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第158回(2017年下半期)直木賞候補作品。
奈良時代に京で命を失う病が次々と発生する。無料で診療を行う施薬院にも続々と患者がやってくるが、原因や治療法も分からずにいた。その間、街では偽りの札を作り、混乱に拍車をかけるような扇動をする者も。治療法の手がかりとなる男を見つけ出し、人々を救うことができるのか。
人が極限状態に陥った際に、何を信じて、何にすがるのか。隔離しかないのだろうが、子供たちのことは切なかった。終わりの見えない困難に対峙する医師たちの姿が、胸を打つ。
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天然痘流行した奈良・平城京の人々の慟哭と絶望と混沌。
パンデミック後の希望を描くシーンは少なく、どこまでも闇へと突き落としてきます。どこまでも。
その印象はやはり、第六章のあるシーン。こういってはなんですが、都合よくハッピーエンドにはしません、という覚悟が感じられました。
登場人物一人ひとりが、後悔や諦念や憤怒に慚愧を抱え、それでも疫病から人々を救おうともがきます。一方で、混乱に拍車をかける存在もいる。もがきにもがいて、ようやくたどり着いた治療法。希望である小さな光。ただ、そこに至るまでの人の暗黒さが大きすぎて、それまでの闇を払う力には頼りなく映ります。
しかし、だからこそ、小さくはあるけれど、待ちに待った光明。再生への確かな導き。
もっと早く見つけていれば、もっと多くの人を救うことができた。後悔の思いは強いけど、今できる最善の事をやり続けてきたから、見つけることができた光。
慟哭と絶望と混沌の暗闇から抜け出し、希望と再生の日差しの下へと進む。
その第一歩を踏み出したところで終幕。
これ以上ない暗闇が襲い掛かってきても、必ず立ち向かい振り払って前進できる。
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『火定』という聞きなれない単語、広辞苑を紐解けば「仏道の修業者が火中に自ら身を投じて入定すること」と、記してあった。
時代は平安朝、そして人物名も現代名とは異なり、読みにくいかと思っていた。ところが、著者の筆致の圧倒的な迫力に、忽ち取り込まれてしまった。
疫病の患者の治療に奮闘する施薬院の医師綱手、不満を抱きながらもそこで働く名代。策略により、医師の地位を奪われ投獄の身となった諸男。混乱に乗じ、ひと儲けを企む宇須。彼らを中心に、「生と死の狭間で繰り広げられる壮大な人間絵巻」が展開する。
疫病の蔓延に絶望的な闘いを挑み続ける綱手は、その凄惨な現場から逃げ出そうとする名代に諭す。
「己のために行ったことはみな、己の命とともに消え失せる。・・・されどそれを他人のために用いれば、己の生には万金にも値する意味が生じよう。さすればわしが命を終えたとて、誰かがわしの生きた意味を継いでくれると言えるではないか」
やがて名代は、病に倒れた幾人もの氏を目のあたりにし、「彼らの死は決して、無駄ではない。この世の業火に我が身を捧げる、尊い火定だったのだ」との、境地に達する。名代の成長物語としても読める作品。
さらに著者は、「医者とは、病を癒し、ただ死の淵から引き戻すだけの仕事ではない。病人の死に意味を与え、彼らの苦しみを、無念を、後の世に語り継ぐために、彼らは存在するのだ」と、記す。世の医者たちに、心してもらいたい言葉ではないだろうか。
読み進む中で、綱手に映画『赤ひげ』の三船敏郎を、名代に加山雄三を、想起してしまった読み手であった。
ともかく、著者渾身のこの作品、直木賞を受賞しなかったのが残念・・・
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2017 下半期 直木賞候補
奈良時代 天平の頃 海外の文化がどっと流れ込んで、華やかに貴族や仏教文化が発展したが、外から入ってくるのは それだけではなく 未知の疫病が人々を苦しめていく。
読み始め、(これは人の名前なのか 役職なのか??)と頭が整理できなかったが、何度も繰り返される名前に話がついて行けるようになったのは中盤。
いたるところで疫病(天然痘)に倒れる人々
迫力のある表現で世の混沌とした様子が迫ってきた。
パンデミックによる人々の狂気は、いつ起こるかわからないだけに 怖い。
悲田院の子供たちの話は、心に来るところがあった。
本好きには受けそうだが、あまり読まない人には勧められないかな。
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☆3.2ぐらい。
世情を惑わすえせ神様騒動は『腐れ梅』でも見かけ、医師の倫理観どうこうは手塚治虫などの医療漫画で既視感がある題材。資料調べがていねいで、文章密度は高い力作なのだけれども、登場人物がどれも熱くて重すぎて、やや馴染めなかった。
歴史作家さんは、似たような時代ばかり扱っていると、傾向が固まり過ぎて面白くない気がする。
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出世を妬む同僚によって罠に嵌り、全てを失い、獄中で地獄を見た医師・諸男。
恩赦によって釈放されるが、詐欺師・宇須らと共に天然痘によってカオスに陥った奈良で悪事に身を窶す。
一方、病に苦しむ庶民の為にひたすらその身を捧げる医師・綱手。
人間の欲や妬みによって作り出される理不尽・・
それさえも全て焼き尽くす不条理。
想像を絶する夥しき「死」を前にして知る「生」。
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天平時代での流行病・天然痘の惨状はいかばかりか、と息を呑む表現。
そこに天然痘を食い止めようとする医者の尊い行動と混乱に乗ずる者達との対比がよく描かれている。
直木賞候補作としてとりあえず読んでみただけで、あまり期待をしていなかったが、久々に骨太の作品を読んだ気がする。
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天然痘(痘瘡)の種火が現れ,だんだん奈良の都を覆い尽くしていく様が,施療院として医師としてなすすべもなく患者たちが死んでいく様が,リアルに語られている.その中で,人間はどういう態度を取れるのか,どうあるべきかと揺れ動く心の有り様を描いている.どうしようもない自分勝手な心の奥に,美しい魂があることも確かなことで,それが感じられるラストで良かったです.
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生への執着、死の恐怖。
それはいつの世も変わらず、我々の前に立ちはだかる壁なのかもしれない。
天平の世、人々を死に至らしめる疫病「天然痘」の流行により、人の業や医師の存在意義について深く考えさせられた。
正体不明の疫病への恐怖が人々の心と身体を蝕んでいく。
そして疫病に懸命に立ち向かう医師達もまた、治療方法が分からず己の無力さに打ちのめされる。
医師とは病を癒すことだけが仕事なのではなく、病人達の苦しみ無念を後の世まで語り継ぐ責務がある。
タイトル「火定」の意味が分かった時、その尊さが胸に焼き付けられる。
己のプライドを捨てても病と戦い抜く医師達の強い信念に感動した。
無数の「死」の向こうにある「生」の輝きは、現代にも通じることだと信じたい。
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天然痘が寧楽の都に蔓延する。奈良時代のパンデミックに対する医者や市井の人々の行動を描く。公家を含む高貴な方々にも罹患し、都は混乱(パニック)に陥る。当時は天然痘についての知識が乏しく、治療の手立てもない。民衆は医療に頼らずに、まじない札など非科学的なものに頼り、果ては海外から天然痘がやってきたという理由だけで、外国人殺戮まで至るなど狂気の沙汰となる。天然痘に罹患した人の描写は酸鼻をきわめる。特に後半は顔をしかめるしかなくなる。
さて、天然痘に立ち向かった名代(なしろ)や諸男(もろお)は、それほど志高い人ではなかった。それでも何か運命に導かれるように病気に立ち向かう。奈良時代のパニック小説という試みは面白い。
また、この時代の用語は読めないことがよくあるが、本書では、適切なタイミングでルビが入れられているので、非常に読みやすかった。
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奈良時代、天然痘が都を襲う。治療法がわからないまま施薬院の医師らは懸命に人々を助けようとする。町では混乱に乗じて新興宗教が金を稼ぐ。挙げ句の果てに暴徒と化した民衆により異人殺しが行われ、施薬院で働く異国の者が殺される。なぜ仲間を殺した民衆を治療をしなければならないのか。疫病を広めないために蔵に押し込められた悲田院の子どもたち。子どもたちの側に最後まで付き添った隆英の気持ちを思うと辛過ぎる。死体の描写があまりに凄惨で食欲がなくなったけど、読んで良かった。もう少し語り口が時代小説っぽかったらもっと良かったな。
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素直に楽しめて、久々に時間を忘れる読者だった。はるか昔過ぎる時代は、我々が想像で補わないといけない部分が多い。だからこそフィクションである小説になりうると思う。そして自由に描けるのだと。筆者の描く世界はその自由さをもって大きく広がっている。
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天平9年(737)、平城京を襲った天然痘。奈良時代のパンデミック。
静の描写力が問われるディストピアものと対照的に、動の描写力を問うのがパンデミックもの、が持論だけど、このダイナミックさには引き込まれた。圧巻。
それに、病院勤めの若造が医療の意義に目覚める、所謂「ビルドゥングスロマン」が綾になってて(個人的には興味ないが)、物語として間口を広げてる。まあ、逼塞する痘痕顔の天平8年遣新羅使副使・大友三中との交流は印象的だったかな。
平城京には何千人も外国人がいて、外国僧もお寺に居たとは知らなんだ。
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天平の時代の天然痘。
嵌められた者、医師として使命を全うする者、責任を感じる者、子供を守る者、混乱に乗じる悪者、そして、病に戦うすべものない民、その時代のあらゆる面を描写していた。人間の業、本質の物語であった。物語では、怖い病による人間の業、行動が書かれていたが、現代において未知なること、為すすべもないことことが起きれば、同じようなことが起きるのではないか。
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時は天平、ところは寧楽(なら)。
藤原四兄弟が権勢を誇った聖武天皇の御代。
施薬院に務める名代(なしろ)は辞めるきっかけを探していた。
貧しい病人の治療をするといえば聞こえはよいが、孤児の救済のために建てられた悲田院とともに、藤原氏が慈悲深いことを世に示すためだけに作られた施設だ。
なるほど資金は藤原氏から出るが、ここで務めていたとて出世の道は望めない。
上司の綱手は金にも名誉にも興味がない。兄貴分の広道は無暗と口うるさい。孤児院の悪ガキどものいたずらにも手を焼いていた。
何にせよ来る日も来る日も貧しい病人の世話をするのにほとほと嫌気が差していたのだ。
そんなあるとき、都に不吉な気配が流れる。
何十年も前に荒れ狂った裳瘡(もがさ:天然痘)が都に入り込んだらしい。
どうやら新羅の国から帰った者たちが疫神に取り憑かれていたようだ。
じわり、じわりと、野火のように感染は広がっていく。
確たる治療法も薬もないまま、人々は見えない疫病に翻弄され、狂奔する。
業火に焼かれるように伝染病になぎ倒されていく人々。
歯を食いしばってこれに立ち向かう綱手。
普段は施薬院に薬を納めているが、疫病の気配を察して、いち早く身を潜めた比羅夫。
宮中の医師でありながら、無実の罪を着せられ獄に落とされた猪名部諸男(いなぶもろお)。
混乱に乗じて怪しげな神をでっちあげ、人々を扇動することに異様な喜びを示す宇須(うず)。
悲田院の孤児たちを我が子のようにかわいがる僧、隆英。
内心、自分たちが病を持ち込んだことに苛まれている遣新羅使たち。
地獄のような都で、それぞれの人生が交錯する。
病は善人も悪人も区別はしない。
それぞれの悲しみを苦しみを呪詛を抱え、人は斃れる。
猛り狂う疫病の中、名代が物語の最後に見るものは何か。
昔から、人は何度も何度も感染症に襲われてきた。
病と闘う術が非常に限られていた時代、その怖ろしさはいかほどのものだったろう。
著者の重厚な筆は、文献の裏付けを杖に、読者をぐいぐいと天平へと引っ張っていく。
「火定(かじょう)」とは、仏教の修行僧が自ら火中に身を投じて入滅することを指す。
人は病に斃れ、けれどもまた立ち上がる。先に続く者の礎となるのであれば、業火に焼かれた者の死も、決して無駄ではない。
凄惨な描写も多く、気楽に読める1冊とは言えない。
けれども終幕に降る雨が、しみじみと胸にしみいる余韻を残す。