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破門を何回受けただろう。「法王は太陽、皇帝は月」と「カエサルのものはカエサルに、神のものは神の手に」の対立。法王との争いは、不毛なものに映るが、その当時の信仰の力はそうだったのであろう。しかしあと10年も生きていれば、北イタリアの歴史は変わり、現在のイタリアにほぼ近い勢力圏を誇る王国が成立していたであろうか。
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・苦難に出会うのは何かをやろうとする人に宿命である。ゆえに問題は、苦難に出会うことではなく、それを挽回する力の有無になる。しかも挽回は早期に成されねば効果はなく、それには主導権をいち早く、つまり敵よりも早く、手中にするしかないのであった
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読んだ後、すがすがしい気分になった。生き切ったと言える、フリードリッヒの生き様を感じることができたのであろう。強大なキリスト教という存在がありながら、ローマ的に生きることができたフリードリッヒという存在は偉大だと思った。塩野さんがこの時期に取り上げたのも分かるような気がした。
以下注目点
・翻訳作業とは実に高度な作業で、良き翻訳者に求められる資質とは、原著者と同等の知力(インテリジェンス)か、そこまではいかなくても、原著者に成り代わった想いになって訳すうえでの、想像力と気概は欠くわけにはいかない。だからこそ、翻訳は学問の始まり、とされるのである。
・自らの信念を持つ人間は、それに反することは死んでもやれない。それでもやれば、「恥」になるからだ。反対に、一貫した考えを持たないできた人は、恥を感ずる必要もないことから、何であろうとやれるのである。
・科学的な証明とは、カンが正しかったことを示してくれる場合が意外にも多い。
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下巻はフリードリッヒ二世の北イタリア討伐からはじまり、ローマ法王との対立、そしてフリードリッヒ二世の死後の動乱で幕を閉じています。下巻を読んだ直後の感想は「法王が見事なまでに悪役」であるということ。もちろん著者の主観でそう語られているからではありますが、法王がシチリア王国をフランス王の弟に攻めさせる、なんていう話は確かに酷すぎる。法のもとでの平和をシチリアで確立していたフリードリッヒに対して、彼の死後、他国の軍隊を呼び寄せた法王の行為は、少なくとも現代の価値観からしたら絶対に許されないものですね。
本書を読んで改めて感じたのは偉人の後継者問題。これは企業でもよくあることですが、カリスマ的な創業者の次にくる経営者が会社をダメにする、日本でも老舗企業は2代目でその事業の存続が決まると言います。だから日本では息子が生まれるよりも娘が生まれてくれる方が優秀な婿を外からもらえてよっぽどいい、なんてよく言いますが、フリードリッヒ二世も彼自身の偉大さゆえに、この問題は克服が難しかったのでしょうか。カエサルが外からオクタヴィアヌスを連れてきたように、もしフリードリッヒ二世が子供に恵まれず、有力諸侯の中からずば抜けて優秀な男を後継者(養子)に迎えたら歴史はどうなったのだろうか、と感じました。とても読みやすくおもしろかったです。