投稿元:
レビューを見る
固めの内容で飛ばし飛ばし読んだが、それでも読んでよかったと思える一冊。
岡倉天心は、「茶の本」を1904年に英語で出版している。今のように日本が世界で認められておらず、野蛮な国とされていた中で、西洋人顔負けの西洋的な教養も隠に陽に使いながら、日本人が文化的で精神的な営みができること、その精神を伝えようとしている。その教養深さたるや、想像もつかない。
以下の岡倉天心の言葉が非常に素朴であるものの、まさに自分が茶道に求めていることであると感じた。これが茶道の本質なのであれば、やはり私は茶道を学んでいきたい。不完全「imperfect」
以下転載----
「茶道」は、毎日の生活でぱっとしない出来事に囲まれながらも、せめて美しいものを見つけようと憧れる心が作り出した祭式である。「茶道」が説くのは、己の純粋さを保ちながらも他と調和すること、互いが慈しみ合って神秘的な力を生み出すこと、夢が社会に秩序をもたらすことである。
「茶道」は、人生というままならぬ営みを通じて、せめて何事かを成し遂げようとするはかない試みであるから、「茶道」の本質は不完全なものの崇拝なのである。
投稿元:
レビューを見る
本著は、岡倉天心が明治39年に英語で出版した「茶の本」の解説本。
当時は、日本が近代化に向けて西欧文化と対峙し始めたユニークな時期であり、西欧文化に接した知識人が”日本”を意識し、西欧文化に飲み込まれるのではなく、その優越性、独自性を認識し、対外的にも発信していた時期でもある。(新渡戸稲造の「武士道」も同じ趣旨で発刊されたもの)
そのような時代背景もあり、今の時代でも”日本とは?”、”日本文化のルーツは?”と考える時に「茶の本」は大変参考になる。
(岡本天心に多少の誇張があるのだろうし、日本の文化に疎い欧米人に対して西欧文化と比較して説明しているところもあるので、現代人にとって却って分かり易いともいえる)
なお、「茶の文化」は、茶道に関するテクニカルな内容を触れているのではなく、茶の文化を通じて、日本文化、日本人の精神について触れているもの。
本著を含めて、「東洋の理想」、「日本の覚醒」が岡本天心の英文三著作。
(「東洋の理想」は以前読んだが、記憶が曖昧なので、再読したい)
以下引用~
・「日本の「茶道」は、哲学であり、美の宗教としての性質をもって日本人の生き方を規定している」というのが、『茶の本』の基本テーゼです。
・同じ時期に、日本文化を英文で世界に紹介した著作には、「代表的日本人」を著した内村鑑三、「武士道」の新渡戸稲造がいます。「茶の本」とこの二冊をあわせて、日本文化紹介の三大名著という扱いもされています。
その意味で、「茶の本」は、近代国家を立ち上げた世代の「日本の精神文化」に託した思いが詰まった本です。
・ヨーロッパに門戸を閉ざしていた中国にも阿片戦争を契機に、プラントハンターが訪れます。その代表的人物ロバート・フォーチュンは、紅茶と緑茶が同じ種類の茶の木から生まれることを発見した最初のヨーロッパ人となります。彼の活躍を契機にインドとセイロンの茶産業が成長し、ヨーロッパ市場における中国茶の独占打ち破り、世界の茶産業をリードします。
・「もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人たちに比べると、ずっと優って見える」(「幕末日本探訪記」ロバート・フォーチュン)
・変化のみが唯一の永遠なるものである。ならば、なぜ「死」を「生」と同じように歓迎しないのか。生と死は表裏一体で、ブラフマーの夜と昼である。古いものの崩壊から、再生が可能になる。人間は、容赦のない慈悲の女神である死を、さまざまな名前で崇拝してきた。
・茶人や花人たちの扱い方に接したならば、彼らの花を見つめる眼差しには、宗教的な畏敬の念が存在していることに気づくに違いない。彼らは、花をいい加減には切らない。心の中に描いた芸術的な後世にしたがって枝や小枝の一つ一つを注意して選んでいる。
・・・西洋諸国では、花をつけた枝のみを無造作に花瓶に挿しているものを見かけるが、それは、胴体から頭だけを切り離したようなものである。
・アニミズムから多神教をへて一神教に移行するのが「進化��と考えて、一神教であるキリスト教を誇り、他の文明に、未開とか野蛮のレッテルを貼ったのが、19世紀から20世紀初頭の西洋文明でした。
・・・その当時の天心は、西洋文化中心主義に孤立無援の戦いを挑んでいる心境ではなかったかと思います。
・変化こそが永遠であるこの世界の諸相においては、散ることは終わりではなく、散ることは永遠に連なることであると花自身も知っていると主張しているのです。
・通常、わたしたちは、感動を芸術作品から「与えられた」と言いますが、感動は自分たちの側に反応するものがあって生み出されていると天心は考え、反応するものを「われわれの秘められたコード」と表現しています。
「われわれが傑作の一部であるように、傑作もわれわれの一部である。傑作はわれわれの内にあり、われわれも傑作の内にある」
・道家思想では、完成された形よりも、完成にいたるプロセスを重視するので、完成のみならず反復を表現するような対称性を意図的に避けているのだと説明します。それが、茶室では、わざと完成途上のものが示され、受け止めた側で完成されることを求めることにつながっていきます。
・茶道の定義
「茶道は、人生というままならぬ営みを通じて、せめて何事かを成し遂げようとするはかない試みであるから、茶道の本質は不完全なものの崇拝なのである」
・天心は、宋代の理想が、元朝によって滅ぼされてしまったが故に、宋代の理想を伝える日本が本家であるという主張を繰り返しているわけです。
・徳川幕府は、朱子学の助けを借りて、下剋上を思想の力によってやめさせようとしていました。支配に、力の論理ではなく、正統性の論理を持ち込もうとしたときに明朝の滅亡は起こったので、それは思想的に受けとめられることになります。
投稿元:
レビューを見る
岡倉天心の茶の本を逆さまから読みつつ、解説を加えていく。この本がアメリカで1906年に出版されたという背景を大切にしているので、事実とか一般的な認識からズレた記述もその観点から説明される。訳者の茶家としての豊富な知識に加え、その他の思想や哲学にも詳しいので学ぶところ大。わからないことにも正直だし。