紙の本
あなたは尾崎放哉を知っていますか?
2022/10/19 15:50
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「咳をしてもひとり」や「いれものがない両手でうける」といった
口語自由俳律で知られる尾崎放哉(1885年~1926)は漂泊の俳人とも呼ばれ、
最晩年は小豆島の小さな庵で寺男のような貧しい暮らしを余儀なくした。
しかし、現在では岩波文庫にも句集が収められているように、
今でも人気のある俳人といっていい。
尾崎放哉の名前は知ってはいたが、「漂泊」という言葉にロマンを感じていたが、
実際は吉村昭さんの尾崎の伝記小説ともいえる『海も暮れきる』を読むまでは
ほとんど知らなかった。
帝大を出て一流会社の要職にまであった彼が身を持ち崩していくのは、
「漂泊」というきれいな言葉ではなく、酒に溺れ、借金を重ねた故のこと。
最晩年に小豆島に暮らしを求めたあとも、多くの人に顰蹙をかう。
不思議なのは、そういう尾崎の姿であっても、吉村はそこに「孤独な息づかい」を感じ、
同じ病を経験しながらも、尾崎に比べ自分の小説には「厳しさ」が欠けていたとみていたことだ。
それゆえだろう、尾崎を描く吉村の筆は厳しい。
けっして一愛読者として、尾崎を描こうとしたのではなく、
骨ばかりとなったその身体さえ残酷に描写していく。
尾崎はきっと死と向き合っていたにちがいない、というそれは吉村の視点でもある。
ゆえに作品が尾崎が亡くなるまでの小豆島の八か月に絞った構成が生きている。
この作品は1977年から79年にかけて雑誌に連載され、1980年に刊行された。
吉村昭中期の労作といえる。
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吉村昭による自由律俳人、尾崎放哉の評伝。抑えた語り口のおかげで放浪、漂泊のロマンが過度にならず読みやすい。
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中学か高校の国語で習った自由俳律「咳をしてもひとり」。一度聞いたら忘れられない儚さと強さがある。
尾崎芳哉の死を求めてたどり着いた小豆島での八ヶ月。病にその身体を蝕まれつつも句は逆に冴えわたっていく。
何かをその身体の中から生み出すということは、この苦しみをも生み出すということなのか。
酒におぼれすべてを失っても最後まで捨てなかった矜持が切ない。
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久しぶりに本を読みました。
尾崎放哉の、死に向かって一直線に向かう姿を、そして矛盾して抗う姿を、淡々と描いています。
生きることは、とてもかなしい。
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「咳をしてもひとり」の尾崎放哉の小豆島での最晩年の日々。不治の病と云われた結核モノにはつい引き寄せられる。私自身の病は、肺に無数の小さな穴が増殖し、細胞は破壊され、空気の流れが遮断されて体中に酸素を送り込むことができなくなるというもの。治療方はなく、昨日より今日、今日より明日、日々悪くなり、いずれ呼吸が出来なくなるという難病。モルヒネで朦朧となって逝くのではなく呼吸が出来なくなって死ぬってどういう事だろう。という疑問に応えてくれた、本書。リアリティあり過ぎて、しばらくうなされました。
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「咳をしても一人」「すばらしい乳房だ蚊が居る」など、有名俳人でもありつつ、現代ではネタとして使われる事が多い尾崎放哉の晩年の世を捨てた、ある意味野放図な生き方と死に方を淡々と描いた1冊。
「海の見えるところでなにもしないで死ぬまで暮らしたいので、番をする家を紹介しろ」という、むちゃくちゃな要求に、俳句の腕を見込んだパトロンが世話をする。酒を呑んだら絡んで暴れる、ろくに仕事はしないが俳句だけは山ほど作るという、近代の芸術家肌?という作家なだけに、いろんなエピソードもあろうが、結局そんな「いろんな」はほとんど出てこない。
また、誰視点でもなく、二歩三歩引いた視点からやったことを書いているだけなので、正直なところ単調に感じてしまうのだ。
あとがきに筆者も書いているが、結核を患った同士という立場から、どうしても親近感を持った書き方になるのかもしれず、ひどい言動をひどく描けないのかもしれないが、かと言って素晴らしく良い人にも描いていないので、もうちょっと突き放して欲しかった。
「淡々と」は尾崎の作風に合わせたのかもしれないが。
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自由律俳句で有名な尾崎放哉の伝記小説。晩年の8ヶ月を描く。
尾崎放哉の俳句は、高校の授業で習った事がある。種田山頭火や高浜虚子、萩原井泉水などと共に明治大正の俳句について勉強したが30年経った今でも覚えているのは、山頭火の句と彼の「せきをしてもひとり」という哀愁漂う句くらいだ。
俳人の句は覚えていても、彼らの句がどのような背景で詠まれたのかは知らない。彼がどんな人物だったのか興味があって読んでみた。
彼は、東大卒で一流企業の重役を勤めながら、酒癖の悪さで身を崩し、妻には愛想を尽かされ、仏門に入るが酒のせいで上手く行かず、結核を患って死に場所を求めて小豆島に渡る。歌人としての才能は誰もが認めるのだが、酒のせいで堕落した生活は如何ともしがたい。正直、友人にしたくないタイプの人だ。それでも、才能を認める人達にとって、彼の存在は大きかった。プライドは高いけれど経済的に困窮して、多くの人にお金をせびる姿は哀れな感じもするけれど、それをサポートする人達がいるのは、この時代だからこそかもしれない。彼の人生は石川啄木と似ていて、共に才能を認められても、自分に対する甘さから自活する能力を失って厳しい時代を乗り切れなかった点がよく似ている。
この小説は、病に冒されていく様子の描写がいいと思う。著者も若い頃に結核を患ったそうだが、その体験をもとに病状が生々しく描かれている。彼の代表的な句も取り混ぜて、とても面白い小説になっていると思う。
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「咳をしてもひとり」「いれものがない両手でうける」が中学校の国語の教科書(三省堂)に掲載されている。それらは自由律俳句の代表作として所収されているが、そを作った俳人尾崎放哉(おざきほうさい)の晩年を、吉村昭が描いた伝記文学。
放哉は、東京大学を卒業したエリートで、俳人としても認められている存在だった。しかし、酒癖の悪さが原因で仕事を追われ、妻とも別れて、俳句同人の、井上を頼って小豆島に渡る。そこで、 寺の離れの庵守りとして暮らし始める。
放哉は、生活力がないので、島の名士の井上や寺の住職、島の外の俳句仲間に無心をする。相手のちょっとした態度にすぐに怒ったり、同じ相手にちょっと親切にされると、感謝感激したりする。大人気ない。私はそれを読むと自分のことのように思えた。放哉の様に辛辣なことは言わないし、罵詈雑言も吐かないが、すぐに揺れる心持ちが同じだ。
結核菌に侵された最晩年は、何も食べられなくなりシゲ婆さんに世話になる。このシゲ婆さんがとても素晴らしい人で、他人の放哉に自然に当たり前のように世話をする。この本を読んでいる時、自分ばかり家事をやっていて腹ただしいと思うことがあった。でも、シゲ婆さんを思いすと何て小さいことでと考えること自体が馬鹿らしくなった。
読んでいて、放哉、オイオイと何度も思った。魅力的だが、周りは大変過ぎる。
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人生の最晩年、肺を病み、小豆島に辿り着いた俳人・尾崎放哉。
五七五にとらわれず、自由な作風で知られた。
放哉の人生も作風と同じく自由であった。
むしろ自己中心的である。
俳人としては有能かもしれない。
しかし、人としては最低だ。
日に日に痩せ衰えてゆく放哉を冷徹に克明に描き切った大名作。
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尾崎放哉の人間として最低な後半生を描く。いや前半生も最低な人間だったことも、章内のところどころで描かれており、典型的な才能のある禄でもない人間の人生と末期の苦しみがこれでもかと描写される。
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お酒は怖い…。一番の印象はこれ。才能があってもお酒に飲まれてしまう身体では、周囲も自分も損なってしまう。でも、お酒から離れられず醜い自分をさらし、あがきながらも生き永らえようとする放哉の姿は痛ましくも人間らしい。
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どうしようもないアルコール中毒の俳人、尾崎放哉の最後をいとおしく描いた吉村昭の小説。戦艦武蔵などの戦記物しか知らなかった吉村だが、この放哉への心の寄せ方にこちらも心を動かされた。
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物語の半分(か、それ以上)は放哉のお酒の失敗エピソードなわけですが、“酒”というよりは“病”というものが、あるいは、“金が無い”ということがどれだけ人を卑屈にさせ、孤立させるものなのかと恐ろしくなった。
最初に放哉の心に巣食った病はなんだったのか。
物語が始まる頃には既に終わりが始まっていて、知る由もない。
妻にも見捨てられ、彼には小豆島の寂しい庵しか、行くアテがない。
徐々に衰えていく身体から削り出されたかのような言葉は、どれも骨のように白く軽い。
放哉の句を読むことは、彼の骨を拾うような行為だと思う。
圧巻は放哉絶命のシーン。
ワンカット長回しのような臨場感、緊張感。
これは吉村昭にしか書けない。
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尾崎放哉という人は、俳句とかさほど興味がないぼくのような人間を「咳をしても一人」という句ひとつで引き付ける、不思議なパワーの持ち主です。まあ、鬱陶しそうな…という感じのイメージなのですが、その放哉をきびきびとした文体で「歴史小説」の傑作を書いた、今は亡き吉村昭が、独りぼっちで咳をしている放哉を「鬱陶しさの塊」として描いているのですが、どこかにいたわりとやさしさが響いている作品で、読み終えると何ともいえず哀しい作品でした。
ブログに感想を書きました。覗いていただけると嬉しい。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202107300000/
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口語自由俳律で知られる尾崎放哉。その小豆島での最期の8カ月を描いた作品。享年41。
酒乱で酒を飲めば攻撃的になる。人の施しによってしか生きられない。どうしようもない人間だと思うのだが、「結核」を病み、家族から疎んじられ、長くは生きられないと悟ると、そうなるのかもしれない。もっと句を詠みたかっただろうし。
没後、放哉の師にあたる井泉水が「捨てて捨てきつて、かうした句境にはいつてきた」「大自然と同化していた」と表現したそうだ。俳人として名を残すには、この捨てきった8カ月が大切だったのかもしれない。
はるの山のうしろからけむりが出だした
春の訪れを誰よりも待っていた放哉だったのに。
吉村昭氏は、やはり島に渡って、徹底した取材をされたのだろう。8月の蝉の声、島では咲かない梅や桃の花のこと、島の季節が細部にまでわたって描かれている。