紙の本
さらに高みへ
2016/12/08 07:34
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
まずタイトルについて書いておく。
「孤篷(こほう)」というのは「一艘の苫舟」という意味の庵号である。
その庵号をもらったのが、豊臣の世から徳川時代前期にかけて名声を誇った茶人であり建築家であった小堀遠州だ。
つまり「孤篷のひと」とは、小堀遠州のことであり、この長編小説は遠州が生きた時代を描いている。
この作品が素晴らしいのは遠州の69年の人生を描きながら、その一つひとつの章がまるで短編小説の如き完成度だということだ。
さらにいえば、時々の遠州を描くことで時代に翻弄される人物も描かれて、まるで世界が複数の鏡のようにしてある。
冒頭の「白炭」では遠州の師匠でもある千利休が、続く「肩衝」では関ケ原前の石田三成が描かれていくようにである。
あるいは古田織部や細川忠興といった人物も描かれている。
時代の厚みを持った歴史小説といえる。
では、小堀遠州は狂言まわしかといえば、それはちがう。
時代時代の中にあって、遠州は茶や作庭によって出会う人たちから教え、導かれ、自身の生きる道を模索している。
利休や織部のようなアクの強さはこの物語では削ぎ落され、遠州は静かなまさに「孤篷のひと」と描かれている。
遠州と人びととの出会いを、あるいは心のふれあいといっていいが、葉室麟はさりげなく「ひとは会うべきひとには、いつか巡り合えるものなのですね」と女人の言葉で語らせている。
葉室麟はこの作品でさらに物語の奥深い高みにまでのぼりつめたような気がする。
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歴史上のそうそうたる有名人
が登場してくる
千利休、古田織部、藤堂高虎
徳川家康、豊臣秀吉、伊達政宗
ただ、それらは
あくまでも脇役として描かれる
むろん
ここでの主は小堀遠州である
なんとなく 造園の祖ぐらいの認識しかなかった…
ところが
葉室さんの筆にかかると
それはそれは魅力的な「大茶人」として
描かれていく
お茶を喫するとき
ちょっと 思い浮かべる
一冊になりそうです
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2015〜16年に「本の旅人」に掲載された10章を単行本化
江戸初期の作庭家として知られる小堀遠州の、幕府の作事奉行・桃山奉行としての働き、茶人としての生涯、理念を描いた作品。書名の「孤蓬」は遠州の号であり遠州が作り、葬られた庵の名で、章題は話中の茶道具の銘が充てられている。
黒を愛した茶の師筋利休との違いを描いた「白炭」、師の古田織部や石田三成との係わりを描いた「肩衝」、師の古田織部との茶への理解の違いを描いた「投頭巾」、秀忠の娘の入内をめぐる後水尾天皇との係わりを描いた「此世」、交流のあった本阿弥光悦に関する「雨雲」、金地院崇伝と対比して描いた沢庵禅師とその臨終の書「夢」、古田織部の娘を救い出して手に入れた利休の遺品の茶杓「泪」、義父の藤堂高虎が後水尾天皇とその愛妾を説得した「埋火」、罪業の深さを自覚する伊達政宗が遠州の茶を「泰平の世の茶とは生き抜く茶」と評した「桜ちるの文」、のちに桂離宮となる別荘の造営に大阪の陣で死んだ庭師の遺族を使っていた八条宮の思い出と島原の乱以降の撫民策を語る「忘筌」(ぼうせん)。
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小堀遠州の話。正直、遠州のことをあまり知らなかったので、興味深く読みました。遠州は茶道だけではなく、普請奉行として宮廷作庭にも関わっていたのですね。
派手ではないですが、しっかりと己の道を全うした人だと思いました。
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短編集10編
小堀遠州と彼に交差した人々の出会いや別れを茶道具に託して切り取って,その人物がくっきり浮かび上がる仕掛け.石田三成や伊達政宗など心に残る.
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孤掌、鳴らし難しと言うではないか。女人に思いが宿る時、男にも思いはあるものだ。大事にいたすがよい
公家衆に比べれば、俺ら武家は虎狼にござる。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかで世を渡たって参りました。それ故、戦は飯の種でござった
この世の見栄や体裁、利欲の念を離れて、生きていることをただありがたしと思うのが茶だ。それ故、私はいささかも血が滲まぬ白の茶碗を使ってきた
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小堀遠江守政一を主人公にした小説はあまり聞いたことがない。晩年の遠州が過去を回想するという構成。豊臣秀長や石田三成、沢庵、古田織部、本阿弥光悦、後水尾天皇、金地院崇伝、細川忠興、伊達政宗、藤堂高虎らとの交流、和子入内等を巡る幕府と調停の確執、桂離宮の作庭など、今まで知らなかったことに触れることができてよかった。