紙の本
若手の哲学者、萱野稔人氏による国家、資本が非支配階級から金を吸い上げる仕組みを「暴力」をキーワードにして解説した興味深い書です!
2020/06/12 09:48
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、若手の哲学者で、テレビコメンテーターやラジオパーソナリティとしても活躍されている萱野稔人氏の非常に興味深い作品です。同書では、国家、資本が非支配階級から金を吸い上げる仕組みを「暴力」をキーワードにして解説してくれます。 つまり、簡単に言い換えると、「資本主義は、カネを稼ぐという希望を無限に刺戟することで、労働を組織化することができるのだ」ということのようです。同書の内容構成は、「第1章 カネを吸いあげる二つの回路」、「第2章 国家と暴力について」、「第3章 法的暴力のオモテとウラ」、「第4章 カネと暴力の系譜学」となっています。
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カネと暴力の関係、国家とはそもそもの仕組みやそこで動いているものの意味のようなものを説明する。説明の仕方はこれだけではないかもしれないけれど、かなり強力な説明の一つだと思う暴力という言葉が嫌なら強制力と置き換えても構わない。この運動のどこに問題があり、どこへ行くのか、それは大きな運動の中で問題として扱えるのかどうやってそれを担保するのか読んでいると様々な問いが出てくる。そういう疑問が湧くということはいい本なんだと思う。
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以前単行本で持っていたものを文庫で買い直しました。もっと早く読んでおけばよかったと反省しています。若い子に特に読んで欲しいです!
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国家と暴力、国家と資本の関係について、著者みずからの思想をわかりやすい文体で展開している本です。
国家は唯一、正当な暴力を行使することのできる主体として存在しています。著者は、人びとの公共性にもとづいて正当性が担保されるという発想をしりぞけ、国家が暴力を独占し、暴力の合法性を独占することが根本にあると主張します。さらに、上部構造である国家は下部構造である生産様式によって決定づけられているというマルクス主義の立場を批判し、国家による暴力の独占によって、資本が身分制度から解放され、資本主義の全面化が生じたと論じています。
著者の議論の背景にはドゥルーズ=ガタリの思想がありますが、著者自身はポストモダン左派の国家観に同調することはなく、暴力と資本を支える国家の機能をクールな観点で把握することに努めているような印象を受けました。
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今回は感想というより要約になってしまった。 以前国家は暴力の実践を通じ、労働を組織化し、その成果を吸い上げていたが、労働の組織化を代わりに行うようになったのが資本である。しかし、資本は暴力ではなく、富への権利(カネやモノの所有権)を使いそれを行なっている。 そして資本主義が社会に確立するにつれ、国家は労働の組織化を資本に任せ、暴力の実践つまり暴力の権利(国家のみが持つ正当な暴力行使)に基づいて富(税)を徴収し法的秩序を維持することに特化する。