電子書籍
人の本質は変わらない
2024/03/19 14:54
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投稿者:スパゲッティヘア - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の渇き、欠落を埋めるために人を傷つけていいはずがない。ただの身勝手な勘違い男ではないですか。皆それぞれ考えや欠落、渇きがあって、それを抱えて生きているのに自分だけがそうなんだとでも言うように一人で沼に潜んで、本当の意味で他人を気遣えない一人っ子というのがよく表現されていると思いました。
良かった点は島本さんが最後まで謎めいた存在でいたことです。過去を語るシーンなどあればただそれだけの女になったのが、明かされないままいなくなったので良い女だった余韻が残りました。それでも不倫は認められませんけどね。
紙の本
移行期の作品
2021/07/28 23:25
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
これまでの小説家生活の総決算が『ねじまき鳥クロニクル』であるとすれば、二卵性の双子のように生まれたこの作品は2000年代に向けた移行期へ入ったものといえるのかもしれない。
電子書籍
深夜に音楽
2019/09/28 07:15
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投稿者:Fortheseventhgeneration - この投稿者のレビュー一覧を見る
3日連続で深夜に読書、先ほど読み終わりました。
本に出てくる音楽をいちいち検索して、聴きながら読みました。
リストとかコールとかヘンデルとか。
最後に出てくるのがアズ・タイム・ゴーズ・バイ
で、その曲のあとの曲が自動で何故かスティングだったので、ラストの有紀子との会話で流れてたのはシェイプ・オブ・マイ・ハートでした。
深夜に音楽を聴きながらこの本を読みました。
紙の本
哀しい音楽のような夢と現実
2002/04/11 20:41
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投稿者:ばんばん - この投稿者のレビュー一覧を見る
国境の南、太陽の西。歌のフレーズである。この小説は、なんだか息苦しい。絵に描いたような幸せの脆さを、突きつけてくるからかもしれない。主人公は、さまざまな失敗を繰り返しながら、初めて穏やかな幸せを得る。しかし、幼馴染の登場により、その幸せは脆くも崩れ去り、すべてを失うかどうかという選択を迫られることになる。そしてその事態において、その幸せの対象である妻や娘は頭の中から姿を消すのだ。そんなにも幸せだったのに。一時の盛り上がりになすすべもないのか。しかし、誰もが幸せでない現状に、幼馴染が愛を確認するだけで唐突に去ることにより、主人公は現実に戻り、一つ乗り越えた人生を送れることになる。それは最良の選択だったに違いないのだが、それでも失ったものは帰らない。生きていくことは何かを失っていくことだと思わせる。哀しい音楽が流れるような一冊である。
紙の本
国境の南、太陽の西
2001/05/25 18:59
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投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る
抑揚のないようなストーリーだが、常にペーソスを兼ね備えた大人の文学。主人公の年齢と共に変化してゆく心理がよく描かれている。
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今まで読んできた村上作品と、一読して匂いというか、手触りというか、非常に感覚的な部分だけれども、その「何か」が「違うな」と思ったのが一番大きかったです。
タイトルをワタシなりに意訳すると、「ここではないどこか(へ行くことを焦がれている。もしくは行けなくても、ここよりましな何かが存在することを心に想像する事)」となります。
そして、それはまさにそのままこの小説の内容に通じると言えるようにワタシには思われました。
そういう話です。
主人公である「僕-はじめ」が、「そのここではないどこか」との関わりをどうしていくのか。
またはどうなっていくのか‥は、実際読んでみて、それぞれの解釈によって違うような気がすごくします。
ところで。
村上は一人称小説が多いのだけれども、この作品では「まっとうに一人称」していてワタシは内心で驚嘆しました。いわく、「僕-はじめ」が知ること以上の事は明らかにならない。のです。逆に言うと、もちろん「僕-はじめ」が知らないことは(つまり彼に語られない第三者の「話」は)わからないまま、物語は終わっていくのです。読者にも「謎」のまま。
ということは、その「謎」を「解く」事がこの作品のテーマではないということではないか。ともワタシには思えます。
おそらく、「謎」を提示された「僕-はじめ」のその心の動きや対応などの方に作品のテーマが存在しているように思われるのですが。(「謎」はこの場合単なる「自己-僕-を映す鏡」でしかない?)
その様に考えてみると、この作品はちゃんと行き着く先まで行き着いて終わっているなとワタシには思えるのです。
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喪失感漂う作品。足の悪い少女、島本さんの子供時代は読んでいて切ない。一人っ子が抱える独特の感性を共有する二人。島本さんの転校で離れるが大人になった二人は偶然再会する。主人公のハジメのようにいつでも自分は何かを損ない続けていると感じながら生きる人には妙に惹かれてしまいます。
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一番最初にこの小説を読んだとき、話の中の一人になりたいって思った。どこかで関わりたいって思った。なぜだかわからないけど。
個人的な理由で一生忘れられそうにない小説。
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珍しい1冊完結モノ。かつて一人っ子同士で惹かれあった男女が37歳になって再会し、激しく惹かれあう。若いときに惹かれあった人に会いたくなる、そんな本ですね。
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幼稚園のとき、小学校のときの記憶があまり残っていない。中学生のときに劇的な出会いをした感じがしない。幼馴染の女の子がいない僕にとっては、どこか欠落したまま読み進めることになった。将来誰かを思い出すことがあるのだろうか。
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読み終えるのに時間がかかった。 村上春樹っていうことで、最後まで読んだけど、うぅぅん。最初のほうは読みにくかった。ラスト50ページくらいは引き込まれたけど。
でも、知りたいところが書かれてなくて(島本さんについて)すごく消化不良!そこが良いところなのかもしれないけど、いや、っ無理!知りたい!
全体を通してみたら、前半はむしろつまらないし、後半は消化不良だし。
でも、まぁ、そういうもんなんでしょう?
普通の恋愛小説。ただ、村上春樹らしく、というか小説家らしく、抽象的で美しい?と言う効果を狙う発言多し。
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”今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう” 日常に潜む不安というものを捉えたこの作品は自分の心の中にも響いてくるものがある。平穏で恵まれた生活。でもそこには何か欠けたもののようなものを感じる時がある。それに手を出した時平穏な生活は全て音を立てて崩れるかもしれない。今回も村上氏らしい終わり方であった。それがなんとなくすがすがしい。
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どの作品にも、どんなテーマが違っても、
何となく「僕」の中に見つけてしまうものがある気がする。
それは、若い頃には皆が持っていて、年をとるに従って
少しずつ損なっていくもの。
失くすことは間違いではなくて、悲しいことでもなくて、
自然なことで、立ち止まる日にしか、失いつつあることに
気がつきもしないような、そんなもの。
過ぎ去って振り返れば、そういえば…といった類のもの。
生き方をずっと考えて、
取るべきものと捨てるべきものとの狭間に立ち竦む今のこの年齢の
私が読むから、感じられる何かがあるのかもしれない。
私は、年を重ねていく過程で自然に手放すべきものに、
今も囚われていて、うまく生きることができずにいるのかもしれない。
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激しくせつない。鬼せつない。
彼女は、10か0かどちらかだった。すべて取るか、あるいはまったく何も取らないか。
その点では『ノルウェイ〜』の直子と同じ人間と言えるかもしれない。二人とも、「すべて取る」ということが不可能であると分かっている。ホントにせつない。
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村上春樹の長編ファンなんですが、私にとって、これは中国行きのスローボートと並んで二大短編ベストです。