読みながら、著者はわりと同年代なんかもな~、と、思った。
くだんの通り作品は知らないけれど、今時の若者向けの作品なので、てっきりもっと若い方が書かれているのかと思ってたのよ。
むしろ同年代で、今の若い人にささるような、今の時代にささるような作品が作れるなんてすごいな…、と、思ってたら、
同い年か…!(しかも学年でいえばひとつ下)
そこで慌てて(?)巻末を見たら、著者プロフィールにちゃんと記載されてたね。同い年やったわ。
だから何と言われればアレやけど、著者が綴る10代ほど、わたしは尖ったそれを歩んでない。
もっとのほほんと、いうたら、かなり「勝ち組」と、いうか、「生きやすい」と、いうか、「優等生」な学生生活を送ってたわ。
勝ち組っていうのは、性格とか能力とかではなく、「当時の学校という制度に帳尻を合わせられた子供」というだけで、能力でもなんでもない。
ほんで、その結果がコレなわけよ…。笑
正直いうと、もうこういう話は自分よりもわが子に当てはめてしまうけれど、10代に多少生きづらさを感じて、学校のルールにはまれなくても、いいんじゃないの? と、いう気がする。
むしろあのルールこそが、歪んでいるというか、昭和中期の高度成長期から更新されてないんやから、むしろ合わないほうが正常なんじゃなかろうか…。
マイノリティになるというのはしんどいけど、そのぶん「人と違うこと」ができてしまうねんな。
人と違うことをができるのもやっぱりしんどいけど、わが子には、人と違うことをするしんどさよりも、人と違うことをすることによって得られる自分だけのものを大事にしてほしいと教えたいなと思った。
そして著者の御母堂はなかなかエキセントリックなようで、まあ、わたしも大概、わが子からはこのくらいエキセントリックというか、ええ加減な人やなと思われてるんやろうなーとも思った。笑
でも、そこも、一般的な「母親像」を無視して、わたしはわたしの人生を歩むのも、いいのかもしれんとも思えてきた。
少なくとも金銭的、衣食住は最低限(かもしれん)子供たちに苦労はかけていないはずなので(なんでもオッケーではないけども)、それやったら、今までわたしがめざしてきた「いい子供」「いい社会人」「いい妻」「いいお母さん」を、ここにきてドロップアウトしてもいいかなー。だってそれを目指して、これやもん。笑。二度目
子どもたちのいいところをもっとフューチャーして、彼らの強さをバックアップしていきたいなあ。
もしかしたら知識よりもわたしはそれのほうが、今の私はほしいと思っている。
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アニメ「あの花の名前を僕たちはまだ知らない」の原作者の人のエッセイ。自身の不登校の経験や心情を切々と語っている本。
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とらドラの頃から岡田麿里さんの心をえぐる脚本に魅入られてました。
自分は不登校にはならなかったけど、世間に馴染めない自分と葛藤には共感しかなかったです。
でも麿里さんはとても強くて、1人で教習所に行くし、東京に行くし、シナリオも書けてとても強い人だと思いました。
彼女の自伝を読んだことで、またさらに彼女の書く物語に深みがました気がします。
余談ですが、岡田麿里さんで検索したらとてもお綺麗な方の写真がでてきて、上京してすんなり彼氏ができたことに納得してしまいました。
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「あの花」「ここさけ」「凪あす」「さよ朝」。
私の好きなアニメの数々を生み出したマリーの自伝。
すごい人生でびっくりしたのと、ああ、この経験や性格から「あの花」「ここさけ」ができたんだなと納得した。
ただ、これでなんであんなに女の心情描写がうまいんだって疑問には逆に思ったけれども。
とても興味深くおもしろかった。
特にシナリオライターとして歩みだしてからが。
これからのご活躍にも期待。
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「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」や「心が叫びたがってるんだ」といった、心に問題を抱えた主人公を描いたアニメの原作、脚本を書いたことで有名になった岡田麿里さんの自伝。個人的には彼女は、上記2作品のように少年少女達が葛藤したり、それを克服していくというような話をつくるのが特にうまい印象。
正直にいって本全体が彼女の負の感情満載のこの本を読み続けることが辛かったが、それでもこの本から得られたことは、不出来であってもなにかを最後までやりきること。
> シナリオライターとしてずるずる歳を重ねた今、仕事で出会った若い子に「脚本家になりたいんです」と相談されることがある。ならシナリオを描いてきてと言うと、そこでぴったりと連絡が途絶える。彼らの姿は、当時の同級生達の姿に重なる。その気持ちはすごくよくわかる。彼らは、やる気がないわけではない。今まで自分の中で溜めに溜めていた「自分がいつか世に出すはずの何か」のイメージはどんどん膨れあがって「まだそのにはないが、とても素晴らしいもの」になってしまっている。それを実際にシナリオとして書いてみると、ふわっと描いていたイメージには遥かに追いつかない。自分はこんなはずじゃない、これで自分を判断されたくないという恐怖。
>
結局のところ、チャンスを掴むことができるのは、物事をカタチにした人だけなのだ。本全体を通して負の感情を垂れ流し続けている著者自身でさえ、その時の感情を文字に起こしていた。
自分の中に溜め込んでいるだけでは、誰かに評価される機会など一生来ないのだから。
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薄々気付いてはいたが、私は本のジャンルとしての「自伝」がものすごく好きなのだと思う。
奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』がとんでもなく面白かったのは、勿論内容の素晴らしさもあれど、そもそも自伝一般に私がめちゃくちゃ弱いためもあっただろう。
ふだんは基本的に小説しか読まず、自伝やエッセイといったノンフィクション系はなんとなく避けてきた(フィクションこそ至高、という若気の至りで)のだけれど、そろそろちゃんと自分の好みに向き合ったほうがいいかもしれない。考えてみれば、自分について考えるのが何より大好きで、自分語りが大好きで、他人の自分語りを聞くのも大好きな自分が、自伝を嫌いなわけがない。
『アリスとテレスのまぼろし工場』を観てマリー熱が高まったので、積んでいた自伝を手に取った。軽い気持ちで読み始めたのにめちゃくちゃ面白くて、何度も爆笑したり号泣したりしてしまった。人は子供時代の家庭環境に左右されるんだな、とつくづく思う。お祖父ちゃんと恩師下谷先生の章が特に印象深い。自分の文章に向けられた「批評」の意義について。
『DTエイトロン』から始まるアミノテツローさんとの関係も全く知らなかった。『おとぎストーリー 天使のしっぽ』(2001)も。
自分は秩父に行ったことないのに、母親に「マリーのアニメ観て下さいよ」と言った『あの花』オタクのエピソードが出来過ぎていて勝手に自己投影して感動してしまった。『花いろ』の松前皐月への母の反応も、『ここさけ』の成瀬母の台詞をきっかけにした岡田親子のやりとりも、最高ですね。これを読んで、岡田麿里作品の男性キャラの造形はまた色々と考えてみたいと思った。