投稿元:
レビューを見る
私のロシアのイメージははっきりいって無い。
ウォッカぐらいだ。
あとは佐藤優と鈴木宗男か。
かの佐藤優は鈴木宗男がいれば北方領土が返還される可能性があると思ったそうだ。
(だったかな、勘違いかな)
その鈴木宗男が何の因果か一線から退けられ、未だ一線には返り咲けていない。(よね)
そんなことはこの本には書かれていない。
んが、北方領土に関しては一言だけかかれている。
淡々と無視されることがあっても、主張し続けること、決して国内世論を火かき棒でかき混ぜるような、国民運動を作り上げるようなことがあってはならないと。有害であると。
私もそう思います。担当官僚、担当政治家が淡々と主張を投げ続けることは必要でしょう。
全く歴史を知らない私は北方領土が日本固有のものなか、いつから日本に属しているのかよく分かりません。
この本によると。ロシアに取られたのは、ヤルタ会談によると。
英国、米国、露国によって決められたヤルタ協定の中に、
・外蒙古(蒙古人民共和国)の現状が維持されること。
・千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること。
このことが含まれるようです。
外蒙古の現状とはソ連傘下であること。
日本の立場として北方四島と千島列島は違うだったかな。
ロシア側としては含まれるです。
こうなってくるとロシア側からみると
北方領土を日本に返還すると
外蒙古も中国にかえさなくてはいけなくなるのです。
という見方もできるわけです。
これは他の領土問題もおなじで、実は二国間だけの話ではすまないこともあり、
なかなか進まないのです、こんなことは激しくやりあうのではなく
粛々とすすめていくことが肝要だと考えられます。
もっともっとおもしろいことが書かれていたのですが、
長くなるのでこのへんで。
はっきり言って知識の少ない私には
なかなか分かりづらいことも多々ありましたが
このような本はいっぱい読んでいきたい。
歴史をしることは無用な争いをさけることにつながると思います。
激しくあらそうことはなにもうみださないと思われます。
ね。
ロシア
p.74
一六九五年カムチャツカ半島には
現在カムチャダール族といわれる人が当時住んでおり、
アイヌを通じて日本から針を手に入れって
こんな文章を読むと、
ほんと戦争ってばからしいし、国とか国境なんてなんだかなぁと思っちゃいますよね。
もちろん歴史とは戦争の歴史と言ってよく
また現在でも人が人を殺すことは止まないのだけれど
私利私欲がなければ発展もないのだけれど
戦争が伴う発展には目を背けてします。
諍いをおこすのであれば
まぁまぁいいじゃないとなれない人がなんと多いことか
まぁまぁいいじゃないは逃げなのだろうか。
投稿元:
レビューを見る
ロシアとは何か?
なぜロシアはこんなに広大なのか?
なぜロシアはこんなにも大きいのに大統領制なのか?
どうしてロシアがロケットに固執したのか?
知っているようで知らない大国の歴史を
司馬さんらしい読みやすく、言いえて妙な文章で
すらすらと頭にインプットすることができる面白すぎる本。
今のテーマはいかに、きちんとした世界史を学ぶか。
そして、今まで学校で習った「世界史」が
勝者の歴史でしかないことをそのたびに実感します。
投稿元:
レビューを見る
中国東北旅行中に読んだので、後半の清朝のモンゴル対策は非常に興味深かった。
ロシアについては、
菜の花の沖
坂の上の雲の
復習。
投稿元:
レビューを見る
ロシア。ユーラシア大陸の多くの部分を占めるこの国の成り立ち、歴史。『菜の花の沖』『坂の上の雲』という二つの大作を書く中で司馬氏はロシアについて綿密な研究を行った。
その成果をまとめたのがこの本。
ロシア人は、長い間モンゴル人の支配下にあり、自前の国家を持ったのが非常に遅かった。独立後は東へ東へを領土をひたすら拡張。
黒貂(こくてん・クロヒョウのこと?)の皮のもたらす莫大な利益を求めてシベリアを侵略。ユーラシアの東の果てに発見したのが日本という島国だった。その時日本は江戸時代であった。
この本を読むと、ロシアというのは地理的に日本に非常に近いというのを改めて思い知らされる。そして、シベリアの大地ってどんなところなんだろう?とか、もともとシベリアに住んでいたブリヤード・モンゴル人をはじめとした原住民はどんな生活をしていたんだろう?とか、シベリア鉄道に乗ってみただとか、想像を膨らませる。
狭い世界に生きながら
少しは広い世界を覗くことができた気がする。
投稿元:
レビューを見る
ロシア人によるロシア国の誕生、それ以前の遊牧民族の支配、広大なシベリアへの進出。
そのシベリアと国内を維持するためにロシア帝国が熱望した存在、日本。
ゴローニン事件、日露戦争、シベリア抑留、北方領土問題。
日本とロシア、二国間の隔たりとそこに横たわる数々の過去の事件と現在の問題。
ロシアはなぜ、今のような国、特異性を持つようになったのか。
民族・国家・歴史。氏が、「坂の上の雲」や「菜の花の沖」を書き終えた後に感じたことなどを綴ったエッセイ。
国家の相互の無理解によって悲惨な歴史が今も作られつつあり、しかし過去の過ちを二度と繰り返さないためには、お互いの国家の"原形"を知り、その上で対話することが理想的。
コサックに関しても、普通のロシアの農民だと思っていたのですが、実はぜんぜん違う存在でした。
ロシアという国に外国への猜疑心、潜在的征服欲、火器への異常な信仰などの性格を植えつけた歴史的背景。
鎖国下の日本に、開国を迫るために相前後して来航したアメリカのペリーと、クルーゼンシュテルン・ゴローニン・プチャーチンなどロシア帝国の、同じ海軍軍人同士の人物・交渉手段の違いについてもわかりやすく書かれていて、歴史雑学ものとして読んでも十分楽しめます。
投稿元:
レビューを見る
ロシアは北方領土四島を返還することはない。その理由としてヤルタ協定のなかで広大なモンゴル高原と四島を含む千島列島、それぞれに1条項を立て戦後領域が決められたのだとか。もし、ロシアが四島を返還するとなれば、当然、中国は外モンゴルを帰せとロシアに迫るだろう。四島返還はそう簡単な話ではない。
投稿元:
レビューを見る
シベリアと日露外交史が焦点。情報量多い。
日露青年交流センター長曰く、「北方領土の問題以外についてはロシアをよく捉えている。」
投稿元:
レビューを見る
ロシアという国家の原形をとらえ、日本との相互作用を辿っていく。
原形に触れるという作業は、体制の如何を問わず、その国が持つ、固有の国土と民族と歴史的連続性を取り出すことである。
武力のみが国家を保つという物騒な発想を、ロシアはキプチャク汗国から学び、引き継いだ。
シベリアという巨大な荷物の、経済的うまみを創出するために、清国領、満州の一部を手に入れ、朝鮮にまで手を出そうとしたことで、日本に恐怖を与えた。それが日露戦争につながった。
日本は明治末年、この戦勝によって、柄にも無く、”植民地”を得た。それに見合う陸海軍を持たざるを得なくなり、政治までもが変質していった。そして国家の器量に見合わないことをやるようになる。1918年から数年続いたシベリア出征である・・・
このように日本とロシアは、交渉が始まって、200年あまりの間に、作用と反作用が累積しすぎた。お互いに、“おびえ”という心理作用が存在する中では、慣習や儀礼を重んじる成熟した国家関係に成長することはできない。
翻って、現在のロシアとウクライナの問題を考えると、ある種の連続性が存在する。やはり、その国の行動を理解するには、その国の歴史を学ぶ必要がある。
投稿元:
レビューを見る
江戸も中期に及んでようやく存在を意識し、駆引きを初めて250年ほどのロシアについて、示唆に富んだエッセイにより学ぶ。欧州人はロシア平原でロシアを感じるのに対し、我々日本人はシベリアでロシアを感じる。よって本著では、ウラル山脈以東における民族の栄華と零落としてモンゴル、そして清王朝についても詳しい。他民族に対して、日中蒙は軽視する傾向にあるが、露は親切に対応すると評価される。北方四島の返還について、そもそも領土問題について、外交レベルの主張はあっても国民運動にしたてることの無意味さがおぼろげに見えてきた。
投稿元:
レビューを見る
高校の頃に買ってきて以来そのままで、綴りがほどけそうになっていたのを家族が電子書籍風にしてくれました♪少しずつ再読中です。遊牧民族の西征、キプチャク汗国、タタールのくびき。あの頃は、それとは別に「おびえ」と「倨傲」は裏表という言葉が記憶に残ってましたね。国と国との関係も人と人との関係みたいに捉えることができるのが面白かったのだろうし、またこの一見、両極端に思える組み合わせは新鮮だったと記憶しています。実生活で思い当たること、あるあるです。ただ今の所ロシアはそういう言葉では収まらない存在なのではないかな、という気が多分にしています。素朴で底知れぬ国という。
投稿元:
レビューを見る
昭和61年第一刷。司馬さんの文章は頭に入りやすく、ロシアを知るには詳しく読んで正解でした。司馬さんの雑談も興味深い。
9Cにウクライナのキエフに国家が出る。
ギリシャ正教であるのは、スエーデン人が海→川→内陸とビザンティンの文化を導入。
多民族国家である。
12C末にはモンゴルにチンギス・ハン登場。
1234年~1502年までキプチャク汗国の支配下259年間の影響
①外的を異様に恐れる。
②病的な外国への猜疑心そして潜在的な征服欲
③火器への異常信仰
ロシアは13Cまで歴史料も少ないらしい。
コザックの存在。
イヴァン3世
イヴァン4世の恐怖政治
17Cにロマノフ王朝。専制政治地主と農奴
国民の35%が異民族であるからこその独裁政治と軍事力。シベリア開発のために日本に固執。
投稿元:
レビューを見る
(2016.05.12読了)(2016.05.08借入)
副題「北方の原形」
トルストイの『戦争と平和』を読みながらちょっと寄り道で、ロシアの歴史を読んでいます。
三冊目は以前から気になっていた司馬さんの本です。「図説ロシアの歴史」栗生沢猛夫著、を補完してくれる本でした。
9世紀のキエフ国から説き起こしている点は同じなのですが、タタールのくびきの部分は、こちらの方が興味深く読めました。
そのあとは、シベリア征服、カムチャッカ、千島列島、と東方に進出してくるのですが、そのあたりは、「図説ロシアの歴史」では、ほとんど触れられていないところです。
司馬さんは、『坂の上の雲』と『菜の花の沖』を書きながらロシアについて考えたことを改めてまとめてみたということですので、日本との接触についてが、大きな関心事だったわけなので、ロシアの東方での活動に重点が置かれているのはもっともです。
東方の拠点としてのバイカル湖やモンゴルについても触れられています。
アラスカの露米会社についても述べられています。知らない話が多いので、興味深く読めました。
ロシアはカザックと調停してシベリア征服を行い、東方進出したけれど、食糧確保のために、日本との交易を望んだけれど、日本は江戸時代で、鎖国中だったために何度も交易を断られ事件を起こしたりしたようです。
そういえば、「世に棲む日日」でも、対馬がロシアに一時占領された話が出ていたような気がします。
北方領土問題に関しては、無償で北方四島がロシアから帰ってくることはないだろうと述べています。もし、無償で帰ってきたら、ほかの領土も返さないけないところがいっぱいあるので、ということです。この本が出た後、ソ連が解体しているので、多少事情は変わっているのかもしれませんが。
最近、安倍首相とプーチン大統領の間で、新しい発想で領土問題を解決するというようなことが言われていたようですが、日本がロシアにお金を払って、北方四島を返してもらうということなのかもしれません。
ロシアの東方進出と日本との接触について興味のある方にお勧めです。
【目次】
ロシアの特異性について
シビル汗の壁
海のシベリア
カムチャッカの寒村の大砲
湖と高原の運命
あとがき
地図(ロシア関係図)
●ロシア人国家(15頁)
ロシア人は、国家を遅くもちました。ロシアにおいて、国家という広域社会を建設されることが、人類の他の文明圏よりもはるかに遅れたという理由の一つは、強悍なアジア系遊牧民族が、東からつぎつぎにロシア平原にやってきては、わずかな農業社会の文化があるとそれを荒らしつづけた、ということがあります。
ロシア人の成立は、外からの恐怖をのぞいて考えられない、といっていいでしょう。
●キエフ国家(17頁)
九世紀に樹てられるキエフ国家の場合も、ロシア人が自前でつくったのではなく、他から国家をつくる能力のある者たちがやってきたのです。やってきたのは、海賊を稼業としていたスウェーデン人たちでした。かれらは海から川をさかのぼって内陸に入り、先住していたスラヴ農民を支配して国をつくったとい���れています。
●皇帝と将軍(26頁)
皇帝は、貴族団の巨大なものであるという点、将軍家が大名の大いなるもの、という本質と似ています。また皇帝も貴族もそれぞれ領地をもっている、将軍家も大名もそれぞれ領地をもっている、ということでも似ています。似ていないのは、日本の封建制では、将軍家も諸大名も、その領地支配のあり方は、ロシア皇帝・貴族のように、地主ではなかったということです。
ロシア貴族は、領地をもつ場合、地主であっただけでなく、その所有地の上に載っている農奴も私物でした。農地・農奴は地主の貴族の意志によって売買されます。
●農奴制(31頁)
ロマノフ朝にあっては、地主貴族が農奴を私有することが、その基礎になっていました。
一人の人間が多数の人間を私有するという慣習および法制化(1649年以後)は、キプチャク汗国時代と本質的に変わっていません。ロシアの農奴にとっては、モンゴル人の貴族が、ロシア人の貴族にとって代わっただけではないかということであったかもしれません。
●黒貂(43頁)
シベリアの大地は、ながいあいだロシアにとって毛皮を採集するためにのみ存在した。とくにそこに多く棲んでいた黒貂の毛皮はパリの市場に出せば、当時のロシアの産業水準の低さからみれば慄えるほどの高価な値段で売れるのである。
●イヴァン四世(50頁)
ロシア史にとってイヴァン四世はロシア人のロシアを確立する上では功が大きく、スターリンも、レーニン以前の政治家としてはもっとも高く評価した。
●コザック(61頁)
コザックは歴としたロシア人ながらも、ロシア人一般とは文化を異にする漂泊の辺境居住集団と見るほうがいい。
かれらは、本来、ロシア体制からの逃亡者であった。
●蝦夷地と大坂(87頁)
この時代、蝦夷地(松前藩)と大坂間には織るように船がかよい、その船は魚肥を満載して大坂に荷上げした。大坂の魚肥問屋はそれを全国に撒くのである。魚肥は棉作に欠かせぬものだが、北海道の鰊は綿のかたちになって四民に衣料を提供していたことになる。
●北方経済(90頁)
千島アイヌが、仲介者として活躍するようになった。大坂を本拠とする商人が、コザックの必要とする食糧(米や酒)を千島に持って行き、コザックから蝦夷錦を手に入れ、大坂の市場に出すようになったのである。
●海員らしさ(118頁)
露米会社の船乗りたちから察するに、この時期、ロシアの商船はなお、世界の普遍的な海員らしさというものを獲得していなかったのだろうか。普遍的な海員らしさというのは、軽快さと機敏さ、そして清潔、注意深さ、さらに欲を言えば身ごなしのカッコよさということになるが、とうてい程遠かった。
●世界周航(131頁)
ピョートルの航海はじめから百六年経って、1803年、ロシアは最初の国家事業としての世界周航に乗り出すのである。クルーゼンシュテルン航海がそれであった。
●商業(139頁)
商業がおこる社会は、人間意識を変えて、合理的なものの見方へ方向づけるものなのである。従って、商業ときびすを接するようにして、科学と文学が勃興した。
●アレクサンドル一世(152頁)
ロシアではパーヴェル一世が謀殺されて、アレクサンドル一世(1777~1825)が即位することになる。この新皇帝は���善への能動と極端な猜疑が一身に同居しているといわれた皇帝である。
●海軍兵学校(166頁)
十八世紀にあっては、文明の最先端の事象と世界把握の方法のほぼすべてが、この海軍兵学校という場所で得ることができた。天文から風浪という地球の生理、世界の政治と経済、さらにはヨーロッパの知識階級を過熱させていた非ヨーロッパ世界の地理、政治、文化、民族、動植物を探査する教養―もしくは探査できる技術―が、この場所に詰め込まれていた。
●非武装の国(175頁)
江戸期の日本は世界の文明国の歴史のなかで、類がすくないほどに非武装の国であった。
●シベリアにおける婦人の不足緩和(192頁)
コザック及び産業化は、ロシアを出発するにあたり、結婚の約束又は結婚を世話する約束をもって、婦人や娘を連れだし、シベリアに来て、彼女等を奴隷として売った。
●元の滅亡(204頁)
元の場合、帝国維持が不可能とみると、じつに淡泊だった。中国内部にいたあらゆるモンゴル人が、騎乗する馬に鞭を当て、武装したままで北のモンゴル草原を目指して帰ってしまった。当時、漢民族は、この歴史現象を、「北帰」とよんだ。
☆関連図書(既読)
「トルストイ『戦争と平和』」川端香男里著、NHK出版、2013.06.01
「戦争と平和(一)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.01.17
「戦争と平和(二)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.02.16
「戦争と平和(三)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.03.16
「戦争と平和(四)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.05.16
「戦争と平和(五)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.07.14
「図説ロシアの歴史」栗生沢猛夫著、河出書房新社、2010.05.30
「女帝のロシア」小野理子著、岩波新書、1994.02.21
「おろしや国酔夢譚」井上靖著、文春文庫、1974.06.25
(2016年5月17日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
巨大な隣国・ロシアを、いかに理解するか。歴史をつぶさに検証してロシアの本質に迫り、両国の未来を模索した評論集。読売文学賞受賞。
投稿元:
レビューを見る
坂の上の雲、執筆中に調べていたロシアの歴史
遊牧民族蒙古に殺戮で想像以上のひどい目にあっていた
略奪しかしない。自分達で作るかわりに技術者を連れ帰り武器を作らせた。燃えた石が飛来してきた時の恐怖。
蒙古の精鋭部隊は10000人にも満たない。広大なロシアの地を治めるには少なすぎた。突然の内紛で蒙古が消失
シベリアに進出したのはクロテンの毛皮とり。
シベリアには産業がないので、食えない。日本という国があるのを知ったのあhコロンブスアメリカ大陸発見の200年後
徳川家光の頃だった
投稿元:
レビューを見る
氏が「菜の花の沖」「坂の上の雲」を書く際に考え続けていたロシアという国の本質について考察した本。現在読んでも全く古さを感じず、この国の本質を考えるヒントを与えてくれる。
国の成り立ちや侵略された歴史から国家としての性格が形作られていった様子がよく分かる。特にシベリア等の極東開拓の歴史は日本人として知っておくべきだろう。
ロシアの側から見れば、北方領土とモンゴルをセットにして捉える必要があるなど、北方領土問題を語る前に我々国民もロシアのことをより知る必要があることを再認識した。この問題においては変に国民感情に訴えることは慎まなければならないという、氏の考えには全く同感する。
投稿元:
レビューを見る
北方四島への関心から20年ぶりに再読。司馬さんがこれを書いてから30年以上経ち、ジャパンアズナンバーワンは遠くなり、ソ連は崩壊しています。歴史書ではないし、参考文献もありません。でも、司馬さんの縦横無尽で俯瞰的な視線は、今も魅力的です。ロシアについて書かれていますが、他の作品同様、日本のかたちも模索しています。ただ肝心の北方四島の記述が浅いのが残念。