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<目次>
第1章 長野から南へ
第2章 関東の祭り
第3章 東北の祭り
第4章 再び長野へ
<内容>
もともt諏訪出身で、「御柱祭」をよく知る著者(カメラマン)が、全国の祭りを訪ね歩く。都会でもなく、それなりに田舎な処で「奇祭」は残っているようだ。東北は地震から原発事故もなんとなく絡まっている。祭りは人がいないと成立せず、でも”相馬馬追”のように、わざわざ汚染時期でも祭りを短くしてもおこなってきた。そこに「祭り」の何かを描こうとしている。著者も読んだ私も今一つ理解できていないが…。最後に著者の娘を、「御射山祭」に参加させている。この変にポイントがありそうだ。
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なぜか懐かしい感じがする
逢ったことはないはずなのに
なぜかどこかで逢ったことがあるような気がする
行ったことはないはずなのに
なぜかその場所に自分も居たような気がする
見たことがないはずなのに
なぜか見たことがあるような気がする
ー「私はひとつのことに気がついた。過去は写真に写せるのだ。」
筆者の小林さんの言葉が 読んでいる間中、静かに心に広がっていきました。
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ヤマトの政治文化以前の土着信仰の痕跡を求めたフォトエッセイ。
旅行気分にもなるし、小説のようでもある。
フルカラーで写真がもっと多ければ高くても売れるのでは。
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写真家目線から見た日本の祭りレポート。写真を撮るときに大事にしたい姿勢が描かれていた。
はじめにより抜粋
写真は本来、目の前で起きたことをたったいましか撮れない。昨日のことも一年前の出来事も、未来も、そして自分が身を置いてない限り絶対に撮れない。そんな当たり前の原則の上に成り立っている。それが突然、崩れた。
私の祭りに向かう姿勢は決まった。背骨みたいなものだ。本来、撮れるはずのない古層を、祭りを通して撮る。遠い過去の人々の姿を目撃するために諏訪発、日本全国行きの旅はこうして始まった。
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祭りに欠かせないのは人的資源。だからこそ制度化されたルーティンが継がれる必要がある。人口の変化が祭りを終焉させるわけで記録もある種供養のように思えてしまう。
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たまたま見つけて面白そうだったので購入.こうした奇祭の本は割と出ているようですから,そのきっかけとして.
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カメラマン目線での、日本の祭りの追い方。大和王権による支配以前の時代を古層とみれば、古層の姿に独特で素朴な祭りの姿が見て取れる。
中央集権の支配の届かなかった地域、そして稲作が地域に、古層の姿が残っている。
諏訪出身者の、うちなる土着的なものとの再会の旅。
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写真家・小林紀晴氏が訪れた、東北から沖縄までの〈祭り〉の様子を綴った旅行記のようなレポートのような一冊。
ご出身地の兼ね合いでか長野県の祭事の記述が多め。
祭りの起源だとか成り立ちについて書かれている訳ではなく、著者体験談や近くにいたおじさんからのお話だとかがメインにつき学術的になにか、という内容ではないかと。
扱っている祭りの数そのものも少なめ。
最大の気掛かりは肝心の写真が物足りない点。
新書ながら16ページ分もカラー写真を載せてはいるのだが、素人目にしても迫力や息遣い、ひいては『奇』をさほど感じられるものでないように思う。
岩手県奥州市の蘇民祭の写真は『奇』とは違う気がするがいい感じ。
なんならオビのパーントゥの写真が一番良いと思う。
1刷
2021.11.13
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"奇祭"を古層の祭=稲作以前の縄文的な祭と理解して、その最たるものであろう諏訪の祭を軸に、地方地方(日本の細部)の祭を写真家として観察する。諏訪が軸となるので非常にまとまりがあり理解しやすい。写真を撮る人の苦労も垣間見える。