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パレスチナ人難民の虐殺事件や第二次世界大戦中におけるホロコースト、あるいはいわゆる従軍慰安婦に関する問題などを手がかりに、記憶の表象可能性の限界を指摘するとともに、そうした限界を超えて語ることへの希望を示そうとする試みです。
ガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』以来の問題設定を踏襲しており、こうした議論に食傷ぎみの読者は不満をおぼえるかもしれません。たしか内田樹も、そうした批判を展開していた記憶があります。とはいえ、個人的には本書で紹介されているいくつかの議論を通じて、記憶と物語をめぐる問題のさまざまな切り口を見ることができて興味深く読みました。
バルザックの『アデュー』という作品についての考察や、「ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース」と叫びながら敵陣に突撃した日本兵のエピソードを介した議論など、とりあげられている例がさまざまな問いを喚起しているように感じられるのですが、小さな本なので十分な議論を展開する余裕がないとはいえ、はじめから結論のほうに向かって水路が用意されているような議論の展開は、本書のようなテーマをあつかっている本のばあいには少し残念に感じてしまいます。