投稿元:
レビューを見る
タイトルからは行動経済学を学べるのかと思ったが、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーという二人のユダヤ人心理学者に関するノンフィクション小説のような内容であった。
内容自体も訳が自分には合わなかったのか、面白く感じることがなく、途中で読むを止めてしまった。
投稿元:
レビューを見る
著者の本は初めて。行動経済学の本かと思ったらほとんどが心理学の話だった。ダニエルカーネマンの著作にも興味が出た。詳細→http://takeshi3017.chu.jp/file7/naiyou25401.html
投稿元:
レビューを見る
リチャード・セイラー「行動経済学の逆襲」からの流れで。最初はNBAのスカウトの話で、うわっ、全く興味ない〜と思ったけど、ダニエル・カーネマンの生い立ち辺りからはフムフム。
イスラエル建国直後、ヘブライ大学の心理学部設立計画はアラブの襲撃によって頓挫。教授連は欧州からの避難者で、スペシャリストと言うより訳あり人間の集まり。ほぼ独学で卒業直後に入軍したら、心理学部隊に配属。上司は化学者で、20歳でイスラエル国防軍の心理学的問題の専門家ということに。
異文化異言語寄せ集めのイスラエル国防軍。ただし既に多くは腕に数字の入墨があり、酷い恐怖に耐えた経験者…。そして、今もイスラエル軍で使われている「カーネマン・スコア」を開発する。“ユーモアなしのウッディ・アレン“とは、イメージしやすい表現だ。
一方で、エイモス・トヴェルスキーの方は、奇人変人振りが強調され過ぎてて、その優秀さが分かりにくい。
それに、大学教授が戦場に召集されるようなイスラエル情勢が背景でチラつき過ぎて、落ち着いて読めなかった。
投稿元:
レビューを見る
ダン アリエリー以来、行動経済学の本は好んで読んでいたけど、創始者達の話もまた面白い。
カーネマンとトヴェルスキー関係の後半は、何だかカーネマンにとってかわいそう。。ノーベル賞が生きている人にしか与えられない賞であることが、不思議な味付けとなっている気がする。
投稿元:
レビューを見る
行動経済学がこんな形で作り上げられたとは知らなかった。それにしても、最期の頃は2人の関係が上手くいっていなかったのは本当に残念。そのままの関係が続けばもっといい論文が出たかもしれないのに。
投稿元:
レビューを見る
ある意見を固めると、その意見の根拠となる証拠を集める(確証バイアス)。
生物がどのように行動するかに注目する行動主義の代表であるスキナーは、動物の行動が思考や感情から生じるのではなく、外部から与えられる報酬と罰によって決定されると考えたが、人間を対象とした実験は現実的でなかった。
ドイツ系ユダヤ人を中心に始めたゲシュタルト心理学は、外部からの刺激と人間の感覚との間には、はっきりとした関連はなく、脳は集めた情報から意味を生み出すことを実証した。
最初の評価で生じた感覚は、次の評価にも取り込まれる(ハロー効果)。
<解説より>
ブレグジットとトランプ選対には、ケンブリッジ・アナリティカという人心操作の黒幕企業がいた。アメリカのヘッジファンド「ルネサンス・テクノロジー」の共同CEOの富豪がスポンサーだった。
投稿元:
レビューを見る
マネー・ボールの著者、マイケル・ルイスが二人のユダヤ人心理学者ダニエル・カーネマンとエイモス・ドヴェルスキーについて調べてまとめあげた本です。
ストーリーは時系列をおいつつ、住む場所や大学を変わるたびに当時近くにいた多くの人の証言を取り上げていていて、最後まで読者の興味を引き続ける構成になってます。アメリカでベストセラーを多く書いてきた著者の実力がよくわかります。
自分の判断が本当に正しいのかと、判断ミスが発生する前にブレーキをかける癖をつけるという意味でも読んでよかったと思える一冊です。
投稿元:
レビューを見る
行動経済学の始まりの物語。
・どんな分野の専門家でも、その人自身の頭の中でなぜ判断が歪められてしまうのかについては、すでに何年も前に説明がなされている。それを行ったのは、二人のイスラエル人心理学者、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーである。
・スカウトはほぼ一瞬で印象を決め、そのあとはそれに合うデータを集めてしまう傾向にあるのだ。これは”確証バイアス”というものだ
・悲観的だと悪いことを二度も経験することになる。一度は心配しているとき、二度目は本当に起こるときだ。
・人はものごとの本質で選ぶのではない。ものごとの説明のしかたで選ぶのだ。
投稿元:
レビューを見る
この本、図書館で経済学の棚にあったけど・・・どうなんだろう。内容的には文学(ノンフィクション)の棚の方がふさわしいんじゃないかなぁ。
だって、これは完全にラブストーリーだと私は思った。
行動経済学の開祖、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーの二人の出会いと別れの物語。
著者マイケル・ルイスも、「二人の関係は性的なものが介在されない恋人同士みたいなものだ」というようなことを書いていたが、本当にそうだと思った。(書かれていた箇所が見つからないので、申し訳ないですが正確な引用ではないです)
起きている間はいつも一緒にいて、二人でこもる研究室の扉の向こうからはずっと笑い声が聞こえている。他の人は誰も共有できない二人だけの世界。
こんな幸せな人生ってあるかしら、と読みながら思った。当時の奥さんはひそかに嫉妬していた、というが、そりゃそうだよなぁ、と思った。
独力で偉業を成し遂げることももちろん素晴らしいことだと思うけど、以心伝心の親友と二人で毎日笑いながらアイデアを練り上げて、その結果、世界を変えてしまうようなすごいものが出来上がる、って最高じゃないかと思う。私も奥さんじゃないけど、いいなぁ、二人だけでそんな楽しいことして、と思った。
そして、この二人ほどの偉業じゃなくても、古今東西の産業界を探すと、いろんな形(カップリング)の似たような疑似恋人関係ってけっこうあるんじゃないのかなぁ。
それを幸せと言わずして何を幸せと言うのか、という感じ。
初期値に推計値が左右されることに気づかない「確証バイアス」や、インプットのパターンに一貫性があると、理屈抜きで予測に自信満々となる「妥当性の錯覚」などは、用語は知らなくても、今はわりとみんな知っている脳のはたらき、という感じがするけど、ほんの4~50年前まではこんな風に誰も思いもよらないことだったんだ、とビックリした。こうして綺麗に整理されて説明されると、まるで自明のことのように感じるけれど、ここまでスッキリ説明されるまでには、二人の天才の頭脳による長い考察と研究が必要だったんだなぁ、と驚く。
そして、この二人のバックグラウンドとして欠かせない、イスラエルという国の特異性も、読んでいて非常に驚かされた。
ニュースで聞くイスラエルという国は、いろいろと遠すぎて私にはあまりピンと来ないのだが、こうして「誰かの物語」の背景として読むと、いろんな意味で分かりやすく、あらためてイスラエルのすごさに度肝を抜かれた。(この国に対しての「すごい」の意味はポジティブ・ネガティブ両方ある)
なんか、うまく言えないけど、とにかく、いろいろすごい。
この本は、マイケル・ルイスの中では、ちょっとわかりづらいというか、読みづらいなぁ、と思った。
でも、たぶん、もともとマイケル・ルイスの文章というのはそういうもので、私が今まで読んだのは東江一紀さんが訳していたからスイスイ読めた、という部分もあるのかも、と思った。
この本の訳も全然悪くはなかったけれど(東江さんと共訳されていた方だし)、でもところどころで、「ん?この指示代名詞は何を指���のかしら」と首をひねる箇所がいくつかあった。たぶん原文がそうなのかな。
構成も、少々もたついている印象だった。
投稿元:
レビューを見る
序章 見落としていた物語
野球界にはびこるさまざまなバイアスと、それを逆手にとった貧乏球団のGMを描いた「マネー・ボール」。その刊行後、わたしはある批判的な書評を目にした。「著者は、野球選手の市場がなぜ非効率的なのか、もっと深い理由があることを知らないようだ」。その記事には二人の心理学者の名前が挙げられていた。
第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか?
あるNBAチームのGMは、スカウトの直感に不信感を抱いていた。彼らは自分にとって都合の良い証拠ばかりを集める「確証バイアス」に陥っていたのだ。彼らの頭の中では、いったい何が起きているのか。それは、かつてダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが直面し、解き明かした問題だった。
第2章 ダニエル・カーネマンは信用しない
ナチスからの過酷な逃亡生活を経たダニエルは、終戦後、独立戦争さなかのイスラエルに向かった。戦争中の体験から「人の頭の中」に強い興味を抱いた彼は、軍の心理学部隊に配属される。そこで課せられたのは、国家の軍事力を高めるべく、新人兵士の適性を正確に見抜く方法を作成せよという離問だった。
第3章 エイモス・トヴェルスキーは発見する
高校卒業後、イスラエル軍の落下傘部隊に志願したエイモス。闘士として戦場を駆け回った彼は、創設直後のヘブライ大学心理学部に入学する。「CよりB、BよりAが好きな人は、必ずCよりAが好き」という人間像を前提とした既存の経済理論に疑問を持った彼は、刑務所の囚人を集めてある実験を行なった。
第4章 無意識の世界を可視化する
人間の脳は無意識のうちにどんな働きをしているのか。その研究にとりかかったダニエルはやがて視覚に辿りつく。人の瞳孔は、好ましいものを見ると大きくなり、不快なものを見ると小さくなる。そしてその変化のスピードは、人が自分の好みを意識するより早かった。彼は、目から人の頭の中をのぞき始めた。
第5章 直感は間違える
「人の直感は、統計的に正しい答えを導き出す」。長らく信じられてきたその通説を打ち破ったのは、ヘブライ大学で出会ったダニエルとエイモスの二人だった。たとえ統計学者でも、その直感に頼った判断はいとも簡単に間違うことを証明した二人の共同論文は、それまでの社会科学に反旗を翻すものだった。
第6章 脳は記憶にだまされる
専門家の複雑な思考を解明するため、オレゴン研究所の心理学者たちは医師に簡単な質問をして、ごく単純なアルゴリズムを作成した。だが、手始めに作られたその「未完成のモデル」は、どの有能な医師よりも正確にがんの診断を下せる「最高の医師」になってしまった。いったいなぜそんなことが起きたのか?
第7章 人はストーリーを求める
歴史研究家は偶然にすぎない出来事の数々に、辻複のあった物語をあてはめてきた。それは、結果を知ってから過去が予測可能だったと思い込む「後知恵バイアス」のせいだ。スポーツの試合や選挙結果に対しても、人の脳は過去の事実を組み立て直し、それが当たり前だったかのような筋書きを勝手に作り出す。
第8章 まず医療の現場が注目した
北米大陸では���自動車事故よりも多くの人が、医療事故で命を落としていた。医師の直感的な判断に大きな不信感が漂うなか、医学界はダニエルとエイモスの研究に注目。医師の協力者を得た二人は、バイアスの研究を次々と医療に応用し始める。そしてダニエルは、患者の「苦痛の記憶の書き換え」に成功する。
第9章 そして経済学も
「人は効用を最大にするように行動する」。この期待効用理論は、経済学の大前提として広く受け入れられてきた。だがそれでは、人が宝くじを買う理由すら説明できない。その矛盾に気づいたダニエルとエイモスは、心理学の知見から新たな理論を提唱する。その鍵となったのは、効用ではなく「後悔」だった。
第10章 説明のしかたで選択は変わる
六百人中、二百人が助かる治療法と、四百人が死ぬ治療法。この二つの選択肢はまったく同じ意味であるにもかかわらず、人はその説明の違いに応じて異なる反応を見せる。ダニエルとエイモスが見つけたこの「プロスペクト理論」は、合理的な人間像を掲げてきた既存の経済学を、根底から揺るがすことになる。
第11章 終わりの始まり
共同研究に対する賞賛は、エイモス一人に集中した。その状況に対し、徐々に妬ましさを感じ始めたダニエルは、エイモス抜きで新たな研究に取り掛かる。人が「もう一つの現実」を想像するときのバイアスに注目したそのプロジェクトが進行するなか、十年間に及ぶ二人の友情の物語は終焉へと近づいていく。
第12章 最後の共同研究
ダニエルとエイモスの格差は広がる一方だった。そんななか、かつての指導教官をはじめ、彼らの研究は各方面からの攻撃に曝される。その反撃のため二人は再び手を組むも、ダニエルはその途中でエイモスと縁を切る決意を固める。二人の関係が終わったその直後、エイモスは医師から余命六か月と宣告される。
終章 そして行動経済学は生まれた
脳には限界があり、人の注意力には穴がある。ダニエルとエイモスが切り拓いたその新たな人間像をもとに、「行動経済学」は生まれた。エイモスの死後、その権威となったダニエルは、ノーベル経済学賞の候補者に選ばれる。発表当日、一人連絡を待つダニエルの胸には、エイモスへのさまざまな思いがよぎる。
投稿元:
レビューを見る
2010年にデータ分析を武器にMLBの常勝球団となったオークランド・アスレチックスのGMビリー・ビーンの物語「マネーボール」は経済に理論を持ち込んだ。しかし、その先人はイスラエル独立戦争のころから活躍していたダニエル・カールマンとエイモス・トベルスキーであった。イスラエル陸軍のアドバイザーとして、教育訓練や作戦に生きたデータ活用を経験した二人は、1976年ヘブライ大学からスタンフォードに居を移す。アメリカで行動経済学として二人の研究成果が注目されるまでには長い年月を要した。1996年にエイモスが死去し、2002年にノーベル賞を受賞。それからようやく、どうして人間は不合理な意思決定を行うのかの学問が花開くことになる。