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メモ→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1537567645251555328?s=21&t=-4xR062HEThxV-s8x18IzA
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認知症の人たちが配膳をするレストラン。
だから「注文をまちがえる料理店」。
正確には、注文をまちがえるかもしれない料理店だろう。(必ずまちがえるわけではないから)
私はとても素敵なアイデアだと思った。
もちろん認知症の程度によるけれど、認知症があっても周りのサポートがあれば働くことは可能だし、働くことによって人の役に立ち、彼らの活力になると思う。
また、お客さんの方も認知症について知ることができ、その垣根が低くなると思う。
認知症の人が輝いていれば、自分は絶対に認知症になりたくないといった気持からくる嫌悪は多少薄らぐのではないだろうか。
認知症の人々だって、好んで認知症になったわけではない。
だから余計に、嫌悪したり、偏見を持ったりしてはいけない。
それだけではなく、注文をまちがえる(かもしれない)料理店では、いつもと違う時間が流れていたようだ。
そのような場所に身を置くことで、普段の慌ただしい生活や、自己責任をことさら強調する風潮のある昨今の世間から一歩遠ざかって、新たな価値観に気付くこともあるだろう。
自分が出来るように他の人も出来るわけではなく、様々な時間軸で、様々な能力があるということに気付くことは大切だと思う。
世知辛い世の中でオアシスとなりそうな料理店。
是非続けてほしいと思う。
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注文をまちがえる料理店
忘れちゃったけど
まちがえちゃったけど
まあいいか
著者:小国士朗
発行:2017年11月9日
あさ出版
今日、予約本を受け取りに行って図書館で目に付いた本。以前、新聞で見かけたことがある本だったのでついでに借りた。認知症の人がウエイター、ウエイトレスとして働く2日間限定食堂の顛末記。著者はテレビ局ディレクター(書かれていないがNHK)で、番組づくりとは無関係に、個人で企画し、クラウドファンディングでお金を集め、協力者を得て、まず2日間営業した。その時の様子を紹介しているが、認知症の人たちの様子については、福祉チームのサポーターたちがリポートし、それをライターが文書化した。客として訪れた女優の内田慈(ちか)氏、その友人のデザイナーで大学講師の中島ナオ氏などのリポートもある。
「てへぺろ」で解決してしまうのが、この料理店のよさ。水を二つ持ってくる、注文と違う料理を持ってくる、サラダにスプーン、ホットコーヒーにストローがついてくる。そのたびに「間違えちゃった」と、「てへへ」と照れて、「ぺろっと」舌を出す世界。もっとひどいと、注文を取りにきて、「自分はなにしに来たんだっけ・・・」。客から「注文を取りに来たのでは?」と指摘され、「あらあら、そうだったわね」と笑顔。でも、客は怒るでもなく、微笑ましい空気が流れる。もちろん、店内には「全員が認知症で、ときどき注文を間違えるかもしれない」ことが表示してあり、客も承知の上だ。
アンケート結果から判明したのは、60パーセント以上の客のテーブルで間違いがあったものの、不快に思った人はいなかった。そして、90パーセントが「またぜひ来店したい」。なかには、「注文を間違われて嬉しかった」「もっと間違えてもいいと思いました」との感想も。
2017年6月3日と4日、東京都内にある座席数12の小さなレストランを借りて、試験的にプレオープンと位置づけて営業。認知症の人たちは、ここで「働いた」。休憩をたっぷり取れる無理のないシフトで働き、ちゃんと報酬をもらう。みんな働くことがしたいのだった。働くことで、甦った。
一方、この本を読んでいると、むしろ客側こそがここで本来の人間性を取り戻した時間を楽しんだように感じられる。「多様性」だの「共生」だの、言葉だけが飛び交っても、この忙しい現実の中でそれは容易なことではなく、どうしたって〝スタンダード〟に基づいた言動が求められる。外れている人間に苛立つ現実がある。でも、人間は本来、他人に寛容でのんびり生きる方が、遙かに快適なのだ。それが許される時間と空間は、今、どこにあるのだろう。
体験リポートの中で、とくに「史彦さんのものがたり」が印象に残った。メニューは3つに限定し、値段は同じ1000円にしていたが、その内のひとつ、ハンバーグを客が注文すると、史彦さんは「カルトでしょうか、定食でしょうか」と聞いた。「カルト?」客は意味が分からない。
史彦さんは、飲食業に就いていた。新宿の有名なお好み焼き店で働いていたことが自慢で、そのあとは大きな会社の社員食堂で100人近くの客を相手に忙しく働いていた。そ���な経験者だからこそ、聞いてしまった。「カルト」とは「アラカルト(単品)」のことで、「ハンバーグ定食」のことを客が「ハンバーグ」と言ったため、単品を求めているのか気になって確認したという。プロフェショナル史彦が甦ったのだった。彼は「金をもらうということは、間違えられないからね」と言い、社員食堂で働いていたときは辛く、間違えると客は帰るし上司から怒られるし、下手をするとクビになるからと語った。そして、「ここのお客さんは優しいなぁ。間違えても怒らないもんなぁ」とも。
初日は6人による交代制とした。高齢者が多いので、2階を休憩室にして布団も用意した。自分に出来るかなあと不安を口にし、これから何をするの?と忘れてしまっている人もいる。しかし、いざ働き始めるとみんな張り切り、休憩だと言っても「そんなの必要ない」と休もうとしない。すると、休憩室にいる交代要員はまったりしたままで、何をしに来たかもすっかり忘れている。そんな困りごともあったとか。
利用者側の体験リポートとしては、ある企業経営者の話が興味深かった。彼は3人の子供と妻との5人暮らしだが、21歳の長男が知的障害者で、知能的に4、5歳程度。明るくてすれ違う人に挨拶をし、誰とでも仲良くなれる。外食も好きだった。経営者は妻の負担を減らそうとよく外食に出かけたが、長男が20歳を過ぎるころから、街で誰にでも挨拶をし、触れるため、された方が警戒をするようになった。すると、長男が人嫌いになってしまった。外食も嫌うように。そんなある日、「注文を間違える料理店」のことを知り、長男を誘ってみると「行きたい」と言った。メニューを間違えるかもしれない、と説明したのが彼の心に響いたようだった。そして、店に行くと、彼のあるがままの姿を受け入れてくれたため、とてもリラックスし、食事に満足した様子で、「パパとママとでまた来たい」と喜んだ。
今回のプレオープンにあたって決めた2つのルール
①料理店としてのクオリティにこだわる(お洒落である、おいしい)
②間違えることは目的ではない、わざと間違えるような仕掛けはなし
①については都内の有名店3社に協力を求めてオリジナルメニューを開発してもらった
なお、その後、2017年9月16~18日に、六本木で再びオープンした。ホールスタッフは総勢18人。間違いの数は劇的に減り、発生率が60パーセント→30パーセントに。
著者がこの企画を思いついたのは、2012年。作っている番組がうまくいかず、穴を開けてしまう危機になった時、名古屋にあるグループホームを紹介される。そこでは外出も許され、自分たちで買い物をし、料理をし、食べる。みんな生き生きとしている。みんな認知症。通ううち、手作り料理をごちそうになるように。今日はハンバーグを作るぞ、と張り切っていたところ、出て来たのが餃子だった。それで思いついた。注文をまちがえる料理店をしてみたい!著者は2013年に大病を患って生死の境に。ディレクター職は危険だと医師に言われ、番組を作らないディレクターになる。彼は言う。取材をしているとさまざまな情報が入り、人脈も増える。でも、番組で使うのはごく一部だけ。感覚的には99パーセント捨てている感じ。あまりにもったいない。そういうもったいな��ことをやめるんだ、いつか、と。
これは僕も全く同感だ。マスメディアで取材をしていると、他の人なら決して入ってこない情報が入り、有益な情報もたくさん得られる。人脈もしかり。でも、自分の人生に活かされていないのだ。
この本を読んで思い出した。今日9月21日は「世界アルツハイマーデー」だった。
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数年前にニュースで「注文をまちがえる料理店」のことを聞いたことがあった。
認知症を抱える人たちがホールスタッフとして働くレストラン。
まちがえることを受け入れて
まちがえることを一緒に楽しむ
斬新なアイデアで、私も行ってみたいなと思った。
認知症に限らず、病気や障害があっても役割があるということの大切さが再認識できた。
できることを見守る、まちがえても受け入れる、そんな寛容な世の中になったらいいと思う。
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認知症を知ったふりをして、勝手に決めつけていた。出来ることがあったり、出来ないことがあったりと、それは普通の人と変わらない。注文を間違えるかもしれない、それを温かく受け入れれば、世の中はもっと寛大になり、認知症の人に限らず、人同士が認めあえる世の中になる
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認知症はあって、出来ないことも増えたけど、出来ることも沢山あるという当たり前の事に気付かされました。要は社会が寛容かどうかというだけ。それは、認知症ではない人にもとても暮らしやすい社会になるのだと思います
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認知症の方々が、「間違えたくない」と思っていると言うことに気づけたのって重要だったんじゃないかなと思った