紙の本
喪失感の先に続く日常
2019/01/24 22:12
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひとりっ子の「僕」の近所に住む足の悪い少女「島本さん」。島本さんと「僕」はひとりっ子どうしで仲が良く音楽を聴きながら淡い交友をする。やがて「僕」は引っ越し島本さんとも会わなくなっていった。高校、大学、会社員となっていった「僕」は恋愛遍歴も重ねながら、やがて結婚してバーを経営するようになって社会的に成功し家庭を持つようになる。そこに現れたのが島本さん。幼馴染の彼女はすっかり美しくなり、どこか空虚さを抱えた様子に惹きつけられていく。島本さんと「僕」がとうとう体を重ねた翌朝、島本さんは「僕」の前から姿を消す。「僕」は虚しさを覚えながらも結局は妻と家族のもとに帰っていく。
性的表現のきつさはあるものの、鼻につく気取った表現和らぎ、大人の恋愛を描いているので「青さ」も気にならない程度。村上春樹というとヒロインが死ぬのが定番だと思っていたが、破局を迎えても「僕」は生き続け妻の有紀子のもとに帰っていく。大人になったというのか、どこにも突き抜けず中途半端というべきか、題名とうらはらに悩みながら浮世で低回しているだけというべきか。しかしこの世界にとどまっているだけでも進歩なのかもしれない。少なくとも「喪失」感についての説得力は増したと思う。
読了直後の時点では、村上春樹作品の中では悪くないという印象。
紙の本
欠落は欠落のまま
2009/11/11 09:11
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投稿者:桔梗 - この投稿者のレビュー一覧を見る
愛すべき妻やそれなりの収入と安定した優雅な暮らし
全てを持っているように見える幸せな状況にある主人公
そんな中で主人公が抱える喪失感や後悔は 甘えととられて当然だと思いう
強烈な自己偏愛に嫌悪感も覚えはするのだけど
それでも
人間って まれに感情と理性の隙間にすとーんと落ちてしまうようなことってある
そこの隙間 欠けてる部分をきちんと自覚してないと 人は踏み外す
そしてその隙間は残念なことに 手持ちのものじゃ埋まらない
代わりのものじゃ全然ダメ
何とかして埋めようともがく人もいれば 代用品で埋めて誤魔化す人もいるし 欠けてることに気がつかない人さえいる
いろんな人がいるのだろう
欠落部分は欠けたまま 痛みと共に抱えて生きていくことを覚悟する
そんなのも在りかなと思える小説
紙の本
取り戻したものは、失ったものなのか?
2004/06/28 01:09
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投稿者:Ryosuke Nishida - この投稿者のレビュー一覧を見る
大ヒットした長編小説『ノルウェイの森』に繋がる、「僕」一人称で書かれる村上春樹が半自伝に見せて仕掛ける長編。小説としての完成度、構造の多重さは『ノルウェイの森』に譲るが、むしろ、「僕」の内面に焦点を絞って淡々と物語に長い時間が流れる本作のほうを好む人も多いのではないだろうか。喪失と再生がテーマ。失ったものを取り戻したように見えるとき、果たして今、掌の内側にある「それ」は本当に「失ったもの」そのものだろうか。いろんなものをなくした人、なくしかけている人、取り戻そうとしている人にお勧め。
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投稿者:白井道也 - この投稿者のレビュー一覧を見る
誕生日と名前の由来から物語が始まり、その後の展開もクロニクル的に進むというあまりにもシンプルで構成に、最初はどうなるかと思ったが、最後にはグッときた。広がりよりは深さを増していく物語、と言えようか。
人間が意識的/無意識的にに抱え込む“悪”というのがテーマだと思えたが、いまいち深く掘り下げられていないというか、うねりに欠けるというか、物足りない感じがするのは確か。それでも村上の抜群なストーリーテリングの才が物語を読ませる、というのは「スプートニクの恋人」と同じ。「国境」も「スプ」も、その何か足りない感じが逆に“過渡期”な印象を与えている。
村上春樹とえいばセックスの描写も興味深いが、本作でも終盤の箱根でのシーンはとても良かった。
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今まで読んできた村上作品と、一読して匂いというか、手触りというか、非常に感覚的な部分だけれども、その「何か」が「違うな」と思ったのが一番大きかったです。
タイトルをワタシなりに意訳すると、「ここではないどこか(へ行くことを焦がれている。もしくは行けなくても、ここよりましな何かが存在することを心に想像する事)」となります。
そして、それはまさにそのままこの小説の内容に通じると言えるようにワタシには思われました。
そういう話です。
主人公である「僕-はじめ」が、「そのここではないどこか」との関わりをどうしていくのか。
またはどうなっていくのか‥は、実際読んでみて、それぞれの解釈によって違うような気がすごくします。
ところで。
村上は一人称小説が多いのだけれども、この作品では「まっとうに一人称」していてワタシは内心で驚嘆しました。いわく、「僕-はじめ」が知ること以上の事は明らかにならない。のです。逆に言うと、もちろん「僕-はじめ」が知らないことは(つまり彼に語られない第三者の「話」は)わからないまま、物語は終わっていくのです。読者にも「謎」のまま。
ということは、その「謎」を「解く」事がこの作品のテーマではないということではないか。ともワタシには思えます。
おそらく、「謎」を提示された「僕-はじめ」のその心の動きや対応などの方に作品のテーマが存在しているように思われるのですが。(「謎」はこの場合単なる「自己-僕-を映す鏡」でしかない?)
その様に考えてみると、この作品はちゃんと行き着く先まで行き着いて終わっているなとワタシには思えるのです。
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喪失感漂う作品。足の悪い少女、島本さんの子供時代は読んでいて切ない。一人っ子が抱える独特の感性を共有する二人。島本さんの転校で離れるが大人になった二人は偶然再会する。主人公のハジメのようにいつでも自分は何かを損ない続けていると感じながら生きる人には妙に惹かれてしまいます。
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一番最初にこの小説を読んだとき、話の中の一人になりたいって思った。どこかで関わりたいって思った。なぜだかわからないけど。
個人的な理由で一生忘れられそうにない小説。
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珍しい1冊完結モノ。かつて一人っ子同士で惹かれあった男女が37歳になって再会し、激しく惹かれあう。若いときに惹かれあった人に会いたくなる、そんな本ですね。
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幼稚園のとき、小学校のときの記憶があまり残っていない。中学生のときに劇的な出会いをした感じがしない。幼馴染の女の子がいない僕にとっては、どこか欠落したまま読み進めることになった。将来誰かを思い出すことがあるのだろうか。
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読み終えるのに時間がかかった。 村上春樹っていうことで、最後まで読んだけど、うぅぅん。最初のほうは読みにくかった。ラスト50ページくらいは引き込まれたけど。
でも、知りたいところが書かれてなくて(島本さんについて)すごく消化不良!そこが良いところなのかもしれないけど、いや、っ無理!知りたい!
全体を通してみたら、前半はむしろつまらないし、後半は消化不良だし。
でも、まぁ、そういうもんなんでしょう?
普通の恋愛小説。ただ、村上春樹らしく、というか小説家らしく、抽象的で美しい?と言う効果を狙う発言多し。
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”今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう” 日常に潜む不安というものを捉えたこの作品は自分の心の中にも響いてくるものがある。平穏で恵まれた生活。でもそこには何か欠けたもののようなものを感じる時がある。それに手を出した時平穏な生活は全て音を立てて崩れるかもしれない。今回も村上氏らしい終わり方であった。それがなんとなくすがすがしい。
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どの作品にも、どんなテーマが違っても、
何となく「僕」の中に見つけてしまうものがある気がする。
それは、若い頃には皆が持っていて、年をとるに従って
少しずつ損なっていくもの。
失くすことは間違いではなくて、悲しいことでもなくて、
自然なことで、立ち止まる日にしか、失いつつあることに
気がつきもしないような、そんなもの。
過ぎ去って振り返れば、そういえば…といった類のもの。
生き方をずっと考えて、
取るべきものと捨てるべきものとの狭間に立ち竦む今のこの年齢の
私が読むから、感じられる何かがあるのかもしれない。
私は、年を重ねていく過程で自然に手放すべきものに、
今も囚われていて、うまく生きることができずにいるのかもしれない。
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激しくせつない。鬼せつない。
彼女は、10か0かどちらかだった。すべて取るか、あるいはまったく何も取らないか。
その点では『ノルウェイ〜』の直子と同じ人間と言えるかもしれない。二人とも、「すべて取る」ということが不可能であると分かっている。ホントにせつない。
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村上春樹の長編ファンなんですが、私にとって、これは中国行きのスローボートと並んで二大短編ベストです。
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『そしてある日、あなたの中で何かが死んでしまうの』『死ぬって、どんなものが?』『わからないわ。何かよ。東の地平線から上がって、中空を通り過ぎて、西の地平線に沈んでいく太陽を毎日毎日繰り返して見ているうちに、あなたの中で何かがぷつんと切れて死んでしまうの。そしてあなたは地面に鋤を放り出し、そのまま何も考えずにずっと西に向けて歩いていくの。太陽の西に向けて。そして憑かれたように何日も何日も飲まず食わずで歩きつづけて、そのまま地面に倒れて死んでしまうの。それがヒステリア・シベリアナ』(p245)