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皇帝フリードリッヒ二世の生涯。
それはまさしく激動だった。
中世の歴史において、欠かせない人物だということだと思った(個人的にはそう思う)。
50数年という人生は、短かったのか長かったのか。
常に法王と正面から闘い抜く。
圧倒されるままに、上・下巻ともに読み切る。
この本を通じて、いろいろなことを知った。
当たり前だが、学校では教わらないこと。
しかし、この本を読んで、中世の歴史の一部ではあるが、理解が深まったと思う。
人物の評伝を書いても、やはり塩野七生さんの文章が光っていると感じた。
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イタリアの歴史はやはりこの人だね
全然面白くないのにすっごい面白い
半世紀昔の高校以来の中世ヨーロッパを楽しんだ
地図が頭に入っていないので、何度もページ逆戻りしながら、それでもわくわく読んだ
前書きにあるように、中世とはどういう時代であったか、ルネサンスの必然がのみこめた気がする
《 生涯は 太陽のごと かけぬける 》
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読み終わった時、感動した映画を観終わって席を立てなかった時のようでした。
「世界の驚異」と呼ばれる男。
こういう人が歴史上にはあらわれるのですね。
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「皇帝フリードリッヒ二世の生涯」読了。
塩野七生の最新作。中世13世紀の神聖ローマ帝国皇帝の生涯をローマ教皇との闘争を軸に、ルネッサンス前に成し遂げた改革について活写している。フリードリッヒ二世は父、祖父とも神聖ローマ帝国の皇帝であったが、幼少期はとても跡を継げる状況ではなかった。しかし、逆に少年の頃から南イタリア、シチリアとイスラムとの交易が盛んで自由な環境で育ったということ、そして、興味の赴くままに学ぶことを許されていた環境が、キリスト教に染まらずにその後の特異な活動の元になっていると思う。血筋もあるが、教育は大事なことだと考えさせられる。キリスト教が絶大だった時代に「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」というイエスの言葉から、精神世界や死後の世界はローマ教皇の担当分野、世俗世界の統治は神聖ローマ帝国の皇帝の担当分野としていたのがおもしろい。今でいう政教分離である。また、人間は死んだらどうなるかについてキリスト教の教義に満足せず、当時文明的には進んでいたイスラムの学者に聞いているのがなんとも笑える。教会からの破門を含むローマ教皇の度重なる攻勢にもめげず、法治国家を目指し、官僚を育成し、軍事力を背景にして十字軍でイスラムとの外交交渉によりエルサレムを解放した。まさに中世を駆け抜けたという表現がふさわしい。しかし、彼の死後20年で築いてきた世界は崩れ去ってしまう。「生ききった男にはどうでも良かったのかも知れないと」著者は言うが「つわものどもが夢のあと」という感じもあって何ともいえない寂しさを感じる。偉大な人物のあとをうまく後継するのはやはり難事業である。
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今年の目標は、本棚の飾りになっている「ローマの人の物語」だが、道のりは遠い。まずは、最新刊のフリードリヒから。塩野七生を完読したのは、はじめてでした。
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今まで名前しか知らなかったが、こんなに凄い天才的な皇帝が存在したのかと驚いた。誤解を恐れずに言えば、スケールのでかい織田信長ですね。統治者としても、文化人としても素晴らしいけど、それでいて女好きという点ではカエサルにも共通する。彼がいたから、ルネサンスが生まれたというのは、間違いではないだろう。
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1代で出来ることは全てやった人生だった。
彼の死とともに、それは崩れ始める。時代が追いついて居なかった。
しかし、彼のやったことは新しい時代の萌芽にはなった。
まさしく「一粒の麦地に落ちれば…」な人生だと思う。
当時のバチカンより破門された彼のほうが、キリストの言葉に沿っているよぅに思えるのが皮肉です。
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ローマ法王への最大の反逆者、フリードリッヒ二世、彼は勝者だったのか敗者だったのか。
ローマ法王からの度重なる破門に対しても神聖ローマ帝国皇帝という強力な権力を盾に死ぬまで屈しなかった。
しかし、彼の死後、この代から権力基盤は崩れ始めフリードリッヒのホーエンシュタウヘン一門は瓦解する。
筆者はフリードリッヒ二世の強さに「挽回力」と「悪意」を挙げる。
皇帝に抵抗する北イタリアのロンバルディア同盟に対しては屈辱を受けるたびに圧倒的な力で巻き返してきた。
その姿から絶対的力を諸侯たちは見たのだろう。リーダーは敗北を受けても部下に不安を与えてはいけない。
すぐさま敗北の原因を突き詰めて反転攻勢する。そして勝利し諸侯たちは、この皇帝についていくことに安心する。
また、皇帝は寛大ではあっても甘さがあってはいけない。
裏で進行していた皇帝暗殺計画の首謀者達が息子のように育てたとしても、その報いは受けさせなくてはならない。
ここで皇帝は一門を根絶やしにするのではなく、あくまで法にのっとり首謀者たちだけを死刑に処した。
「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」を信じて疑わなかった。それに反する者は、たとえローマ法王でも立ち向かった。
自分の信条には向かうものには悪意を持って返した。
フリードリッヒ二世死後のホーエンシュタウヘン一門の崩壊は、彼の息子たちが挽回力と悪意を持っていなかったからだった。
そして皇帝を権力の座から引きずり下ろしたローマ法王は勝者だったのか。
フリードリッヒ二世を追い落とすのにフランスの軍勢を引き入れたが、フランスが強くなりすぎローマ法王が70年間にわたり幽閉されるという事態を引き起こした。
この点ではローマ法王も敗者なのだ。
800年も前の男の一生を、まるで見てきたように臨場感あふれる文章で書きあげられている。
ローマ法王に反抗し、新しい時代を築こうとして男の一生は読みものとしても面白い。そして、それ以上に学びとるものが多い。
歴史を学ぶ。歴史から学ぶ。未来を読むのに一番大切なことなのではないか。
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フリードリッヒ2世ってだいぶ時代の先をいったなあと思う。
中世の枠から離れている。ルネサンスも通り越している。
法で治めるとか。はっきり言って、すごいとかいうしかない。
中世ヨーロッパ舐めてました。
ごめんなさい。
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上・下巻の感想をまとめて。
司馬遼太郎の小説もそうだけど取材の多さが推測される良い歴史小説だと思う。「現代では~のようになっている」という文体も司馬遼太郎とよく似ている。個人的にはこういう報告書然とした書き方は好きなので良かった。
全く予備知識はなくても中世ヨーロッパの特徴や法王と皇帝の関係。古代ローマ帝国との違いなどが分かりやすく書かれている。地図も多く載っていて町の位置関係も分かりやすかった。
フリードリッヒは皇帝だからローマ法王の理不尽さに対抗出来たんだろうけど、異端裁判(魔女裁判)に代表されるように故なく罪に問われた犠牲者の数はいかばかりか。
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優れた革新性ゆえに同時代人から「世界の驚異」と評された、13世紀のドイツ・イタリアに君臨した神聖ローマ皇帝の伝記。下巻はローマ法王との闘いが激化する治世後半から没後の後日談と、皇帝を支えた周辺人物が列伝形式で紹介されている。悲劇的な皇帝一党への作者の愛情が伝わってくる一方で気になる反対勢力の言い分。紙幅は割かれていないものの興味深く感じたのが、半世紀ほど後にやはりローマ法王と対立したフランス王フィリップ4世との対比。このテーマは浅学ゆえか初めて読んだけれど、メインで取り上げた本はないのかなぁ。
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★2015年11月1日読了『皇帝フリードリッヒ2世の生涯(下)』塩野七生著 評価B+
上巻でも十分読み応えのあった神聖ローマ帝国の皇帝フリードリッヒ2世の後半20年の話。
ボリュームのある本ではあるが、フリードリッヒ2世自身の人としての面白さとその人生の緊迫感が、塩野氏の上手な物語によって描かれて飽きさせることがない。世界史を習ったときには、名前くらいしか覚えなかった人物だが、1000年弱前に既にこんなに現代的な皇帝がいたことには、本当に驚かされた。
フリードリッヒ2世は、十代で皇帝の座について、封建社会への支配権を主張するローマ法王を否定し、宗教はローマ法王、政治は皇帝という棲み分けを主張。そのために生涯で3回もローマ法王から破門を宣告されても屈することもなかった。また、中央集権的な政治体制を構築し、封建領主たちをうまく手なずけ、中央官僚も大学を設立して養成して、ローマ法王とイタリア北方のロンバルディア同盟各都市に対抗しつづけた。今から見れば本当に近現代的な精神の持ち主であった。
結果から見れば、神聖ローマ皇帝として、ドイツからイタリアまで30年にわたりほぼ安定した治政を施した皇帝フリードリッヒ2世ではあったが、後半には、ミラノとの講話決裂から、プレッシア攻略に失敗したり、絶対信用できたはずの複数の部下から裏切りにあったり、パルマ攻略中、鷹狩りに出かけて思わぬ反撃にあって、自分の城ヴィクトリア城と多額の財産を取られたりした。しかし、毎回総じて、その後の挽回策が見事に当たり、支配力の復活を遂げてきた。
フリードリッヒ2世の政治的構想力は、その瞬間と未来に向けても素晴らしい。ローマ法王に対抗するため、英、仏の王、イスラムの支配者とはしっかりとした講和を結び安定させる。さらには、将来に向けて、各地の封建諸侯の嫡子たちを自分の宮廷に若い頃から仕えさせて、自分の息子達、中央官僚たちと精神的な一体感を持って、治政を学びとらせ、さらには婚姻関係で固い関係を取り結ぶ。そして、それらの嫡子や部下達をドイツからイタリアまでの各地に配置して盤石の支配を確立した。
それらの体制も1250年12月にフリードリッヒ2世が病死すると、あまりに彼が素晴らしかった皇帝であったために、彼の遺した支配体制は上々の出来ではあったはずなのに、フリードリッヒ2世のホーエンシュタウン家の神聖ローマ帝国は比較的早く20年程度で崩壊していく。勿論、その裏には歴代のローマ法王の執念ともいうべき謀略が効いている。
ちょうど、フリードリッヒ2世が病死する頃、ローマ法王の要請に応えて第7次十字軍としてエジプトまで遠征していたフランスのルイ9世は、イスラム勢に完敗して捕虜となる。その後、多額の借金をして、ルイ9世は帰国する。しかし、その後、フランスでの政治は安定せず、1266年にローマ法王は、ルイ9世の弟シャルルをシチリアへ攻め込ませ、奪取に成功する。
しかし、面白いことに神聖ローマ帝国の弱体化は、次にフランスの強化へと繋がる。ローマ法王が肩入れして、神聖ローマ帝国は衰えた結果、フランス国王が強力となり、1303年フランス国王フィリップベル王によって、ローマ法王ボニファティウス8世が捕らわれ、その2年後の1305年から72年間7代にわたって、ローマ法王が南仏の小都市アヴィニョンに幽閉される。いわゆるアヴィニョン捕囚が引き起こされることになるから、歴史というのは何とも面白い。
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・・・・・・っということで、フリードリッヒ2世というと、あのフリードリッヒ2世のほうを思い浮かべる人のほうが多いんじゃないだろうか。
あのフリードリッヒ2世とは18世紀に生きたプロイセン王で、「フリードリッヒ大王」の呼称で有名なほうである。
こちらのフリードリッヒは13世紀を生きた神聖ローマ帝国の皇帝である。
知らなかった。
「ストゥポール・ムンディ(世界の驚異)」といえばこの人を指すのはヨーロッパ人の常識らしい。
読み進む中で思い出さされたのだが、あの第6次十字軍を組織して、イェルサレムの無血占領に成功した皇帝だった。
【十字軍物語】ではアッサリ書かれていたけれど、敵であるイスラムのスルタン相手に平和交渉に成功した男であるから、只者ではないことは知っていた。
・・・・・・
例によって、塩野七生の本は読みやすい。
結構厚い2巻の書物だけれど、引き込まれてあっという間に読み終わってしまう。
歴史本でこんなに読み易く書けるのは彼女の才能であろう。
取捨選択が大胆で、本筋からブレないからじゃないだろうか。
彼女によって、歴史の面白さに目覚めさせられたのはぼくだけじゃないはず。
しかし、彼女も老いた。
老いた証拠に、同じ事を何度も繰り返す。
もう分かったよと言いたいくらいだ。
まあ、それも彼女の微笑ましい点ではあるのだが。
彼女ももう79歳のお婆ちゃんになったんですね。
・・・・・・
例によって、塩野七生が惚れ込んだ男を書いている。
カエサル然り、マキャヴェリ然り、チェーザレ・ボルジア然り。
彼女が好きなタイプの男性の特徴は一致している。
それは、「先を読める男である」。
先を読める男とは、「時代より早く生まれてしまった男」でもある。
カエサルはローマを治めるのは皇帝しかないと読んでいたし、マキャヴェリは傭兵は排して国民軍を持つべきだ
と読んでいたし、ボルジアは君主は冷徹でなければならないと読んでいた。
フリードリッヒ2世は封建制度ではなく、中央集権でなければならないと読んでいた。
誰が皇帝になっても、法制度を確立した法治国家でなければ長続きしないと知っていた。
そのためには、【政教分離】でなければならない。
彼の目指した社会は遥か200年後に始まるルネッサンスを見越していたのである。
時代より早く生まれてしまった男である所以である。
時代のほうが彼に追いつかなかったのである。
まさしく「世界の驚異」である。
彼の一生は政教分離実現への戦い、即ちローマ法王たちとの戦いであった。
塩野七生女史はずっとこの男を書きたかったそ��だ。
満を持して書いただけあって、彼への愛が文章の随所に溢れている。
80歳にならんとするお婆ちゃんパワー恐るべし。
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塩野さんの著作は気になるなーと思いつつこれまで手を付けてなかったんですが、すごいなあ。
高校の世界史で習った覚えのある単語がちらほらと出てきて、しかしその当時の薄ぼんやりした認識に理由や来歴を流し込まれてそうだったのか! と驚くことしきり。
もちろん塩野さんの肩入れや思い入れのある見方による物語だとは思いますが、それでも例えばこの一部なりとも高校時代に聞いていれば、もっと世界史に興味が湧いたに違いないなあ。
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後半は1238年から、フリードリッヒは北イタリアを巡回しディエタの開催を続けた。近隣コムーネの代表を呼び皇帝の支配権を認めさせるためだ。3月にはついにミラノが折れた。とは言え行政権と施政権はコムーネ側にあるとする条件付き講話であり、フリードリッヒの求める無条件降伏とは相容れない。交渉は決裂した。
この当時兵力に割けるのは人口の2割、ミラノの兵力は1万3千ほどだが援軍が来れば倍ほどになる。常設の軍を持たず、ドイツや南イタリアから集めた皇帝軍は昨年末に解散していた。フリードリッヒにとっても攻城戦は容易ではない。まずは補給路を封鎖しやすいブレッシモの攻城にかかるのだがここでつまづいてしまう。冬までにブレッシモの籠城を崩せなかったフリードリッヒは軍を解散した。小都市を攻略できないのは皇帝の権威の失墜につながりかねない事態だ。
この後のフリードリッヒの対策は派手さはないが見事だ。一度皇帝側についた北イタリアのコムーネが動揺し始めたのに対しては重臣を派遣し睨みを効かせる。ドイツ、ヨーロッパを皇帝側に引き止めつつ、イスラエルの講話を10年延長した。さらにはモンゴルの侵略に対しポーランドとハンガリーに援軍を送る。これらは一通り成功したが問題はローマ法王対策だ。
法王の権威を取り戻すチャンスと見たグレゴリウスはフリードリッヒを3度目の破門に処す。フリードリッヒの反応も徐々にエスカレートし、フリードリッヒはついに法王領へ侵攻を始めた。当時はコンスタンティヌス大帝に寄進書によりローマ法王はローマ帝国の西半分、つまりヨーロッパ全土を所持していると信じられていた。中でも法王領は直接統治されている。フリードリッヒを異端と断じようとした公会議の開催がフリードリッヒの実力行使によりローマに向かう聖職者が捕らわれてから3ヶ月法王自身が追い詰められた。ところがここでグレゴリウスが亡くなった。その後22ヶ月法王は空位のままであった。
本の構成もここで間奏曲として女たち、子供たち、協力者たち、友人たちなどを述べているがやはりどうしても盛り上がりに欠ける。ちょっと残念なところだ。
ようやく選ばれたインノケンンティウス4世とフリードリッヒとの会談は直前で法王が逃げ出した。法王はそのままフランスのリヨンまで逃げたのだから呆れるしかない。さらにはリヨンで公会議を開きフリードリッヒは異端であり次の皇帝を選ぶように進言した。フリードリッヒも反論したように各国の王もこの判決を認めることは自らの地位もいつ奪われるかわからないことを意味する。さらには司教の中にもやりすぎだと反発するものも出た。
この時は失敗した法王だがドイツ王を選んだり皇帝の暗殺を企てたりと暗躍を続ける。そしてその執念はついにパルマで身を結んだ。皇帝派のパルマでクーデターを起こした法王はに対しフリードリッヒはパルマを完璧に包囲しパルマは間も無く降伏というところでフリードリッヒが鷹狩りに出かけ不在となった基地をパルマ住民も含めた暴徒が焼き討ちし壊滅させた。それでもフリードリッヒは失地を回復する。この2年後56歳で病気で亡くなるまでフリードリッヒの統治は盤石であり続けた。
ローマ法王がフリードリッヒの息子を追い落とすためにしたことはフランス軍を引き込むことだった。神聖ローマ帝国が弱体化する代わりに力をつけたフランスによりローマ法王が幽閉されるアヴィニョン捕囚が起こったのはフリードリッヒの死後53年。「このように常に他国の王に頼ってきた歴代のローマ法王によって、イタリアは外国勢力の侵略に、長年にわたって、しかもくり返して苦しむことになったのである」と書いたのが250年後のマキアヴェッリだ。ローマ法王領がヴァチカン市国だくになったのは1870年、この年にようやく政教分離が達成された。ちなみに異端裁判所は教理聖庁と名を変え今でも存続している。裁かれるのは聖職者のみとなったようだ。