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350年経て調査委員会を設置し、その報告からガリレオに謝罪し、科学と宗教の融合を宣言して、科学者達の教会離れを防いだ教皇、ヨハネ・パウロ2世がスゴい。
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特定の宗教の信者でも無神論者でもない自分には、神と科学をどう解釈するかはすんなり入ってきた。どちらかといえば、わかりやすい物理学発展の歴史といった側面で非常に面白かった。
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簡単な科学史を軸に、一神教の神理解を説いた作品。
後半の近現代、特にアインシュタイン、ルメートル以降は古典物理学や理論物理学の知識が少し必要になってくるが、図も駆使しなるだけ事実を平易に書くように努められているように感じる。
ホーキングの理論物理学、特に宇宙論において、「宇宙には始まりもなく、したがって終わりもない、だから神はいない」との論のなか、彼自身の晩年の論文「無限螺旋からの脱却」の中に見られた神理解は興味深い。
著者の「旧約聖書の創世記を再解釈することが許されるならば」との中で、「神は最初に物理法則を造られた。...」の所は面白い。
かなり良書だと思う。
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メモ
ガリレオ「宇宙は第二の聖書である。この書の言葉は数学である。」。
ケプラー「天文学者は自然の聖書をもとに、神に仕える牧師である」。
ニュートンの「太陽系の精巧な模型の逸話」。この宇宙は、誰かが設計して創ったもの。
アインシュタイン「神は謎だ。しかし、解けない謎ではない。自然法則を観察すれば、ただただ畏敬の念を抱くばかりだよ。法則にはその制定者がいるはずだが、どんな姿をしているのだろうか? 人間を大きくしたようなものでないことは確かだ」。
ディラック「神はきわめて高度な数学者であり、彼は宇宙の構築に、この非常に高度な数学を用いたのだ」
ホーキング「科学の法則は宇宙の起源を説明するのに十分であって、神を持ち出す必要はない。アインシュタインと同じように、私は非人格的な意味で自然の法則を指す言葉として神という言葉を用いる。
小柴昌俊「三田君、宗教がないほうが世界は平和だよ」。
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信仰の強さが、神が創造したものをもっとよく見たいという気持ちを駆り立て、革命的な発見につながった。
科学者とは、自然に対して最も謙虚な者であるべきであり、そのことと神を信じる姿勢とは、まったく矛盾しない。
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小柴の言葉が、現代日本の宗教観をよく言い表している。宗教とは争いを引き起こす厄介なもの。そんなものに関わらない方がよいのだ。
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人間と宇宙が存在する意味と目的に答えが見出せた時、初めて神の存在が必要なくなるのでは?だがその時というのは永遠に来ないであろう。このことを知っているからこそ科学者は神を信じるのでは。ホーキングの言葉から自分の中で腑に落ちた。キリスト教信者ではあるが、多様な考えを受け入れてようとする著者の柔軟な思考も素晴らしい。
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タイトル通り、なんで?と気になったので読みました。科学を学べば、神はいなかったとわかるでしょ?と思っていました。でも学べば学ぶほど、世界のなりたちの美しさや絶妙さに神の存在を思わずにいられなくなるということでした。算数でつまずく私には垣間見ることもかなわぬ境地。
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https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000057483
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物理学史と科学者たちが神についてどのように考えてきたか(推測も含む)が綴られている。
4〜5年ぶりに本を読んだ文系おばさんだが、とても読みやすい文章で理解しやすかった。
最後の思考停止についてが一番の発見だった。最近流行り?の安易に答えや解決法だけを求めることや、浅い理解で他人を言い負かす人(を尊敬すること)は思考停止に近いと思っているので、なぜを大切にし自分で解決するよう努力できるようになりたいと改めて思ったし、そうやって努力する人が宗教や神を信じていてもちゃんとした科学者になれると理解した。
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たまたま「物質は何からできているのか」に続いて読んだこちらの「科学者はなぜ神を信じるのか」。科学と「神」の関係性について、素粒子物理学者であり、カトリックの助祭である著者が書いている。コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア等量子力学・物理学者たち、ホーキングらをピックアップしている。コペルニクスからガリレオやニュートンまでは神の存在を疑っていなかった=科学は神の御技を理解することとしていたのは認識していたので、アインシュタイン以降はどうだったのか興味があったのだけど、「科学法則自体は誰が作ったといえば神である」というスタンスでの著作なので、アインシュタインもホーキングも神の存在を感じていたはずだという論調になっています。そこはちょっと強引にも思えましたが、それぞれの科学者たちのスタンスの違いが垣間見えたのはよかった。
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現代までの科学の発展の歴史と、偉大な科学者たちが神をどのように信じてきたかが書かれている。
高校〜大学の物理レベルの話しも多く、
苦手意識がある方は読みにくいかも。
最後の章で、科学と神の関係について著者の意見が綴られており、科学に興味がある方は一読の価値あり。
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タイトルからどんな展開になるのかと思っていたが、キリスト教の基本から始まり、その後現在も尚一部で論争のある宇宙の起源や、地動説に関する科学者の見解の歴史の話。更に著名な物理学者の発明、発見した法則や事実等のベーシックな説明と続く。
そして神との関係では、そういう彼らは神を信じていたかが書かれている。
ただ最終章を読めば分かるが、美しい科学の法則がなぜ成立するのか、そこには神が存在するのだろう とある。
膨大な宇宙や我々の理解を超越する自然の前では、所詮ちっぽけな存在だと思われる人間が、色々な現象を物理学や数学で説明してしまうと言うのは、人間が優れているのか、それとも神と言って良いのか分からないが、何かが人間でも導くことが出来るように仕向けているのか。
科学者はそれを突き詰めようとするのだろうけど、それこそ神領域なのかもしれない。
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結論から言うと自然界の法則が科学者によって示されたとしても、その法則があるのは神様が創造したのではないかと。バチカンの地動説で犯したミスを現代のビッグバンへの見解を書いてあり天地創造に対しての対応が興味深く書かれていた。アリストテレスからホーキンスまで示されてきた法則をわかり易い図解で説明されていたが70を超えた文科系の人間には難しかった。きつかった。
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何故、神の存在と相反する様な科学の探究に携わる科学者達が信心者でもあったのか
それを著名な物理学者達の思索と共に感じられて良かった
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前に読んだ「物理学と神」と同様に物理学史を追いながらそれぞれの科学者が神についてどう考えていたかを列記した本であり、タイトルでもある問いに答えられているかは微妙なところか。ただ物理学者でもありカトリックの聖職者でもある筆者の信仰告白のような終章が結びとして著されており、この終章を核にして「筆者がなぜ神を信じるのか」ということが一冊の本にまとまっていれば、もっと興味深いものになったのではないかと思う。ひょっとしたらそのような本を出すことは科学者としてためらわれる雰囲気のようなものがあるのかも知れないが。
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前半は面白いと思って読んでいたが、途中から難しい物理の説明がほとんどわからず、その部分はサラッと読むだけになってしまった。それが分かる理系の人にはより面白く読めるかもしれない。
対立するかのように思える科学と信仰は、決して矛盾するものではない。むしろ、科学的探究心は神の創造の業をもっと知りたいという純粋な信仰から湧いてきたものなのだ。
著者は「宗教」や「教会」と「神への信仰」は別物であると捉えている点も興味深かった。