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「狂うひと」梯久美子著、新潮社、2016.10.30
668p ¥3,240 C0095 (2017.09.24読了)(2017.09.14借入)(2016.12.10・3刷)
副題「「死の棘」の妻・島尾ミホ」
今年は、島尾敏雄の生誕100年ということで、便乗して、「死の棘」を読みました。
ついでに、昨年出版されて話題になった「島尾ミホ」(島尾敏雄の妻)の評伝が図書館にあったので借りてきて読むことにしました。
以下は読書メモです。
「狂うひと」を読み始めました。
第一章、戦時下の恋を読み終わりました。
敏雄とミホがであって、結婚の約束をするあたりまでが記されています。
出会ったときは、敏雄27歳、ミホ25歳です。場所は、加計呂麻島です。奄美大島のすぐそばにあります。
敏雄は、水雷艇による特攻隊の大将です。ミホは小学校の教員です。
梯さんは、最初ミホの著作、「海辺の生と死」などに興味を持ち取材を始め、何度かミホさんにインタビューを行っています。4度目?のインタビューのあと打ち切りを宣告され、取材は中止になりました。その後1年ほどで、ミホさんが亡くなったので、息子さんの伸三さんが新潮社に遺品の整理を委託しています。遺品は、敏雄さんとミホさんの残した、原稿、ノート、日記、手紙、メモ、などです。
著者も、この遺品を閲覧しながらこの本を書いています。
本の後ろのほうに、「死の棘」あらすじが掲載されているので、「死の棘」を読んでいない人でも、「死の棘」の概要を知ることができるようになっています。
梯さんの文章は、他の優れたノンフィクションライターと同様に、読む人の心を上手につかみながら引っ張り込んでゆくので、思わず先へ先へと進みたくなります。
衝撃的な、事実がいくつか出てきますが、まだ読んでいない方の、読んだ時の楽しみにしておきたいと思います。
読み終わりました。660頁は読み応えありますね。
敏雄さんの生まれたのは、1917年ですので、生誕100年です。それで読むことになったのですが。ミホさんは、1919年の生まれですので2歳下ということになります。
この本は、ミホさんの評伝ですので、ミホさんの生まれてから死ぬまでが丹念にたどられています。小学校は、加計呂麻島で過ごし、高等女学校は、東京で過ごしています。18歳で卒業し、東京で就職しています。
一年後に病気を機会に加計呂麻島に戻り、25歳の時に小学校の代用教員を始めて、この年に敏雄と出会って恋の落ちた?
昭和20年8月13日に、敏雄は、特攻に出撃待機状態となり、死ぬはずで、ミホもその後を追って死ぬはずだったのですが、終戦となってしまいました。
敏雄は結婚の約束をして、島を去っていきました。
ミホは闇舟で奄美から、鹿児島に向かうのですが、到着までに一か月かかっています。
結婚してからの敏雄の放蕩ぶりは、残念ながら書かれていません。敏雄は、小さいころから日記をつけており、「死の棘」も日記をもとに書いています。
その日記を読んだミホが、その中に書かれている17文字がもとで、発作が起こり始めたということなのですが、その17文字は何だったのでしょう?
「死の棘」は、一緒に入院するとこ���で終わっていますが、退院後は、奄美大島の名瀬市に行っています。
退院した後も治癒したわけではないのですが、あることをきっかけにほぼ落ち着いたようです。
その後、敏雄のほうが鬱になり書けなくなったので、代わりに?ミホのほうがエッセイや小説を書き始めます。題材は、敏雄に出会う前の島での出来事のようです。
敏雄は、1986年に69歳で亡くなっています。ミホは後追いで亡くなるかと思いきや87歳まで生きています。
「死の棘」を読んでよくわからなかったところが、いくつか明確になったと思います。
敏雄の愛人の名前は、仮名(川瀬千佳子)で記されています。既に死亡しているようなのですが、死因は明かされていません。
息子さんは、健在ですが、娘のマヤさんは、52歳で亡くなっています。10歳ぐらいの時に失語症?になっているようです。原因は不明とのことです。夫婦げんかの影響がなしとは言えないのでしょうけど。
いくつかネタバレに近いことは書いてしまいましたが、肝心なところのネタバレには気を付けたつもりです。
【目次】
序章 「死の棘」の妻の場合
第一章 戦時下の恋
第二章 二人の父
第三章 終戦まで
第四章 結婚
第五章 夫の愛人
第六章 審判の日
第七章 対決
第八章 精神病棟にて
第九章 奄美へ
第十章 書く女
第十一章 死別
第十二章 最期
「死の棘」あらすじ
島尾敏雄・ミホ年譜
謝辞
主要参考文献
●クローズアップの連続(96頁)
不安定な心理状態や他者との関係のゆがみが風景描写に反映されるのが戦後の島尾作品の一つの特徴である。特に『死の棘』においては、主人公の目を通した外界は近景ばかりで遠景を欠き、読者はクローズアップが連続する映画を見せられているような一種異様な気分にさせられる。
●何の屈託もなく(120頁)
何の屈託もなく、わがままいっぱいに育ったとミホは言った。父母と暮らした日々の中で、嫌だと思うことをしなければならなかった経験はただの一度もないという。
●浜降りの日(140頁)
浜降りの日に蓬餅を食べないと馬になり、海水で足を濡らさないと梟になるという言い伝えが島にはありましてね。幼いころの私は、父がいつ馬や梟になるのかと、ドキドキしながらそっと顔をうかがっておりました。
●屈辱(227頁)
由緒ある家系に誇りを持っていたミホだが、神戸の生活でそれが重んじられることはなく、奄美出身だというだけで侮蔑の視線を受けた。その屈辱は一生尾を引いたと思われる。のちに『死の棘』に描かれることになるミホの狂乱は、結婚以来プライドを踏みにじられてきたことへの怒りと悲しみの噴出でもあったのである。
●日記の作品化(241頁)
日記を作品化することは、『死の棘』のはるか以前、学生時代からの島尾の方法だったのである。
●ハイカラな娘(248頁)
ミホは、東京でビリヤードや車の運転を習い、帰郷のついでに婚約者のいる朝鮮に渡って旅行してくるような活動的な娘だった。帰島後はパーマにハイヒール姿で名瀬の街を闊歩して、奄美の人々を仰天させている。演芸会では男装し、またギターを弾くなど、ハイカラな一面を持っていた。
●独特の文体(321���)
『死の棘』は、読者を主人公と共に異界に踏み込んだような気分にさせる独特の文体で書かれている。書かれている出来事は日記にもとづいているが、文体は日記とはまるで異なる。外界を語り手の内面に巻き込むようにしてえんえんと続く息の長い文章、平仮名を多用した文字遣い。
●建仁寺垣(321頁)
細い割竹を密に並べ、太い割竹を横方向に渡して押さえた、どこにでもある竹垣である。京都の建仁寺に由来するところからこの名がある
●ためし(407頁)
『死の棘』のミホの糾問の中心にはつねに性の問題がある。愛情と性行為を分けて考えることのできないミホにとって、「あいつを喜ばせていた」のは許しがたいことであり、もしいま夫が「あいつ」より自分を選ぶなら、それは性をともなう愛情でなければならない。その論理に従ってミホは、島尾を糾問すると同時に、愛情を性行為によって証明させようとする。それを島尾は、「ためし」と受け止める。
●戦時下の恋(471頁)
ミホの発作は、文学仲間の女性との情事を知るという形でミホに訪れた「戦後」に対する拒否反応でもあった。戦時下での命がけの恋の続きのつもりで結婚生活を始めたミホだったが、戦後の島尾はそんな妻を置き去りにして文学にのめり込んだ。ミホだけが戦時下の時間にとどまっていたのだ。
●治癒(594頁)
ミホが発作を起こさなくなったきっかけは、奄美に移住した翌々年に加計呂麻島に渡り、生まれ育った屋敷が跡形もなくなっていたのを見たことだった。(生まれたのはこの屋敷ではないので、言葉の綾ですね) 自分がそこへ帰りたかった世界はもう存在しないことに気づき、両親も「島尾隊長」もいない世界を生きていかなければならないと自覚したとき、戦後という時代と、その時代にゆがめられた島尾への抵抗としての発作は収まっていったのである。
☆関連図書(既読)
「死の棘」島尾敏雄著、新潮文庫、1981.01.25
「魚雷艇学生」島尾敏雄著、新潮文庫、1989.07.25
「散るぞ悲しき」梯久美子著、新潮社、2005.07.30
(2017年9月26日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
島尾夫妻それぞれの日記や手紙、草稿、ノート、メモなど、膨大な未公開資料によって妻・ミホの生涯を辿る、渾身の決定版評伝。
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膨大な資料の読み込み、現地での取材量には圧倒される。その影響もあって本を読んでいる最中、実際に加計呂麻にも行ってみた。ミホさんの物語ではあるが、そこにかける梯さんの情熱にかなり打たれるものがった。
梯さんを主人公としたノンフィクションの物語、というのがあったらまたそれは面白い映画が作れそうだなと勝手に考えながら、まずは「死の棘」「海辺の生と死」を読み返そうと思う。
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梯さんが、死の棘の島尾ミホのことを書いた!というのを知って、慌てて買おうと思いましたがなんと3,000円超のお値段。
そそくさと図書館に予約しました。
実は私は、「死の棘」を途中で断念した過去があります。
だって辛いんだもの!
読んでも読んでも救われない内容ばかりで、しかも妻が狂ったのは自分のせいなのにこいつはよう、とイライラしてきてしまって。
この本で、二人の戦時中の恋から最期までを詳しく見る事ができてよかったです。
怖かったのは、島尾がわざと衝撃的な内容の日記をミホに見せ、反応を観察して小説にしようとしたのではないか、という疑惑が持ち上がるところ。
その後自分もとんでもなく大変な目にあうんだから、よもやそんなことはないだろうとは思うけど…………。まさかね……。
しかしかわいそうなのは二人の子供たち。親のそんな場面を何度も見せられて。最大の犠牲者でしょう。
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ずっと前から「死の棘」を読もうと思いつつ未読で、この本が出た時、やはり先に「死の棘」だろうと思い、しばらく読みたい気持ちを抑えていたが、結局先に読んでしまった。「死の棘」のあらすじが巻末についている。「死の棘」は読もうと思いつつ、いつまでも読めないような気がする。
島尾敏雄とミホさんのことは十分知ったような気になる。もういいかなというほどの力作だった。
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恥ずかしながら、死の棘を読むのを挫折したのちにこちらを読みました。
この時代の作家の作品をあまり読んだことがないので、「太宰治って自分のこと書いてるんだな」くらいの知識しかなかったんだけど、こんなに自分の身を削って作品を生み出してる人が他にもいることを知って、まず驚いてしまった。
あらすじを知ってるだけじゃわからない、そして多分私の読解力で死の棘を読んでもわからない背景が見えてきて、結局はそれ自体も真実かはわからないんだけど…
今の時代もSNSとかで自己演出するというか「こうみられたい自分」みたいな人に良く見られたい欲求が蔓延してて、劇場型というか。それの究極の世界な感じもしたかな。。。覚悟が違いすぎるけど(^_^;)
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渾身の労作であり、評伝として傑作の部類であることは間違いない。
しかし。。。
20歳前後の頃に「死の棘」を読み、なんて嫌な話だろうと思い、大嫌いだった。こんな恋愛もこんな結婚も絶対にしない、こんな男に当たったら全力で逃げる!と心に堅く誓って、その通りにした。「死の棘」も二度と読むことはなかった。
たぶん今読んでも、やっぱり嫌いだと思う。
ただ、夫婦の共有する時間や事柄は、夫サイド妻サイドでそれぞれに見ているもの、見えるものが違うものだなと思う。最近も『運命と復讐』を読んでその意を強くした。
それで、ミホ側からはどう見えるのだろうと思ったのだった。
しかし読めば読むほどやっぱり「嫌な話」で、読むのがしんどかった。やっぱり『死の棘』には共感出来そうもないし、島尾敏雄が作家としてとった立場も創作の方法も、嫌悪ばかりを感じる。
そして、それを祭り上げた批評家たちはなんなんだ。
都会からやって来たインテリ隊長と、土着で神秘的でピュアで美しい少女との恋?
批評家たちは、なぜそんな図式にあてはめて賛辞を送ったのか。男性批評家たちの勘違い願望としか思えない。やっぱり嫌だ。
評伝としてはとてもよく出来ている。
1人の男を(それがどんな男であれ)愛し抜いたミホはすごいな、と思う。それは鬼気迫るまでで、確かに尋常ならざるまでの希有な愛だ。それは賞賛に値するかもしれない。
しかし、人を愛するとはかくも恐ろしい。
もう1人の当事者である川瀬さんサイドからも見てみたかった。
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『死の棘』の作者島尾敏雄の妻、島尾ミホの評伝である。敏雄とミホの関係についてはよく知られている。終戦間際、水上特攻部隊震洋の隊長として奄美群島に赴任した敏雄が、島の娘ミホと恋に落ち逢瀬を重ねる。敏雄が出撃したあと、ミホはあとを追って自害する気でいた。そして、いざ出撃となったときに終戦を迎えるという話である。そんな激しい恋をした二人であったが、結婚後敏雄の浮気を知ったミホは狂い、敏雄に生涯自分に服従することを誓わせ、敏雄もそれに従ってミホのために書き、ミホのために献身的な生涯をおくる。これだけだと、一つの激しい恋の物語になるが、この裏にはいろんな物語があった。それを一つ一つ解き明かしていったのが梯久美子さんである。梯さんが解き明かしていったのは、一つには晩年のミホに何度かインタビューする機会があったことと、敏雄たちの息子伸三氏から、敏雄やミホの残したおびただしい文書の山を自由に見ることができる許可を与えられたからである(ぼくは実は敏雄自身よりもマカオかなにかの写真集を奥さんと出した伸三氏の方を先に知っていた)。敏雄は浮気がばれてミホの狂気を引き起こすのだが、実はもともと女癖が悪く、敏雄を追いかけ神戸にやってきて、ようやく結婚したときも梅毒にかかっていてそれをミホに移したりしている。その後も、女に対する欲望は持ち続けていたようで、ミホは敏雄の日記で愛人のことを知る以前から、敏雄の女関係では心を痛めていたのである。問題はミホがたまたま敏雄の日記を見たように思われているがそうでないと言う文学仲間もいた。梯さんも、敏雄はわざと日記をミホに見せたのではないかという。なぜか。それはそのことによって引き起こされる事態を敏雄は文学として書きたかったからである。梯さんはその愛人のその後を追い続け、また、敏雄とミホがのちに奄美に帰ったあとのことを書き続ける。敏雄にとって、奄美は戦争末期に特攻隊として赴任した空気をとどめてはいなかった。敏雄にとって奄美時代は一見平和そうで、心の中はミホを義父から奪った罪悪感で苦しんでいたのである。ミホは敏雄が死んだあと、公の場ではいつも喪服を着ていたという。それは、敏雄が死んでからも敏雄は自分のものであるという独占欲のもたらすものであった(おお、怖い)。そして、敏雄の日記を公刊する際も実はミホはそれにかなりの手を加えていた。それはつまり、敏雄は自分にふさわしい夫であったことを証明するためでもあった。二人の物語は、実はドラマチックですでに映画も撮られているが、ぼくはそれより、この二人の間で育った二人の子ども、伸三とマヤのことが気にかかる。父の不倫とそれを連日連夜問い詰める狂った母の家庭で育つと子どもはどうなるのか。それを探ってみたい。
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毎日少しずつ読んでやっと読み終わった。死の棘に出てくるミホさんも怖かったが、この評伝を読んでまた少し違う角度からも怖いと思った。夢に出て来そう。ページ数含め、すごい評伝だった。
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「死の棘」の島尾敏雄の妻であるミホの評伝。あの小説はそのままの事実を書いたものか。それとも脚色されたものか。愛人とは誰か。ミホの狂気は強調されているのか。ありのままか。膨大な手紙、メモ、ノート、日記からミホと敏雄の人生をあぶりだす。
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現実がある。小説を書く。現実をなぞって書くのが「私小説」の方法。作家が現実を小説のように生きるとしたら、それは倒錯だろうか。小説に描かれる妻が、作品の主人公として現実を生きるとしたら、それは狂気だろうか。
戦後文学の、私小説の、ビッグ・ネーム島尾敏雄とその妻の本当の生活はどこにあったのか。
よくぞここまで踏み込んだものだ。梯久美子の力技に拍手。
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「図書」2019年6月号で梯久美子さんの対談を読んで興味を持った。今自分のテーマになっている「聞き書き」の流れで。
しかし怖かった…。
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「死の棘」本体を読んだとき、「おぞましい自己愛」「夫婦のプレイ」「共依存」などと感想を書いたが、その印象が決して外れていないことを本書で確信した。他者の吐しゃ物をひろげて見せつけられているような嫌悪感には根拠があったのだ。こうした私小説を愛だの宿命だのと賛美する神経が知れないが、梯さんはさすがに冷静だと思う。
トシオがかつての教え子(遠藤さん)に吐露したという、「夫婦だからってここまで束縛していいものか」という心情がすべてを物語っている。そうした事態をみずから仕掛けなければ小説を書けなかった人間の性があまりに哀しい。
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900ページの大作。とにかく凄まじいの一言。文字で記録することに固執し続けた作家と、見たものを記憶することに特別な感覚を持っていたその妻。二人の死後残された遺品、日記、手紙、書きかけの原稿など、段ボール箱数百個の膨大な資料を網羅し、生き残った関係者へヒアリングを重ね、辻褄を合わせ、高く評価された「死の棘」がどのように作られたのか、本当は何かあったのかを読み解くノンフィクション。この積み重ねの結果の一冊として、とても価値あるものだし、「作家の仕事」の極みだと思う。ただ、個人的には「死の棘」を読みたいとは思わないなあ。
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身につまされる夫婦関係とその実情。
冒頭の手紙が人の気持ちが入り過ぎていて、本当に恐ろしい。
島尾敏雄の死後からのパートは読み応えがないが、その間にミホが喪服で過ごしていたことの理由をもっと深掘りして欲しかった。
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梯さんによる終始冷静な視点がいい。ミホさんに実際にお会いして、その独特に存在感を認識しながら決して流されることなく、「事実」を見つけようと考察している。死の棘で言われた「究極の夫婦愛」という理想化された視点ではなくて、なぜそう解釈されたのか、では実際は、と順序だって探っていく姿勢がすごい。ミホさんが生きていた当時に評伝を書かれていたら、きっとここまでの客観性は保てなかったのではないかな