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伊達政宗の最期の半年間
2020/06/17 06:53
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
政宗の近くに仕えていた木村宇右衛門の本をもとに亡くなるまでの半年間を描いた本。政宗の人柄や将軍家光や息子忠宗、家臣たちに慕われている様がよく分かった
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
政宗の最期を時々刻々とつづった本。政宗愛に満ちている。戦国を生き抜いてきた武将の最期は何とも美しいものがある。
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戦国BASARAや小説などで流布しているイメージとは程遠い。
やはり、あれは伊達政宗の全盛期の話なんだろう。
晩年の政宗を描いているものだが、なんとまあ、柔和になったこと。
徳川幕府への忠誠心の誓い方が半端ではない。
もちろん、逆心を抱いていたとしても、記録には残せないだろうけど。
文語の原文を引用しているので、
抵抗がある人もいるやもしれない。
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伊達政宗本は何冊も読んできたが、臨終間際のことはあまり知らなかった。「江戸の藩邸にて、胃がんで亡くなった。将軍家光も見舞いに来た。」というくらい。
伊達政宗に仕えた小姓・木村宇右衛門可親が、政宗の言行を記録した『木村宇右衛門覚書』(仙台市博物館所蔵)。がん性腹膜炎で腹回りが石のように硬くなり、また膨れ上がっている様子など、小姓ならではの記述が大変貴重。
【『木村宇右衛門覚書』には、政宗の十七回忌のことが記されており、それが執り行なわれた慶安五年(1652)頃の成立と推定されています。】
という文書とのこと。
文語が一見難読ではあるが、解説もあるので意味はつかめる。日葡辞書を使い、当時の言葉の使い回しを推察しているところも、勉強になる。ポルトガル人が作った辞書のおかげで、当時の日本語の意味が分かるというのは面白い。
ちょうど仙台の祖母ががんで亡くなり、その直前の様子も聞いていたことから、胸が熱くなる思いで一気に読んだ。
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1636年最後の江戸参勤のあたりを。
読み辛い部分もありますがなるほどーと思うことも多く、ためになりました。
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第1章 くもりなき心の月をさきだてて(齢、すでに古稀;いとま乞いの江戸行き;日光社参)
第2章 病身をおして(「医師団」の差遣;御心ざしかたじけなく存じ候;死を前にしたユーモア)
第3章 将軍家光との別れ(隠密の御成;障子越しのドキュメント;小姓は見た!)
第4章 殉死を望む家臣たち(上意の鍼治療;息子とのスキンシップ;むげに死なんは口惜しきことなり)
第5章 政宗臨終(愛姫からの手紙;会えぬがゆえに;最期の夜)
著者:小林千草(1946-、鹿児島県、日本語学)
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原文の解説が丁寧で読みやすい。一人の戦国大名がどのように死を迎えたか、非常に面白かった。身辺の整理の仕方などにある病苦にも負けぬ意思の強さはさすが武士らしいと感じいる。戦国乱世に揉まれた前半生とはかけ離れた、太平の時代に将軍からも厚遇され穏やかに息をひきとっていく恵まれた晩年のありようになんだかしみじみとした思いを感じる記録だった。
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他の方が書かれている通り臨終間際のことを詳しく書いた本を読んだことがなかったので見つけたときには飛びついてしまった。
愛姫とのエピソードも詳しく書かれており、また忠宗とのやりとりもあり、破天荒だったイメージとは程遠い伊達政宗の姿が垣間見える。
出典となった『木村宇右衛門覚書』もぜひ読んでみたいところだが纏めた単行本は現在絶版で恐ろしい価格になっていた。残念。
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タイトル通り、最後は貞山公の身罷られた日に落ち着くと分かっていても、読み進めながら涙が止まらなかった。静にして苛烈。
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大河ドラマ「独眼竜政宗」を見終わったので、惹かれて読んでみた。
ドラマではほとんど描かれなかった伊達政宗の最晩年。
側近がリアルタイムで書いた日記をもとに話が進んでいくので、ドラえもんのタイムテレビで伊達政宗の死の直前の様子をのぞいているかのような臨場感だった。
「戦国時代の完走者」ともいわれる政宗。
現代の自分からみたら、畳で死ねるなんて他の武将よりずっと幸せなことなんじゃないか、って思ってしまう。
でも、前半生を戦国武将として生きた人間としては、やはり戦場で華々しく散るのが幸せだったのかなと思わせる政宗の言動。
人生の割合でみたら、世が定まってからの人生の方が長いのに、戦国武将らしい気概を持ち続けたい願う政宗。
そんな政宗の子孫はいまだ仙台の地に連綿と続いているということもすごい。
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政宗の小姓としてすぐ近くに仕えた者が、その臨終に際した実際に本人が見てきたものを記録した覚え書きを元に、原文を訳して解説が書かれたもの。
70歳という、当時ではかなり長生きをし、かつて覇を競った仲間がすべていなくなり、平和な治世となった中で、『遅れてきた戦国武将』と言われた伊達政宗が、自らの死期を悟り、どのように終活の日々を送り、どのように看取られていったかが克明に書かれている。
主君(家光)に最期の挨拶をし、嫡男と伊達家と家臣たちの安堵を確認し、最期は戦国武将らしく愛刀を抱えて最期を迎える。正室が同じ屋敷内にいるのに「あなたにはみっともない姿を見せたくないから」といって奥さんは臨終に立ち会えなかったの辛すぎる!
こうやって、国を治める武将とはかくあるべき、戦国の男はかくあるべきという姿を見ると、「武士の情けじゃ!」とかいって一時の激情に流されて自分はとっととおっ死んで家臣たちを路頭に迷わせたどこぞの某アサノなんちゃらなんて平和な世の中に生まれた生っちょろいナンチャッテ武士にしか見えない。
辞世の句が
「曇りなき 心の月を先立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」
心の月というのはもちろん伊達政宗の兜の前立てについている月のことですね。
なんともカッコいいではないですか!
もういっちょ書くと、愛娘である牟宇(むう)姫の辞世の句が
「こしかたも 知らぬ身なれば 曇りなき 月をしるべに 西へこそ行け」
さぞかし偉大な自慢すべきお父さんだったのだろうなあと。あの世にいったら大好きなお父さんに会えると思うと死も怖くはなかっただろうなあと、 読んで思わず涙してしまいました。