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もう,どこが遺言なのかっ!と突っ込む.相変わらず網羅的な哲学から現状情勢を分析し,何がおかしくて頭を使うべきなのかを説く.遺言と同様なのは,受け手が我がこの内容をどう生かすかということにかかる.
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久しぶりの書下ろしということで購入した。もちろん、いくつもの著作を出されているが、このところ語り下ろしが多かったようだ。「遺書といっても当面死ぬ予定はない」とカバーに書かれている。これで安心して読み進める。内容は、たぶん「人間科学」などで読んだことが多い。それでもなかなか頭に入ってこない。もともと電車の中で気楽に読めるような本ではないのかもしれない。その中で、印象に残ったこと2つ。運動性言語中枢であるところのブローカ野に障害があって、話すことができない人でも、童謡などを医者に続いて歌うことができるという。どうやら歌詞というのは音楽の一部であって、言語とは少し違うところで認識しているようだ。まあ、ビートルズとか、意味を考えずに歌ったりするもんなあ。もう1つ。人は寝ているとき意識がない。そう考えると、一生のうち3分の1くらいは意識がないことにもなる。さて、ほかの動物に意識はあるか、という問題を考えたとき、起きているときと眠っているときは意識のあるなしの違いだと考えるならば、眠る動物には意識があるということになる。昆虫は眠っているのかどうかわからないが、眠りに関する遺伝子は見つかっているそうだから、昆虫にも意識があると言っていいのかもしれない。ダンゴムシに心があるという人もいるくらいだから。「おわりに」でお世話になったと紹介されている人物――池田清彦、津田一郎、内田樹、茂木健一郎、柴谷篤弘、中野幹隆(哲学書房)――どの名前を見ても私もお世話になっている(著作などから)。というか、始まりは養老先生で、そこから広がったのかもしれない。そして、もう1人前にいるのが森毅先生だ。そこから私の読書の人脈は広がった。そして、その前にもう1人、高校時代の友人I君だ。森先生を紹介してくれてありがとう!
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意識と感覚。同一化と差異。わたしは、感覚を意識して生活していきたいなあ。土や木や草や花、小さな生き物たちと仲良くしていこう。センスオブワンダーを思い出した。レイチェル・カーソンを読み直そうと思う。
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非常に興味深い。
禅や老荘でイマイチもやもやしてたことが
別な視点から理解できる気がする
P141
現代社会、情報化社会はもともとあった
自然の世界に反抗して、
諸行無常ではない世界を
構築しつつある
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著者の人生観や思い、考えがまとめられている1冊。ただ、私的には共感できる部分が少ないので少々読みづらかった。
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20180115 現在の状況について自分の専門分野からの見解を丁寧に展開してもらっていると思う。理解が追いつかないのは読む側の問題なんだろうな。今、養老先生達が遺さないとこの先どうなって行くかの基準がなくなってしまう。その意味でこのタイトルは大事だ。
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養老先生久しぶりの書き下ろし(ここ最近は語り下ろしが
多かった)。タイトルにも惹かれて手に取ることに。
唯脳論以来の養老先生の考え方がブラッシュアップという
感じできれいにまとめられている印象。今回は特にヒトの
「同じにする」という性質・働きをキーワードに様々な
事象を論じており、その分わかりやすくなっているのでは
ないだろうか。
養老先生、まだまだ死ぬ予定はないとおっしゃっておられる
ので、遺言2.0が発表されるのもそう遠いことではないと
思われる(嬉)。
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養老先生、初めてかもしれん。NHKの人体に出てらした。
面白かったのです。「バカの壁」も読むべかな。
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意識論。なんだけれど。あまり遺言ぽくはない。1.0だそうで。説得力はあります。だけどなんか言いくるめられたような。で、5つじゃなく4つ。
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意識と感覚所与の違い。
絶対音感はもともとみんな持っていんだけど、ただ音の高低でなく言葉が意味を持ってから失った。動物にイコールの概念がないので交換も起きない。日本語は冠詞のかわりにはやがの助詞があるが、中国語にはそれがない。感覚所与でなく意識で同じを繰り返して抽象化すると一神教に至る。都市には自然のように意味のないものがあることがある。エントロピーは増大するという法則が脳にも当てはまり、意識という秩序活動が起こっている分の無秩序が発生し、それを片付けるのが睡眠である。デジタルは不死。
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学校でムスリムの女子がビジャブを被るのを、認めると特別待遇になるから差別的だというのか、禁止するとその子達の自由を害することになり、其方が差別だというのかの問題。これを、意識と感覚の違いから、すなわち同一性と差異の問題として考えたらどうですかという提案ですね。都市(化)は意識の世界、意味のないものを許さない同一性の世界ということになりますね。この視点は新鮮でした。平面的に見えた、同等の利益の対立が立面で見えてくる感じです。
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意味のあるものだけに取り囲まれていると、いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる。その極端な例が神奈川県相模原市で生じた19人殺害事件であろう(2016年7月に障害者施設で引き起こされた)。障害があって動けない人たちの生存に、どういう意味があるのか、そう犯人は問うた。(p.36)
秩序は限定された空間の中でしか成立しない。ここにもいわゆる自然破壊の根本的な問題が見え隠れている。文明とは秩序であり、それを大規模に作れば、自然には無秩序が増える。それを自然破壊と呼ぶのである。(p.101)
現代社会のように、情報が溢れている中で育つと、すべては説明可能だといつの間にか信じ込む。少し意地が悪いと思ったけれど、私は言葉の限界についての無知を注意しただけである。クオリアは言語にならない。むしろ「感覚からわれわれが受け取るもののうち、言語化できない部分、ないし言語化しようがない部分をクオリアという」。そう定義してもいい。(p.117)
それをどう見るかによって、価値がまったく違ってしまう。私にとっては、この絵(マグリット「イメージの裏切り」)は書物の一冊分に相当する衝撃があるが、その対極には「ホウ、パイプの絵かあ」とただ思って終わる人もいるはず絵ある。(p.119)
数学が最も普遍的な意識的行為の追求、つまり「同じ」の追求だとすれば、アートはその対極を占める。いわば「違い」の追求なのである。それは直感的に多くの人が気づいているはずである。(p.121)
現代生活は人生の意味を剥奪しているのではない。むしろ「意味しか存在しない」社会を作っている。それが情報化社会である。情報とはすなわち意味でもあるからである。(p.148)
年は意識の世界であり、意識は自然を排除する。つまり人工的な世界は、まさに不自然なのである。ところが子どもは自然である。なぜなら設計図がなく先行きがどうなるか、育ててみなければ結果は不明である。そういう存在を意識は嫌う。意識的にはすべては「ああすれば、こうなる」でなければならない。
そうはいかないのが、子どもという自然である。努力して育ててみるが、どんな大人になるか、知れたものではない。うまくタレントになってくれるかもしれないし、犯罪者になってしまうかもしれない。そんな危ないもの、関わらないほうが無難じゃないか。(p.172)
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養老孟司の`遺言`、私は、こんな事を考えてます、感じてます。 曰く、デジタルという情報系は、ゼロと一という二進法。生物は遺伝子を4つの塩基で記述、A:アデニン、T:チミン、G:ゲアニン、C:シトニン。 脳なら、ゼロと一の二進法で、遺伝子を設計するだろう、多分。 4つの塩基からなる遺伝子という情報系は、人の意識を構築する二進法のデジタル情報系よりも、遥かに多くの余剰を含んでいる。 時間と共に、変化する事象を、変化しない二進法の情報系でどう記述するのか、果たしてそれは、可能なのか。(無理でしょう、多分) 現在の社会は、ジャンクな遺伝子を多く含む遺伝子系情報から生まれる`感覚`(ジャンクにも機能がある)と、二進法の情報系から生まれる`意識`、が併存しつつ、かつ、乖離しているのではないか、と。 都市は、`意識`の世界、意識は、自然を排除する、そして、子供という自然の塊も排除され、少子化の流れになっている等々。 論旨、明快、納得であります。(星4つです)
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現代の世の中で起きている様々な問題に対し、一つの補助線として意識(脳化、都市化、情報化)への過度な偏重を提示。
・人間と動物の違い。人間は意識、動物は感覚を重視する。ここから人間は感覚から入力に対し、意味を見出すようになった。
→意味のないものを排除する傾向が強まった(自然の排除。都市化)
・意識によって「同じ」を理解できるようになった。お金や数式、相手の心の理解などを生み出した。他方、感覚は「違い」を重視する。
・意識には科学的な定義はなく、脳によって支配されている。なのに意識は「自分が偉い!」と思ってしまう。
・少しでも意識から離れ、感覚に近いものを求める向きもあり、それが音楽やアートに繋がっている。
・政治の分断や自然保護なども意識と感覚の対立によるもの。特に少子化は都市化が進んでおり予測された社会の中で、子どもという自然に違い存在は予測不可能であり、避けられて当然
著者が今までの著書で述べてきたことのまとめであるように感じた。
会社役員や、政治家など意識中心で生きている人がなぜゴルフにハマるのか。作られたとはいえ自然が感じられ、自分は毎回同じスイングのつもりでも球が毎回違う方向に飛ぶ、予測不可能などスポーツだからなのかなと。
人間誰もが意識しないと「意識」偏重になってしまう。
だからこそ自然や感覚にもしっかり目を向けるように意識しないといけない。
著書の後半で印象的だったのが以下
「私に答えを要求しないでくださいね。毎日、こんなこと(様々な問題について)を考えて眠れないんですから」
80歳とはいえ研究者としてまだまだ悩みは尽きないんだなー。
だからこそあえて意識から離れるために、虫取りするかな。
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私の思考回路にとってはまだまだ難易度が高かった!!!もう少し賢くなってから再読します。。
養老先生、すみません。。