投稿元:
レビューを見る
全三巻中の二巻。白眉とされているリンチ事件の記述などなど。別に僕は日本共産党やマルクス主義自体というよりもそれらの歴史的経緯、さらには歴史の"おおまかな"構造、そしてそこから何を自分の糧にできるかということに興味があるのでリンチ事件は別にどうでもよかった。内ゲバの一種としてね、理解して。それよりもラディカルな転向というものの重さ、人間らしさ、合理性、非合理性云々。うまく表現できない。人間が変わるということ、それは僕の中では重たく、理解しきれていない。転向と聞いて思い返すのは自己の変遷以外では遠藤周作の「沈黙」ぐらいだ。自分がラディカルに変わってきたこと、それに対応するものがあったこと。
本を読むことは自己の対応物を世界に見出すことだと思う。そしてそこでとどまるのではなくて。
投稿元:
レビューを見る
全3巻中の第2巻。戦前の日本共産党の栄枯盛衰を論じたノンフィクション。本巻は、非常時共産党との成立から、熱海事件によるその消滅、スパイMの跳梁跋扈、転向声明の続発までを論じる。
投稿元:
レビューを見る
1930年代初めの共産党。
弾圧はますます強まり、スパイがますますはびこり、ついには組織の責任者がスパイだったり、最高指導部5人のうちの2人がスパイだったりという、まともな非合法組織だったらありえない状態になってしまう。
ここまでくると、悲惨というよりほとんど喜劇だ。スパイである幹部がスパイである別の幹部を立場上査問しなければならないなんて不条理な出来事も出てくる。
「これではまるで官製共産党ではないでしょうか」(p188)
と特高側の職員が語ったほど、戦前の日本共産は完全に警察の監視下に置かれていたわけである。命がけで活動していた労働者たちは、とんだ馬鹿を見たものだ。
最後の一撃、戦前の共産党運動の息の根をとめた事件の詳細は、次の第三巻。いよいよクライマックス。
投稿元:
レビューを見る
本巻の中心は共産党と当局との攻防だが、スパイMをはじめとするスパイの活動に紙幅が割かれている。
日本共産党の歴史を語る上でスパイの果たす役割は大きいと立花は考えているのだろう。
投稿元:
レビューを見る
第二巻は、「スパイM」が暗躍した「非常時共産党時代」と、熱海事件以降の野呂栄太郎および山本正美を中心とする共産党再建の試みがえがかれます。
スパイMこと飯塚盈延について著者は、関係者への取材を通してスパイとしての活動を終えたあとの彼のすがたについても明らかにし、このたぐいまれな活動をおこなった人物の陥った人間的な苦悩をのぞき込むような叙述も見られます。本作の主要なテーマは日本共産党の歴史ですが、その歴史を動かしてきた人間たちの素顔にせまってみたいというのも、著者の関心のひとつにあったのかもしれません。
また本書の最後では、佐野・鍋山の獄中転向声明がとりあげられます。彼らの転向も、人間に対する関心をかき立てるものではありますが、このテーマにかんしてはこれまでも数多くの評論がなされているためか、著者の叙述はやや控えめなものにとどめられている印象を受けます。
投稿元:
レビューを見る
第二巻では、1930年代以降の活動に焦点を当てる。この時期、共産党にとって大打撃を受けたことがいくつかある。そのうちの一つが、党の主軸にスパイがいたことである。スパイMと呼ばれた男は、当時の共産党にとって、活動を続けるのに必要不可欠な存在であった。ところが、実際は警察側の人物であった。スパイは信頼と裏切りの連続で、通常の人間にとって精神的に耐えきれないが、スパイMは強靭なメンタルを備えたためか、両方の活動を難なくこなした。それ故に、この人物は日本共産党の歴史を語るうえで避けて通れない。
また、佐野学と鍋山貞親の転向も党にとって衝撃を与えた。佐野は親鸞を、鍋山中世の武士の思想に関心を持つようになるが、いずれにしても両者は天皇を絶対とする考え、言い換えると日本回帰へと転向した。体制側が治安警察法や治安維持法など、反共の法案が成立するたびに、共産党は離合集散したが、佐野と鍋山の2名が転向して以降、これまでの勢いは徐々に縮小した。それくらい大きな影響であった。ちなみに、敗戦後、日本共産党は正式な政党として、活動が認められるようになるが、そのときの指導者たちの大半が、転向組してその後復党した者で、宮本顕治のように、最後まで非転向を貫いた人はまれであった。