紙の本
パヨクによるミスリード本ではあるが
2019/11/24 02:59
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投稿者:ライサ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブラック企業の根本は福沢諭吉にあったことが指摘されている。
その一点においては読んだ価値があったと感じた
しかし。後半に進むにつれ異様に中韓やロシアを持ち上げ日本やアメリカをバカにし台湾については無視するという態度が強くなってくる
不審に思い書いた人物を確認すると……ばりばりのパヨクなのであった。
よって読む価値なし
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明治以後の150年を、科学と技術という観点から見て書かれた通史。圧巻は5章以降で、戦中の戦時即応体制を作るために社会や政治経済の仕組みが総力戦体制に編成され、それが戦後の高度経済成長をも可能とした条件になったという。社会経済について1940年体制ということはすでに言われているが、科学、技術の面でそれが明らかとなっている。
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さすが、元東大全共闘委員長の著者の観点は鋭い。明治以来150年の文明化の日本における特殊性、それが軍事技術への関心の高さから戦争と密接に結びつき、「兵学」であったこと、それは戦後も一貫しており、朝鮮・ベトナム戦争における兵器開発、なんと原子力発電の維持までが、岸首相以来の核兵器をいつでも持てる潜在的核保有の意味を持たせ、諸外国への牽制としていることを論破していく!驚きだが、全く肯けるところ。一方、ドイツ、イタリアは脱原発を宣言したらしい。それが2011年の原発事故において、日本の科学技術体制の破綻を迎えているという認識は私自身もしっかりと持つべきだと感じた。気象、海洋研究までもが海軍の1935年の三陸沖演習における大事故の反省から本格的に進んだとは知らなかったが、成程!明治期の欧米への劣等感は森有礼文相の留学生への訓示「欧米女性との交際による雑婚の奨め」に見える、確かに荒唐無稽。
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山本氏の著書については高校生のころ「物理学入門」で勉強して以来だ。みすずの本は、読んでみたいと思いながら、ついに手が出なかった。そして、岩波新書。広告を見てすぐ書店に向かった。しかし、どこにもない。もう売り切れたんだろうか。書店員に確認すると、それは来月発行とのこと。ややこしい広告を出さないで。と思いつつ、1ヶ月待って手にし、すぐに読み始めた。分かりやすい。おもしろい。知っていた事実も知らなかったこともいろいろとあるが、最終的にはやはり戦争はもうかるということ。そしてそれに乗っかってもうけたいという人間がいかに多いかということ。原発についても同じこと。なんだかおかしな話だ。国は借金だらけだというのに、高価な兵器を購入しては、古くなったら処分する。造る企業もしかり。もうかるからか。そして、選挙はあんな結果になる。なんだか情けなくなる。足尾銅山や、水俣病の教訓は全く生かされていない。人間の本性は変わらないということか。しかしである。本書は売れている(たぶん一部で)。そういう意味では期待はできる。(選挙のときも一瞬期待したんだけどなあ。)こういった事実を、なんとか、子どもたちにも知らしめていきたい。最終的な判断は本人次第だが。
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力作。
よく書かれている。
軍事が科学・技術向上に大きく関係していたことが分かる。
弱者を犠牲にして発展してきたことも分かる。
やはり、国や大企業のいうことをうのみにしてはいけない。しっかり自分の考えを持たなければ。
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今年2018年は明治維新から150年で、この150年は日本の近代化の歴史でもある。明治の文明開化に始まり、太平洋戦争を挟んで高度経済成長へと科学技術の進歩に支えられ、日本はひたすら邁進してきた。
明治初期の日本は兵部省、工部省、文部省が中心となり科学技術を振興してきたが、第一次大戦を通じて総力戦体制に科学技術が重要であると分かると、科学者が率先して国力増強へと協力していく。1917年に理化学研究所が創設されるのは象徴的だ。科学者が自らの立身出世に躍起になっている姿が見える。
太平洋戦争が終結すると、一転して「科学戦の敗北」「科学の立ち遅れ」がさかんに言われ、今度は「原子力の平和利用」が唱えられる。しかしその先に待っていたのが福島原発の事故ではなかったのか。大日本帝国は戦艦大和、武蔵ととともに沈んだが、今の日本は原発とともに沈もうとしているようにみえる。
明治の科学技術は工学と中心として発達してきたが、それは日本人のモノ作り志向にマッチしている。しかし一方科学を「実学」一辺倒で捉えてきたためにヨーロッパでは科学の背景にあり、それを支えた哲学や文芸を蔑ろにしてきたのではないか。それが今の理系重視、文系軽視の現状にも直結しているし、また理系分野でも数学や物理学といった基礎分野はあまり顧みられないことにも見てとれる。
科学の背景にある価値判断、何のための科学か、何が人間を幸福にするのか、といった問いかけこそが本来必要なのではないか。
前半が明治維新以来、政府が科学をどのように振興してきたか、科学技術の各分野が産業、軍事との関わり合いの中でどのように発達してきたのかが詳述されていて、特に興味深かった。
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明治以降の150年間の産業技術について、その負の側面を痛烈に気持ちいいぐらいバッサリと批判している。さすがこの人だという傑作だ。特に第6章「そして戦後社会」では、高度成長の裏にある公害問題について、産官学マスコミを強烈に批判している。御用学者の企業援護とそれに乗っかるマスコミ。それが次章の原子力発電につながる。この部分がハイライトと感じた。何度も読み返したい名著。
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小生の世代では著者の名前は有名である。
「東大全共闘議長、全国全共闘議長」。なんとカリスマ性に満ちていたことか。
本書を読むと、日本が明治以来歩んできた道を否定するか、それとも高度成長に繋がった歴史を賞賛すべきなのかの基本的立脚点を問われる思いを持つ。
著者の立ち位置は「リベラル」と言うよりも「革新」と言うべきか。
現在ではやや左に寄っているようにも見え、小生の視点とも違和感がある点もあるが一読の価値がある本であると思った。
2018年5月5日読了。
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数多くの文献を引用しながら、明治から始まる近代日本の科学技術振興がいかに軍部に牽引されてきたかを述べている図書。軍や政府主導の科学技術振興が日本を作り上げてきたが、弱者である市民の生活がないがしろにされる問題が現在も続いていることに警鐘を鳴らしている。今の政権が原子力産業や兵器産業等で国を潤そうとしているように見えることが情けなく感じる。
もう今の日本は人口も増えないんだし、縮小して撤退していく方針の方が市民の生活を守ることができる気がする。
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日本の科学技術と日本的経営が行き詰まって行く過程をよく説明していると思う.では,どうすべきかについての著者の説明は,夢があるが,実現することは容易では無い.I habe a dream.それは叶うだろうか.
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第二次世界大戦を挟んで戦前と戦後で変わらず継続されているものとして、官僚制があることはよく知られていたが、科学者も全く変化なく研究を続けていたことに気づかされた。戦争責任などの大義からの追求とは、目的を持った行動なのだとつくづく思った。
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この150年、どのような背景で科学技術が発展し、いまどうなっているかがよくわかった。これからどうするべきなのかとても考えさせられる。
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明治から始まる歴史の流れを科学技術に絞って展開
原発を推進する、核不拡散条約に同意しないスタンスの人達が持っている思想や背景をイメージする助けになる
経済成長を目指すべきかそもそも違う視点を見出していくのか。
いろんな意見はあるけど国を国民一人ひとりと見るのか俯瞰して国という記号を見るのかによって考えは大きく変わる。自分は前者でいたいが後者にも共感してもらえる話を展開できるようになりたい
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著者の名前は団塊世代には様々な事象を想起させる.p236に次のような総括がある.「明治から大正にかけての経済成長、すなわち富国化・近代化は、主要に農村の犠牲のうえに行われ、昭和前期の大国化は植民地と侵略地域の民衆の犠牲のうえに進められたのだが、戦後の高度成長もまた、漁民や農民や地方都市の市民の犠牲のうえに遂行されたのである.生産第一・成長第一とする明治150年の日本の歩みは、つねに弱者の生活と生命の軽視をともなって進めてきたと言わざるをえない.」第6章以降は小生の記憶と合致する部分もあり、さらに筆者の筆も佳境に入った感じで的確な視点で問題を暴き出しているのが、非常に面白かった.戦時中に優遇された科学者が他の分野で戦後に出てきた戦争責任の問題を無視あるいは軽視して、そのまま高度成長期に突入したことを厳しく指摘している.このような発想が公害を隠蔽してきた科学者の行動に繋がったという論考は傾聴に値するものだ.
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明治維新から150年。日本的近代化を一貫した流れとして捉え、惹起した歪みを必然と論証する労作。戦後社会も国家総動員体制を引きずっているという指摘は重要。山本氏が問題の柱に据える科学技術なる言葉も近代特有の概念です。科学は元来、自然の真理を探究していましたが、技術という言葉が付き資本主義の道具と成り果てました。限りなき成長を神話とする近代は限界を見せています。今こそ、歪んだ富の偏在を正すポスト近代たる理念の確立が待たれます。