電子書籍
神と科学
2021/12/05 15:26
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
科学者たちと宗教の関係については興味深く読めた。ただ、今の科学で解明できないことを神と呼ぶのは個人の自由だがそれはキリスト教のいう神とは全くの無関係なので承服はできない
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宇宙や物質の究極のなりたちを追究している物理学者が、なぜ万物の創造主としての「神」を信じられるのか? それは矛盾ではないのか? 物理学史に偉大な業績を残したコペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ディラック、ホーキングらが神をどう考えていたのかを手がかりに、科学者にとって神とはなにかを考える異色の一冊。しかし、この試みは「科学とは何か」という根源的な問いを考えることでもある。
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本書を読む前は、私自身も、科学と神は相容れないものだと思っていた。というよりも、そもそも宗教というものを日常的に感じているわけではないので、西洋的宗教観と科学の接点がいまいちイメージできなかった。
本書では、歴史的発見をしてきた科学者たちが、「神」をどう考えていたのか、科学と神の関係性をわかりやすく説明してくれているので、じゃあそもそもなぜ相容れないものだと思っていた(思わされていた)のかが、本書を読んで理解できた。
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三田一郎氏(1944年~)は、素粒子物理学を専門とする名大名誉教授の物理学者で、カトリック教会の助祭(司祭に次ぐ職位)も務める。
本書の題名は「科学者はなぜ神を信じるのか」であるが、その中身は、「物理学、なかでも神との関わりが深い宇宙論の進歩に貢献してきたさまざまな科学者の研究を紹介しながら、彼らが科学と神の関係をどのように考えていたのか」を、物理学者でもありカトリック信者でもある著者の立場から論じたものである。その際、まず、“神”のことを「キリスト教やイスラム教などの一神教で、宇宙と人類を創造して世界の運行を司る、全知全能の絶対者」と定義している。
内容の大部分においては、「地動説」のアイデアを提唱した、古代ギリシャのピタゴラスに始まり、「地動説」を明らかにした、16~17世紀のコペルニクス、ガリレオ、17世紀にガリレオと入れ替わるように生まれ、「ニュートン力学」により「絶対空間」と「絶対時間」を確立したニュートン、「相対性理論」により、空間や時間までを相対化し、光速だけがこの世界で絶対であることを解き明かしたアインシュタイン、ペンローズと共に「宇宙は特異点から始まった」とする「特異点定理」を発表した後、「はじまりのない宇宙」を説明するために「量子宇宙論」を展開したホーキングまで、さまざまな科学者の業績を紹介しながら、物理学・宇宙論の発展の歴史が述べられている。(アインシュタインの後の量子力学の部分は、専門外の私には極めて難解だった)
更に、並行して、それぞれの科学者の神に対する考え方が述べられている(著者の想像も含む)が、突き詰めれば、宇宙論の発展とは、神の絶対性が次々に制限されてきた、即ち、この宇宙で神にしかできない仕事がどんどんなくなってきた歴史であり、そのときどきの科学者はその時点で解明できていなかった部分を神の領域としてきたということである。そして、21世紀にホーキングの発表した「宇宙無境界仮説」に至り、「宇宙は自己完結的」であり、それは「神なき宇宙」とも呼べるものとなった。(事実、ホーキングは無神論者であった)
著者は、そうした科学者たちの神に対する考え方の変遷を「科学者はなぜ神を信じるのか」という問いの答としているのだが、その解釈についての賛否は分かれるところだろう。そして、その疑問を予想するかのように、最後に「私自身は、科学法則の創造者を「神」と定義しています。ルールが存在するということは、その創始者である神が存在することだ、と考えるのです。」と自らの信念を述べて結んでいる。
書名の問いへの答は賛否が分かれようが、物理学・宇宙論の歴史がコンパクトにまとまった一冊としての価値はあろう。
(2018年10月了)
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地動説、万有引力、相対性理論…
科学によって神の領域に踏み込み、解釈を覆してきた科学者たちは、神を否定してきたのか。
多くは神学を目指していた、もしくは聖職者だった。
ケプラー
「科学の最終目的は、人間を神に近づかせることである」
「幾何学は神の考えを写す鏡である」
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教会に結びつかない、宗教に結びつかない、個人とのみ結びつく神であれば、現代においても科学者は神と共にいられるだろうと思った。
死刑に処されたオウム真理教幹部も宗教団体だったから、思考が停止し、間違った方向へ行ってしまったのだと思う。そして、最近の天変地異はオウムの怨霊が起こしているように感じる。
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著者の物理に関する平易な説明が秀逸でアリストテレスからアインシュタイン、量子力学まで、文系人間にとってはそういうことだったのか?と納得できる物理学入門書。一方で本書のテーマである神と宗教の関係だが、ここでいう神とはユダヤ教・キリスト教・イスラム教でいう一神教の神のことを指しており、ヒンズー教などの多神教の神のことではない。私の理解では、一神教の概念があったからこそ科学の概念が生まれたのであり、一神教の文化が科学という文明を生み出したので、当然ながら著者のいう、神と科学は矛盾しないという結論になる。
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科学は信仰の実践の一形式なのだとしたら、僕はどうすればいいのだろう。探求の動機について最近はよく考えます。
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素粒子物理学者でカソリックの助祭の資格を持つ著者が、著名な科学者と神の距離を考える。科学者として、理論と業績を分かりやすく説明してくれるので、神との距離だけなく、科学史としても面白かった。でも、なんで「神」とするのかな?キリスト教の「神」でなくてもいいと思うけど。人間を超えたものの存在を感じるには。コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ハイゼルベルク、ディラック、ホーキングの神。
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コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、…科学史に名を残す科学者と呼ばれた人たちは、時にキリスト教を信じる教会と対立し、厳しい罰を受けることもあったが、彼らの多くは決して神を否定しておらず、信仰心と科学の探究心が共存する人も多かった。むしろ神の創造したこの世界の美しさを証明するための方法が科学だった。しかし、その神とはキリスト教のいう神とも少し違っていた。
彼かにとって神とは何なのか? という点について語る。
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コペルニクスもガリレイに始まり、ニュートンもケプラーも、ファラデー、マクスウェルら物理学の発展に寄与してきた人たちはいずれも熱心なキリスト教信者だった!この著者も量子論の物理学者でありながらカトリックの助祭!神の創造の秘儀を知るために科学の発展を促してきた人たち。しかし、彼らの研究により神の領域が狭められてきたことは否めないという。アインシュタインは無神論者と思われているが、実は教会に対する反発が大きかっただけで、神には非常に関心を持っていた!そしてボーア、ハイゼンベルクも。彼らが1927年にソルベイ会議で神談義をした記録がハイゼンベルクにより残されており、この紹介が実に知的に刺激的。一方、ホーキングはやはり無神論者だろうか。法王ヨハネパウロ2世との出会い、そして虚時間宇宙、宇宙無境界仮説とますます無神論の領域に近づくホーキング!「宇宙に始まりがないこと」を証明しようと努力し続けた彼が実は神を求めていたという著者の主張に無理はない。結論は科学と神は矛盾しないという、当たり前の事実ながら、現代の最先端の有名科学者たち(著者もその一人)が神を信じるスタンスには興味津々だった!
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なんとなーく知ってたことを体系的にまとめてくれた、って感じ。抵抗なく読める。神学感がちょっと独特かな。サイエンスと神学の境界線を考えさせられる。
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この本の「神」とは,キリスト教の神.
著者自身も物理学者でありながら,カトリック聖職者であり,科学の発展とともにキリスト教との関わりがどのように変化していったのか,科学史との関係性を持って記されているのがとても面白かった.
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中学物理で止まってる身からすると後半(五章以降)の物理の話が理解しきれずなかなかに苦しかったのですが、前半を読むだけでも収穫は大でした。
宗教と政治が切っても切り離せないような時代(ガリレオの時代とか……)になぜ科学は進歩できたのかなぁ?という漠然とした疑問に対して、腑に落ちる回答をもらえた気がします。
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コペルニクスからホーキングまで、科学者が何を発明してきたのかについて神云々よりページが割かれていました。
それはそれで難しいながらも面白く読めました。
ただタイトルに期待していたような答えは示されなかったです。
というか信じている人ってこうなんだろうなと想像できることしか書かれていなかったです。
もっと具体的に、モーゼの奇跡やキリストの復活を科学者が信じているのなら、その根拠がどこにあるのか、などが知りたかったです。