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期待して読みましたが、とてもわかりやすく読んでてめちゃくちゃ面白かった。
正解のコモデティ化、VUCA、自己実現的消費、ルールが追いつかない世界においてサイエンスでは対応しきれなくなっている。
再現性のあるものはコピーされてもアート(思いとかストーリー)はコピーされない。
芸術的センスと技術にどんな関係があるかははっきりしてないそう。
最後にどうやって美意識を高めるかについても触れられていてよいです。詩も読んでみようと思った。
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つまりは受験勉強に例えるなら、、、最初は全然だったけど、いろいろなセンター試験対策が編み出されてみんなセンターでそこそこ点を取れるようになってきて差がつかないだろうから、センター試験対策だけじゃ到底どうにもならない二次試験の勉強しとくか。まず美意識やっとこ。
みたいな。クソエリートですわ。
でもなんていうかこれは良くないんだろうけど、あたしゃー競合の少ない大企業に守られて家族と楽しく過ごすのが一番生きやすいのよ。コスパがいい。楽。自分の好きなことをして生き生きする人がいる一方で、企業の看板を縦にしてぬくぬくストレスもなく生きる人もいる。大企業に入って仕事をすること全てが即幸せだとは限らない(というか「大企業」の幅が広すぎる)けど、真面目で素直な家庭ほど、これが自分なりの答えなんだと細胞レベルでプログラミングされている。
すげえそれたけど、美意識が経営エリートには必要です!!!ってのは「なるほどふむふーむ」って以上の感想がない。取り巻く環境の変化や背景にいちいちなるほどなるほどって心から思うし、そう気づけて提言できる筆者はすげえし、そういうことを言う役割は必要だし、この本が売れる世の中は捨てたもんじゃない。上っ面のペラッペラな実践手引きが書いてあるわけじゃない、どちらかというと現代社会のあり方に一石を投じるコラムの位置付け。面白かった。哲学を学ぶのはありじゃないか。それがだめなら日本文学。VUCAだろうがなんだろうがそんなの昔からそうなんだろうから、先人の考え方をなぞって、そこはアートだけじゃなくクラフトでもいいから原理原則を学びなおすのもいいんでないか。
以下メモ
なぜ美意識が必要か
1 みんながITやら何やら駆使して問題解決スキルを上げて来たため、みんなが正解を導けるようになった。つまり企業競争に差がつかない。昔の日本はそれでも、スピードとコストで勝負できたけど、これからはそうはいかない。その中で飛び抜けるには武器が必要。あと世界はVUCAなので合理性を求めるあまり意思決定が膠着しがち。
2 価格競争やら機能優位性ではなくて自己実現のために消費行動を起こししつつある。これから製品に求められるのは、ブランドに付随するストーリーと世界観。デザインや機能はコピーできても、ストーリーはコピーできないから。となると必要なのは1のようなコモディティ化した情報処理技術に基づくマーケティングスキルではない別の感性が求められる
3 システムの変化にルールが追いついていない。クオリティの高い意思決定をこれからの時代に継続して出来るためには、明文化されたルールや法律だけに頼るのではなく、内在的に「真、善、美」を判断できないといけない。
戦コンの変化に出てきたのが面白かった
クラフト 過去の失敗経験をふまえてこのような意思決定となりました。
サイエンス さまざまな情報を分析した結果、このような意思決定となりました。
アート なんとなくふわっと、これがいいかなと思って意思決定をしました。
ここま���は要約というか個人的なメモで
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これはほんとに読んで良かった。今の世界がどんなパラダイムで動いているのか、またそれがどんな問題の原因となっているのかが俯瞰できた。
DeNAが問題になった時に「これってみんなやってるじゃん」って薄々思った自分としては耳がいたい内容だった
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今のマネタイズだけを考えたビジネスモデルに警鐘を鳴らす、素晴らしい本です。
アート、クラフト、サイエンスの人材バランス、そして、ビジネスには「美意識」が必要。
日本人がなくしかけているもの、そして、古来から持っている日本人の素晴らしさについて書かれている、一読すべき本です。
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アートか、ちょっと意味合いは違うかもしれないけど、いい仕事は美しいよな。
自分の感性を鍛えるために、良いものを見ること、文学や良い音楽に接する事か。
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題名への結論は、従来のサイエンス重視の意思決定ではVUCA時代の経営を舵取りできないから。具体的な理由は、①世界が複雑だからこそ、全体を直感的に捉える感性や構想力・想像力が必要、②世界はモノではなくコトを求める傾向にあり、人々の自己実現を刺激するような感性や美意識が必要、③ルールがない領域でビジネスが展開される中で、判断の拠り所となる美意識が必要。そして、美意識を鍛えるための手段についても複数の例を取り上げる。アートを見て、その上で感想を他人とシェアし、無意識で行っているパターン認識から脱すること、哲学を学び無意識のうちに受け入れている世の中の「当たり前」に疑問を持てるようになること、レトリックを学びリーダーとしてのコミュニケーション能力を磨くこと。今までなんとなくアートを学ぶべきとは思っていたが、明確にその必要性を言語化してくれている点にとても価値があると感じた。
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コンサルタントを経験し組織開発・人材育成を専門とする著者が、最近の経営に大切な美意識について論じている。経営のタイプを「アート」「サイエンス」「クラフト」に分けているが、「アート」はアカウンタビリティの弱さがあり、イノベーションが阻害されるパターンをわかりやすく説明している。また、「サイエンス」が幅を利かせると、導き出される解答がコモディティ化され、レッドオーシャンに陥りやすい現代の経営問題を指摘し、その為にも「アート」の領域を経営に生かすべきだという主張は面白い。「アート」は審美眼としも考らえ、経営において重要な事を決めるのに美意識が必要で、特に内輪の論理に陥りやすい日本の組織には大切だとしている。問題は、美意識をどうやって養うかだが、歳をとってから養えるものなのか疑問が残る。
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著者の直感なのか科学的根拠がはっきりしていることなのか区別して書かれてはいませんので、書いてある内容をいちいち疑いながら読んでしまいました。
内容的には昔から言われていることを、今風にアレンジしているだけのような気がします。特に新しい気づきはないですね。
んー、、正直、カッコよく言おうとしているだけかな・・・と思いおます。
以下、引用
“本書のテーマは経営における「アート」と「サイエンス」の相克であり、サイエンスだけに依存した情報処理は経営の意思決定を凡百で貧弱なものにするというのが筆者の主張です。同様に、本書の主張をより豊かなものにするために、筆者は「アート」と「サイエンス」の両方、つまり思考における「論理」と「直感」の双方を用いており、であるが故に筆者が個人的に「直感的に正しい」と考えたものについては、必ずしも科学的根拠が明確ではない場合においても、それを「正しい」(と思う)とする前提で論を進めていることを、ここに断っておきます。”
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ここで描かれてるエリートというのはほんのひと握りのエリートのことで多くの人は関係ないんだろうと思うけど、確かに経営陣に美的センスが欠けてるとそこで働く人は大変だろうなと思う。
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2018.05.03読了
手術で前頭前野を失ったエリオットの話が興味深い。
エリオットは論理的・理知的な情報処理の能力をなんら損なっていないのに、適切に意思決定する能力を失い、破綻してしまった。さらに音楽や絵画に感動するという美意識まで失ってしまった。
ロンドン大学の研究では、人が美しいと感じたときに前頭葉の内側眼窩前頭皮質に血液量が増加することが確認されている。
またソマティック・マーカーを唱えるダマシオによると、瞑想によってセルフアウェアネスの向上に重要と示唆される島皮質の厚みが増すらしい。
神経生理学的に、美意識を鍛えることは意思決定を鍛えることと同義ということか。
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法律が整備されていない分野において法律を犯さないには、美意識を鍛えてそれに従うことが大事になる、という内容だと咀嚼。
言いたいことはわかるし、わかりやすく書いてあると思うけど、同じことの繰り返しも多くて途中で飽きてしまった
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『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(著:山口周)
今年に入ってから読了した本がたまってる・・・
付箋部分を抜粋します
・人の承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要になります(p18)
・システムの変化に法律の整備が追いつかないという現在のような状況においては、明文化された法律だけを拠り所にせず
自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になります(p20)
・高い視座えビジョンを持つことと、日常の些事に煩わされることは決して矛盾するわけではありません。自分たちが生を
営んでいるこの世界はロクでもないものだということを知りつつ格闘しながら、それをどのようにしてより良いものに
変えていけるかを、あきらめずに考え続けること、希望を失わないことが大事です(p30)
・経営における意思決定のクオリティは「アート」「サイエンス」「クラフト」の三つの要素のバランスと組み合わせ方に
よって大きく変わる(p54)
・そのような乾いた計算のもとになされる経営から、人をワクワクさせるようなビジョンや、人の創造性を大きく開花させるような
イノベーションが生まれるとは思えません(p65)
・そのエッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、そのエッセンスを
経営の文脈で表現すればビジョンや戦略ということになります(p79)
・「一見すればどれも優れているように見えるたくさんの案を、まとめて思い切って捨てる」ことにこそあるのです(p80)
・美しい手を指す、美しさを目指すことが、結果として正しい手を指すことにつながると思う。正しい手を指すためにどうするか
ではなく、美しい手を指すことを目指せば、正しい手になるだろうと考えています。このアプローチのほうが早いような
気がします(p88)
・マーケティングというのはパーセプション=認識が全てですから、正しいか正しくないかは問題ではない。それが「美しい誤解」
であれば、その誤解を徹底的に利用することを考えたほうがいい(p116)
・世界観とストーリーは決してコピーすることができない(p118)
・「人生を評価する自分なりのモノサシを持ちなさい」(p143)
・「ある会社の常識は、他の会社の非常識」(p148)
・セルフアウェアネスとはつまり、自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や志向性など、自分の内側に
あるものに気づく力のことです(p161)
・高度な意思決定の能力は、はるかに直感的・感性的なものであり、絵画や音楽を「美しいと感じる」のと同じように
私たちは意思決定しているのかもしれないということがわかります(p164)
・実際の社会は不条理と不合理に満ちており、そこでは「清濁併せ呑���」バランス感覚が必要になります(p170)
・前田氏は、アートと呼ぶことができるレベルの作品とは、説明がなくとも、一目見たその瞬間に人を感動させられるもので
なくてはならない、と断言します。つまり「自分がいいと思うかどうか、ピンとくるかどうか」が最終的な意思決定の
立脚点(p206)
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書店の「アート売場」に並んでいたので「芸術関連の書籍」の気持ちで読み始めたら大間違い!?(いい意味で。笑)
これからを生きる経営者の哲学を感じさせる一冊だった。
世界のエグゼクティブはもはや経営理論(サイエンス)だけではダメ。「アート」的な感性も持たなければ到底生き残ることが出来ないというのが主題。
MBAに代表される「経営学」は定量的なことで判断をすべしというイメージを抱いていると思うが、すでにそれは時代遅れでそこに「定性的な感性」も備わらないといけないと言う。
ちょっと経路は違うが国民栄誉賞を受賞した棋士 羽生善治の著書にもある「直感力」がモノを言ってくる。成功した経営者の多くも最後は「直感」なんてことを言っているが、実はそれはただの当てずっぽうや感性で決めているのではなく、それまでに培われた多くの経験から導き出される直感なのだ。
ある意味「サイエンス」に裏付けられた「直感(アート)」なのではないだろうか?僕は「センス」という言葉を使っているが、数字だけでは導き出せない答えがある。
でも、「答えはこれかな?」とはじめにあたりをつけていたものを数値検証してみるとおおよそ合っていることが多いので「100%の確信」を得るよりも「70%の確信」で物事を決めて行かないとこの世の中では戦っていけないように思う。(100%なんてありえないので、結局いつまでも青い鳥を追いかけていても意味はない)
で、要所要所に登場する「美意識」を身に着けるべし!という体減に関しては「茶道」や「現代アート」に興味を持っているというのは結果的に流れに乗れている?ということなのかもしれねい。笑
文中にも「千利休はチーフクリエイティブオフィサー」だ!と言っているが、まさにその通りだと思う。さて、これから経営を突き詰めていくにあたり「経営学」を生部べきか?それとも「茶道」を学ぶべきか?何だか答えは。。。笑
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経営、人・組織、仕事、キャリア、など様々なテーマに考えが及ぶと思われる美意識についての観点を知ることができる。既存の問題に対する正解のコモディティ化と、先の見えないVUCAの時代において、サイエンスに"加えて"アートの必要性を感じた。具体的にどのような変化が及ぼせるかは分からないが、自分の仕事の範疇でも生かせるよう、普段ビジネス書しか読まないことを改め、文学は読まないとなと感じた。また、美術館など行ったこともないが、行ってみるのもいいかもしれない。
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論理思考では正解がコモディティ化してしまう、かつシステムにルールが追いつかない現代において、外部(市場や法律)ではなく内部(道徳や良心)の美意識=真善美をベースに考えていく重要性が説かれている。
経営においても個人においても共通。わかりやすい論調だし、納得感もあった。