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ページをめくるごとに様々なことを考えさせられる本だった。
事故を防ぐにはどうすべきか、それを企業という様々なしがらみの中でどう実現するか、そしてそれを隅々までどう浸透させるのか。
事故が起きてしまったとき、一人の人間として、被害者として、あるいはその場に居合わせた一員として、また社員として、さらには経営者という立場だったとして、自分に何が出来るのか。
大企業を前にして一人の人間に何が出来るのか、
大企業という巨大な組織を前に一人の社員あるいは経営者として何が出来るのか。
こうした次々湧き上がる疑問に唯一の答えはないのだろう。
答えがあるとすれば、それは考え続けることかもしれない。
そして、自分にとっては、こうした本を読んだり、様々なことを学び直したりすることが、改めてそうした疑問に向きあい、深く考える機会になる。
本書でもたびたび登場するヒューマンエラーの考え方にも通ずるが、人間は気合だけで常に高い集中力、危機感を維持することは出来ない。
残念ながら安全意識も同じである。
経営理念を掲げるだけで安全を守れるほど甘くはない。
人間の意識は低下することを前提に、それをマネージすることが必要である。
その視点を忘れずに、考え続けていかなければならない。
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運転手も含め107名の犠牲者を出した2005年4月25日に発生した福知山線脱線事故。その事故で奥様を亡くし、娘さんが大けがを負った浅野弥三一氏が、JR西日本に対して事故原因の追究を訴え、被害者と加害者という立場を超えて再発防止に取り組んできた日々を追うノンフィクション。
当初JR西日本経営陣は事故原因を運転手のミスと主張していました。しかし、浅野氏は運転手のミスは原因ではなく、運転ミスを厳しく罰する懲罰主義やミスに対する厳しい日勤教育をはじめとする精神論などの企業体質にこそ原因があると考え、JR西日本の企業体質の変革を目指しました。
当初、専ら組織防衛に徹する経営陣とは議論がかみ合わない中、新たに社長に就任した山崎正夫氏との出会いが事態を動かすきっかけになりました。山崎氏はJR西日本初の技術系出身の社長であり、技術コンサルタントであった浅野氏と技術者同氏として語り合うことができたからです。浅野氏が山崎氏と初対面の時の印象を「彼は技術屋でしょう。彼となら対話ができるかもしれない。事務方の用意した官僚答弁ではなく、自分の言葉で本音を喋る人だ。」と述べ、「責任追及はこの際、横に置く。一緒に安全の再構築に取り組まないか」と語りかけています。
鉄道など公共交通機関は安全が最優先とはわかっていながら、利用者である私たちは「より速く、より快適に」という要求を過度に求め過ぎていないでしょうか。「原発には反対だが、快適な生活は手放したくない」といった要求とよく似た構図がみられる気がします。鉄道の安全を確保するのは確かに鉄道を運行している企業であるのは当然ですが、その企業に過度なプレッシャーを与えていないか、再考させられる1冊でした。
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建物の1階部分にひしゃげた車両がめり込んでいる。脱線事故とは
言え、これはどういう状況なのか。2005年4月25日に発生した
福知山線脱線事故のニュース映像だ。しかも、テレビ画面に映し
出されていた車両は2両目だった。
この事故で妻と妹を失い、次女が重傷を負った都市計画コンサルタント
淺野弥三一氏が巨大組織JR西日本を相手に組織としての原因追求と
安全対策の改善を求めた記録が本書である。
淺野氏は被害者遺族であり。被害者家族である。その人が被害者感情を
優先するのではなく、組織事故としてJR西日本に真摯な対応を求める。
誰もが出来ることではないと思う。大規模事故に自分が、または身内
が巻き込まれたのなら、私だったら被害者感情が先に立ち安全の確立
を求めることまでには考えが至らないだろうと思う。
国鉄の分割民営化後のJR西日本が優良企業となって行く過程、その
なかで育まれてしまった上に物が言えぬ組織風土。それをJR西日本
自身に見つめ直されるのには、事故後に社長に就任した山崎正夫氏
の登場を待つしかなかった。
残念ながら山崎氏は自身の不祥事と福知山線脱線事故での在宅起訴
で社長の座を去ることになったが、彼がいたことで淺野氏たち被害者
組織との対話の実現への突破口になる。
あの事故を運転士個人の責任として済ませてしまうのは却って簡単なの
だろう。では、何故、ヒューマンエラーが起きるのか。その背景を洗い
出した記録として本書は貴重な作品だと感じた。
一貫してJR西日本の組織的責任を追及し続けた淺野氏は勿論のこと、
JR西日本関係者の多くに取材し、丹念に描かれた良書である。
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テスラの自動運転の死亡事故は、本来ブレーキをかけるべき運転者が前を見ずにスマホいじっていたのが原因だ。
交通業界にいる身としては、お粗末すぎると思った。
自動運転の技術革新が目覚ましく、世界中で開発競争が激しい。
この新技術での遅れは、その国の科学技術が世界から遅れることに直結している。
ということは理解している。
翻って鉄道業界は、外部からではほとんど分からないほど変わらない技術だ。
だがもし、テスラの事故と同じことを鉄道がやらかしとすると、社会の目は自動運転とは比べ物にならないほど大きい。
トライ&エラーとか言ってられない、100%の安全が求められるのが鉄道業界だ。
だから、新技術もひたすら何年もモニターラン・コントロールランを繰り返して、ようやく世に出せる。
世に出るころには、すでに技術的には遅れていても必要なステップだ。
13年前、107人の死亡者を出した列車脱線事故。
平成の世にこんなことが起こるのか日本ヤベーなと思っていたが、鉄道業界の技術部門に入った身としては、起こりうるというのが現在の認識だ。
死亡者数の裏には、表には出てこない残された人たちの人生が隠れている。
突然に家族を奪われた怒りと絶望がある。
次はうまくやります。トライ&エラーです。なんてことを、人を殺すことがある業界は言ってはいけない、考えてはいけない。
絶対安全じゃなければいけないのだ。
便利、コストダウン、技術革新、未来の技術、そんな目先のきれいごとで交通業界が守るべき安全をないがしろにしてはいけない。
新システムが人を殺す。
技術者はそのことに恐れなければいけない。
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関係者などをはじめ、かなり調べて書かれている本書。
その熱意には頭が下がる。
が、技術的な専門用語が多くてかなり難しい。
失礼ながら、その辺りはちゃっちゃっと飛ばし、淺野氏やJR西日本関係者の話やエピソードの辺りを読む。
事故ると確かに大惨事になる鉄道だが、全国で毎日運営されている鉄道数を考えると、その数は非常に低いといえるだろう。考えてみれば、それってすごいことだ。
過去の事故からたの「学び」が生かされているのだろう(と信じたい)。
「人間がかかわるものはミスが起こるもの」と想定して備えておかないといかんな。
まるで見当違いの感想だが、「一番前の車両に乗って運転士と同じ視線で景色を楽しむ派」の私だが、本書を読んで一両目に乗るのが怖くなったかも(汗
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被害者遺族の代表の一人浅野氏に寄り添う形で,丁寧に聞き取り調査をして,JR西日本の体質歴史に切り込んでいるのは見事.ただ批判するだけではなく,これからどうすれば事故を防げるかにポイントを置いて,身勝手な井手天皇をも冷静に分析している.福知山脱線事故の本は興味があって何冊か読んでいるが,これが一番心にグッときました.
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2005年4月25日に発生した、あの福知山線の事故。
あれはやはりJR西日本という企業が生み出した事故
なのでしょう。
通常、事故といえば個人の過失やシステムの故障、
車両などの整備の欠陥に行き着きますが、あの事故
に関しては違いました。
間違いなく組織が起こした事故であることがこの本
から理解できます。
その責任をJR西日本に認めさせ、改善させるまでの
闘いがこの本に記されています。
誰もが当事者になりうる事故です。背筋を伸ばして
読むべき一冊です。
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【あらすじ引用】
乗客と運転士107人が死亡、562人が重軽傷を負った2005年4月25日のJR福知山線脱線事故。
妻と実妹を奪われ、娘が重傷を負わされた都市計画コンサルタントの淺野弥三一は、なぜこんな事故が起き、家族が死ななければならなかったのかを繰り返し問うてきた。
事故調報告が結論付けた「運転士のブレーキ遅れ」「日勤教育」「ATS-Pの未設置」等は事故の原因ではなく、結果だ。
国鉄民営化から18年間の経営手法と、それによって形成された組織の欠陥が招いた必然だった。
まだ記憶が十分に新しい福知山線の脱線事故。既に14年も経っていたんですね。
脱線した上にマンションに突っ込み、多くの人命が失われた前代未聞の大事故でありました。
東京でも2000年に営団地下鉄で脱線衝突事故が有り、5人の人命が失われました。人数で比較するものではありませんが、福知山線では107人の命が失われるという未曽有の大事故でした。
当時のニュースを思い返すと、運転手の暴走でカーブを曲がりきれなかった事によるものという印象でした。ともすれば、個人のミスによるものであるという認識が有ったかもしれません。
しかしこの本を読むと、JR西日本の企業としての負の蓄積が噴出した起こるべくして起こった事故であったとわかります。
井出会長が良くも悪くも剛腕で牽引し、赤字を出さない為に叱咤してここまで持って来たという自負、また崇め奉る事により誰も意見を言えなくなり、現場サイドの危険への意識を吸い上げることなく、ひたすらトップダウンでしかない一方通行の経営方針が現場の考える力、判断力を奪った。
ミスに対して懲罰を与える事により、ミスを隠ぺいする体質が根深く出来上がってしまい、小さなトラブルの内に危険の萌芽を摘み取る事が出来なかった。
収益重視の経営方針を推し進めた事によって、車両の増加、高速化を推し進め、それに比して安全対策がなおざりになっていた。
そんな事故に家族が巻き込まれる事になった浅野氏は、都市開発、計画を長年に渡って手がけてきた人物です。事故に遭われたのは非常に気の毒では有るのですが、彼の妻子がこの事故に巻き込まれた事によって、JR西日本という会社の問題点が浮き彫りになり、最終的に同社の今の姿があるのだろうと思います。ある意味JR西日本の大恩人とも言えます。
懲罰ありきで個人に責任を帰する風潮というのは、もしかして日本の根本的な問題なのではないかと思いました。スキャンダルにマスコミだけではなく一般市民まで群がり吊し上げ、責任を取らせるのではなくひたすら追い詰め辞めさせる。そして根本的な原因は置き去りになる。重大な問題がどんどん深い所に隠されていくのではないかと懸念されます。
この本でも書かれていますが、ヒューマンエラーというのは原因ではなく、結果なのでさらに遡った要因を見つけなければ解決しないと思います。
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遺族を少し変わった視点から描いたドキュメント。
妻と妹を亡くし、娘は重症。
考えただけで気が遠くなります。
読み応えが重すぎて読むのが辛くなるほどです。
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【2本のレールが交わるところ】2005年4月25日に発生し、107名の死者と562名の負傷者を出したJR福知山線脱線事故。当初の会社側の無機質な対応に風穴を開け、JR西日本と共に事故の原因究明と安全対策に乗り出した遺族を軸に、事件のその後を描いた作品です。著者は、神戸新聞の記者を経てフリーランスで活躍している松本創。
月並みな表現ですが、組織や社会の根幹はやっぱりどこまで行っても人なんだなと教えてくれる一冊。JR西日本と遺族との話し合いを通じ、読み手の側も、組織論や危機管理論を超えて幅広い教訓を得ることができるかと。
〜「被害者と加害者の立場を超えて同じテーブルで安全について考えよう。責任追及はこの際、横に置く。一緒にやらないか」〜
事前の前評判を裏切らない素晴らしい作品でした☆5つ
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インフラを扱う一人にとって、吉村昭著の高熱隧道に並ぶ、重要な作品となった。
淺野氏及び事故被害者の方々には心からの追悼の意を表すると共に、淺野氏の行動に、大きく心を揺さぶられた。
JR西はもとより、社会インフラに関与している全ての人が、本書から訴えられる安全に対する意識を持ち、何度も反芻しながら業務に従事することが出来れば、と思う。
この気持ちを拡げて周囲を巻き込む事が、淺野氏や著者への恩返しになるのではないか。
終わりなき旅だが、不断の努力はきっと意味がある。
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最後の井手会見はよかったが、全体的にパンチのない内容。
瑣末な事項と、著者自らの推定や想定を並べ立て、なんとかJR西日本を悪者に仕立てようとしているように見えた。事故の真実は事故調査報告書にあると考えるべきである。真実の追究は、物的証拠と、双方からの聞き取り、専門家からの意見から行うしかないのに、遺族と反政府・反巨大組織を訴える市民からの一方的な一方向からの意見によって覆そうとしているとしか思えない。
JR西日本は株式会社であり、社会インフラの中核を担う組織である。JA西日本がどのようなビジョンをもって平素から営業活動を行っているのか、その利益追求のために、安全はどのような位置づけにあったのか、そのバランスはどうだったのかというような基本的なビジネスの始点に立って分析するのが基本であるのに、その配慮に欠けている。
被害者に対する謝罪や、補償は大事である。事故の再発防止も極めて大事である。ただし、本作品は、被害者という一部の市民にスポットライトを当て、世論の力をかりて巨大組織に衝撃を与え、自らの手柄とばかりに自慢するマスコミの常套手段をそのまま使って本にした作品のように思える。私はJR西日本とはまったく関係ない人間だが、この手の日本社会に対し無用に亀裂を生じさせるような活動には、断固反対したい。
私には、カリスマ井手社長や裁判官の言葉の方が、容易に理解できるし納得できる。著者が批判する「個人の意見より組織論理を重んじる」こと、「安全より利益を重んじる」ことのどこが悪いのか。著者の方がはるかに視点が低く、事故調査や裁判結果に即さず自論を展開しても議論が成り立つわけがない。本書の内容は、井手氏が要請した「事実だけを書いてほしい。憶測を交えたり無用な修飾語をつけないでほしい」ということを、巻末だけでなく、本全体に適用すべきだったのではないか。
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タイトルの通り、福知山線の脱線事故後のルポルタージュです。特筆する点は、一つに遺族の一人、淺野弥三一氏の側からの視点で書かれていること、その淺野氏がJR西日本に対する責任追及よりも、JR西日本と一緒に今回の事故を検証して再発防止に繋げていけないかを模索した点です。紆余曲折ありながらも、最終的には、JR西日本、遺族側、第三者機関が同じテーブルについて、話し合いが行われることになりました。可能な限り冷静に客観的なデータに基づいて議論していく姿勢に感銘を受けました。また同時に「遺族の責務」という言葉が重くのしかかってきました。
リスクアセスメントの考え方によれば、ヒューマンエラー、今回の件で言えば、運転士のスピード超過がカーブを曲がり切れず脱線に至ったわけですが、それは「原因」ではなく「結果」とします。もっと大きな視点に立って組織風土や環境要因など様々なファクターが複雑に絡み合って、今回の「結果」が生じたのだと。日本は昔から個人にその責を負わせる風潮があるようです。もちろんヒューマンエラーが主要因かもしれませんが、現代社会では事件・事故が大きくなればなるほど、その原因は複雑化します。個人に「原因」を集中させることは、ともすれば、複雑化した原因解明を遠ざけてしまう可能性があります。
淺野氏は事故で妻と妹を同時に亡くしました。遺族としての辛い気持ちや葛藤も抱えながら、一方で氏のエンジニアとしてのプライドをもって事故の本質を詳らかにしようと、何度もJR西日本と交渉を重ねます。その姿勢はJR西日本を糾弾するのではなく、問題をオープンにして、一緒に考えていこうという非常に成熟した発想に思えました。
3者で開催された「課題検討会」のオブザーバーであった柳田邦男氏がその報告書に寄せた一文があります。
「私はこの社会に人間性の豊かさを取り戻すには、被害者(1人称の立場)や社会的弱者(同)とその家族(2人称の立場)
に寄り添う視点が必要だと感じる。『これが自分の親、連れ合い、子どもであったら」と考える姿勢である。もちろん、専門家や組織の立場(3人称の立場)に求められる客観性、社会性の視点は失ってはならない。そういう客観的な視点を維持しつつも、被害者・加害者に寄り添う対応を探るのを、私は『2.5人称の視点』と名づけている。課題検討会におけるJR西日本の遺族たちに対する応答の仕方に、私は『2.5人称の視点』に近づこうとしている姿勢を感じた」
柳田邦男氏の『犠牲(サクリファイス)ーわが息子・脳死の11日(文春文庫)』の中では1人称、2人称、3人称の死について述べられていました。相反する発想や価値観、立場を自らのうちに留めて、決して安易な結論に流されないよう、その葛藤に身を置く姿勢と解釈しています。それが、本質に近づける手段のように思えます。
著者は元神戸新聞の記者で、現在はフリーランスです。文書構成もさることながら、非常に読みやすく、その文章力についつい引き込まれていった部分も否定できません。秀逸なルポルタージュには間違いありませんが、史実を元にしたドラマのような感動も覚えました。
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あの日のことは、覚えているが、事故の原因追求を被害者が中心となってやっていたとは知らなかった。時々利用する乗客としても色々と考えさせられた。
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事故後13年以上もたって、初めてこの事故についての詳細な事実を確認することとなった。とにかく安全システム、安全設計について多くを考えさせられる本。リスクアセスメントの学習を始めたところで本書を知ったのは良かった。まずは浅野氏の凄さにひれ伏すのみ。せめてその足元でもがける程度にはなりたい。
本書に示されるJR西日本安全フォローアップの資料をJR西日本のサイトから入手した。こちらもじっくりと読んで学習し、今後の糧としたい。