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併読している本が多いことを差し置いても、読了まで一年半もかかった本はこれが初めてかもしれない。
読み進めていると、みぞおちが痛むような暗い気持ちになって、なかなか進まなかった。島尾敏雄の「死の棘」を読んでいるときもそうだったが、「目の前を過ぎて行くものを目のまえでとらえて記録する」接写的世界観の島尾の文体は、目眩や吐き気を覚える感覚がある。
物事を仔細に捉える「目」を持つ二人の、「知力も体力もある者同士の総力戦」(長男、島尾信三氏の言葉)を徹底的に掘り下げて、今まで言説されてこなかった真相。読む方も何かを差し出さなければならない気持ちになるような、身を削って書かれた名作「死の棘」と、その主軸となった妻、島尾ミホを巡るノンフィクション。
誰も検証すらしてこなかったミホを巡る巫女的な見方や夫婦愛の描かれ方に疑念を抱いて、丹念に取材を重ねて得られた新しい見方。そのプロセスをまた詳細に記録していく様。
「狂っていたのは妻か夫か」
帯に踊る見出しが、著者の梯氏にものりうつったかのような熱量の文章だった。
創作の犠牲になって狂っていった小説家の妻を描いた作品といえば、「HEROINES」(ケイト・ザンブレノ)を思い出すが、島尾敏雄とミホは、互いの血肉を貪り合ってるような凄まじい生き様を私達に見せつける。
作中、ミホの著作にも触れられていたが、断片的に引用されたそれを読むだけで、ミホもまた天才的な書く人でありまた見る人であったことがわかる。
「小舟に乗った漂流者」、そのようにしか生きられなかった二人。そう思われていた「死の棘」の世界だが、書くこと、書かれることを互いに繰り返しながら生き切った、凄まじい2人の生命の記録だったのだとも思えた。
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凄いものを読んだ。狂うことが「起死回生の道」とは。無私の愛も突き詰めると強烈なプライドの裏返しなのか、出逢ってはいけない男女が出逢ったのか、だとしたら他に・・・どうしようがあったのか。南島の巫女(少女)云々言ってる男性評論家陣の定説が覆っていく過程が実にカタストロフ。丹念な取材とそこから浮かび上がる事実を読み解く能力、いやいや梯久美子さんは恐るべき人。十一・十二章がまた見事で、一見冷徹なようで、掬い上げるところも忘れていない。もっともらしくまとめた定説にも実は裏があるかもよ、ということを学んだ。
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しかし書くことの業の深さよ。自分は書き文字の重さを信じる質なので、本文中に何度も言及される審きの日(十七文字)の下りとか、「あいつ」のモデルになった人がどれだけ生き地獄だったかはめちゃくちゃわかる。というわけで基本的にテキストベースのコミュニケーションであるSNSやメールなんぞを侮る無かれ、「大事な話は対面口頭で」。
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「死の棘」についても、島尾ミホというひとについても、何も知らなかったけれど、とても惹かれた本。
最初に加計呂麻島の地図が載っていて、離島もののミステリみたいだな…と思ったけれど、それほど間違いでもない気がしている。
島尾とミホは「島の守護者」と「島の巫女である少女」であり、だからふたりは惹かれあうのは必然、という「神話」が、定説になっている、らしい。著者はそれを疑問に思う。
なんていうか、男のひとが好みそうな「神話」だなあ、などと思ってしまったけれど、最後にはミホ自身がその「神話」を守ろうとしていたことが分かって、なんとも複雑な気持ちに…。
「小説のためなら何でもする」島尾。小説を書くほどの「業」が自分にはないと思っていた彼は、小説のために愛人をつくり、愛人について書いた日記を、わざとミホに読ませる…
そうして書かれたのが「死の棘」。
けれども、晩年にはその小説を否定している。
教え子には「あれはくだらないもの」とまで言っている。
島尾は何もかもを「書く」。書かずにはいられない。毎日日記をつける。ミホに見せない裏日記もあったらしい。
ミホとの関係も「書く」「書かれる」ことから始まる。
「死の棘」以降、ミホの望むようにミホを書き、疲弊する島尾。
「死の棘」は、「愛される妻の物語」だということにしたかったミホ。
正直に言うと、島尾に関しては自業自得では…という感想になってしまう。それでも書きたかったんだから仕方ないのでは…
そして「書く」ということで、ものごとは規定されてしまうのだなあ。
ほんとうのことは、言葉にはできない。でも言葉を尽くすということを諦めたくない。それはずっと私自身が思っていることなのだけれど、このふたりのかたちは、それを突き詰めた結果のひとつ、なのかもしれない、と思う。
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私は島尾ミホさんの「海辺の生と死」を先に読んでおり、美しい加計呂麻島の自然の中で育ち、終戦間近に島尾敏雄と出会って恋に落ちるミホさんの半生が豊かな感性で描かれる本作に感銘を受けましたもので、
じゃあ、まあひとつ、「死の棘」も読んでみるか…という感じで「死の棘」を読んだのですが…
夫婦の正視できないような凄惨な家庭崩壊の図、その昏さに「あー読まなきゃ良かった」と心底後悔したものです。
加計呂麻島の美しい自然のなかで心が洗われるような清らかな恋…からの目を背けたくなるような地獄絵図…。
「死の棘」は自分にとっては「イヤミス」ならぬ、「イヤ私小説」でした。
しかしながら、自分の不貞によって精神を病んだ妻に寄り添い、時には一緒に入院するなど献身が美談とされた「死の棘」。
でもこれが本当に美談なのか?
敏雄氏が震災も体験せず、特攻も出撃を翌日に控えて終戦し、小説のネタになるような事が身の回りにないのをコンプレックスに思っていた事や、
気に入った女がいる時に、わざと日記を読ませるように仕向けて間接的に口説くのが敏雄氏の常套手段だった事などから
「死の棘」に書かれた家庭崩壊の発端となる日記…これが敏雄氏の企てではないか?
との推論を掲げて、敏雄氏の生い立ちや交友関係などを緻密に積み上げて論証していったり、ミホさんの方ももちろん、生い立ちや彼女の発言や作品などからパーソナリティを読み解き、「死の棘」を読んだだけでは想像もできない作品の裏の顔を炙り出していくルポルタージュはお見事!
内容も重厚でしたが、本も重厚で、持って歩くのに苦労しました。
でも大変興味深い内容で読み応えがありました。