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常に学び、感じて、行動する。
そんなモチベーションを与えてくれる一冊。
世の中がスピードアップし、人生も100歳まで伸びている。
自分自身も行動し、変わっていかないといけない。
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人生100年時代に突入。いくつになってもチャレンジに遅すぎると言うことはない。1つチャレンジするには1つ捨てなければならないが、その勇気も必要。
論語「五十にして天命を知る、六十にして耳順う」五十代では自らが果たすべき社会的な使命を認識し、六十代ではどんな意見にも素直に耳を傾けられるようになったの意。
メグ・ジェイ20代はDefining Decade「人生を決定付ける10年間」人生を生きるためのOSを作る時期
組織のリーダーは構造的・宿命的に経時劣化する。なぜなら、一流より二流は圧倒的に多く、二流より三流は圧倒的に多いから、三流が数の上で多数派となる。
数がパワーとなる現代の市場・組織において構造的に最初に大きな権力を得るのは大量の三流から支持される二流。
数の勝負に勝つには三流にウケなければならない。
資本主義がこれだけ膨大な労力と資源を使いながら、ここまで不毛な文化しか生み出せていない決定的な理由はここにある。
二流が社会的な権力を手に入れると、周辺にいる一流を抹殺しようとする。三流には一流が分からないが、二流は一流を知っている。三流は二流を一流と勘違いする。
魯迅『墓』古人は書を読まなければ愚人になると言った。それは無論正しい。しかしその愚人によってこそ世界は作られているので賢人は絶対に世界を支えることができない。
コナン・ドイル「凡人は自分より高い水準にある人を理解できないが才人は瞬時に天才を見抜く」
人選には必ず一定の確率でエラーが発生する。エラーが発生した際フィルターをくぐり抜けて組織に入ってくる人は「凡人」である確率が最も高い。
余程意識的に天才や才人を人選に担ぎ出さなければその組織の人材クオリティの平均は限りなく凡人の水準に近づいていく。世代交代を経るたびにリーダーのポジションに凡人を据えてしまう確率が高まる。2025年?80年サイクル
凡人は凡人しか育てることができない。。良質な経験を抜きにして人材の開発・成長は考えられない。
石橋湛山「急激にはあらずしかも絶えざる停滞せざる新陳代謝があって初めて社会は健全な発達をする。人は適当の時期に去り行くのもまた1つの意義ある社会奉仕でなければならぬ」
組織のポジションと能力や人格には統計的にあまり相関がない。
年長者に意見しにくい宗教はカトリック>儒教>プロテスタント
若い人や新参者が画期的なアイデアやイノベーションの発案者になりやすい
オピニオンとエグジットは革命の武器
権力は「情報の独占と支配」によってその生命を維持する
石川善樹「4ステージモデル」
学習とは変化することである
私達の時間を意味あるものに変えていく、権力と戦う武器に変えていくためには、学び続けなければならない。
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この人、本当に面白い。そろそろ自分も「オッサン」にならないように気を付けなければ。
オピニオンとエグジットがオッサンに圧力をかける武器として有効なのはわかる、しかし、そうすることで自分のキャリアが危険にさらされることはできれば避けたい......。
では、どうするか。
ど真ん中すぎる回答でシラけてしまうかも知れませんが、結局のところ、汎用性の高いス キルや知識などの「人的資本」と、信用や評判といった「社会資本」を厚くすることで、自 分の「モビリティ」を高めるしかありません。
この「モビリティ」というのは、今後、柔軟で強かなキャリアを歩んでいくための最重 要キーワードだと思います。モビリティを高めるためにこそ、汎用性の高い知識とスキル、 あるいは社外の人脈や信用を自分の資産として積み上げる必要があるのです。
さてここまで、私たち日本人は、ほかの文化圏にある人と比較して「年長者は偉い、尊重 しなければならない」と考える傾向が強いということを指摘した上で、そのような「ゲタ」が年長者へのフィードバックの欠如へとつながり、増長させているということを指摘しまし
た。
このような指摘に対して「確かにそうかも知れないが、組織の上層部まで出世した人は、やはり高い能力の持ち主なのだから尊重するべきなのではないか」という反論があるかもしれません。
しかし、それは誤りです。組織のポジションと能力や人格には、統計的にあまり相関がないことがわかっているからです。
実績や能力と昇進がどのように関連しているのかについては、過去に広範かつ組織的な調査が行われています。結論からいえば、組織におけるポジションの高低と実績や能力にはあまり関係がありません。
これは予定説を考えてもらえればわかりやすい。
予定説というのは、キリスト教プロテスタントの教義で、神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決まっており、この世で善行を積んだとか、悪行を重ねたといったこととは、 関係がない、という考え方のことです。
筆者は前著『武器になる哲学』において、ほとんどの企業の人事評価は、このキリスト教プロテスタントの予定説のようなもので、誰が高い評価を得るかはあらかじめ決まっており、その既定評価と帳尻が合うようにして、評価制度という茶番は運営されているという指摘をしました。そして実際に、各種の研究結果は、それが事実であることを示しています。
つまり、日本からイノベーションがなかなか起きないのは、とてつもないことを考える若手が少ないということではなく、これを大きく支援できる大物、サーバントリーダーシップが欠如していると言っているのです。
昨今の日本では、このような場合、どういうことが起きるかというと、おそらく白瀬中尉の計画について精査し、お門違いの知識や経験を持ち出しながら、「あれはどうなっている、ここはどうするんだ」と重箱の隅を突くようなリスクの洗い出しを行い、結果的に「時期尚早だな、さらなる検討・精査を続けてくれ」ということで潰されるのがオチでしょう。
なぜこのようなことが起きるかというと、リーダーというのは、そもそも部下よりも知識や経験が豊富であり、であるからこそより高品質の意思決定ができる、という思い込みがあるからです。
しかし、本書で何度も繰り返しているように、知識も経験もアップデートし続けなければすぐに不良資産化してしまいますから、このような支配型リーダーシップが続く限り、日本 でイノベーションを再興させることは難しいと思います。
現在の劣化したオッサンたちの多くは、残念なことにこの「1年の経験から学び、あとは同じことをウン十年繰り返した」結果として、現在のような状況に陥っていると考えられます。
こういう状況を防ぐために、若手・中堅社員は、自ら「経験の質」を担保する意識が必要になるわけですが、この問題を考えるに当たって、再び「劣化したオッサン」が大きなボトルネックとして立ちはだかります。
なぜなら、多くの企業において「経験の質」を決定する仕事のアサインメント(割り当て)は、オッサンたちが担っている管理職という仕事によって、規定されることになるからです。
人材育成に関する米国の著名な研究機関であるロミンガー社のマイケル・ロンバルドとロバート・アイチンガーは、個人の能力開発がどのように発生しているのかを長年研究し、結論として「70:20:10の公式」を提唱しました。人材育成の世界ではすでによく知られている公式なので、聞いたことがある、という方もいるでしょう。
この公式によれば、個人の能力開発の70%は、実際の生活経験や職業上の経験、仕事上の課題と問題解決によって発生します。自分が直接に経験したことが能力の開発につながるため、これは一般的に「直接学習」と呼ばれています。
次の20%は、職場や学校などで、模範となる人物(ロールモデル)から直に受ける薫陶(対人的学習)や、観察と模倣から起こります。他人の経験を自分のものとしたり、他者の活動を観察したり、場合によっては真似ることで学習が起こるため、こちらは「間接学習」と言われています。
そして残りの10%が、読者の皆さんが「能力開発」と聞いて、最初に思い浮かべるであろう、学校や研修などのフォーマルなトレーニングです。
ロミンガー社の研究によれば、この公式は国や文化圏、あるいは産業や職種といった要素にかかわらず、ほぼ同じ数値に収斂することがわかっています。
これはおそらく、皆さんの実感とも符合するのではないでしょうか。
余暇の時間を使っていろんな勉強をすることは重要ですし、実際に筆者自身も、読書や識 者との対話からも多様な学習をしてきたという自負がありますが、ではそれが本当に「能力 開発」といえるものであったかどうか。
ロミンガー社の研究をはじめとして、過去の「能力開発」に関する研究の多くは、細かい数字面での差異はあるものの、結局のところ「職場で良い経験をする」ことが、個人の成長 にとって決定的に重要だということを示しています。
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新卒一括採用、年功序列形式の旧来の日系スタイルでは会社の上層部は「オッサン」が占めている。私が過去に勤めていた日系企業においても年配者の影響力が強く、新しいものを始めるのにスピード感がなかった。そんな状況を論理的に分析し、若者がどう対処するのかの処方箋を提案してくれている、自分はオッサンにはなりたくない!常に新しいことに挑戦し、成長を続けていこう!
人的資本+社会資本=モビリティ
汎用性の高い、知識やスキルなどの人的資本と信用や評判といった社会資本を厚くすることでモビリティを高めることができる。
経験は量よりも質!
成長において経験の量は重要ではない。
分かるという事はそれにより自分が変わることだ!
学習とは変化することであるは単なるメタファーではなく、物理的な事実である。学習によって人の脳は変化するのである。
学習が新しい経験によってドライブされるのであれば、私たちの成長は新しい経験の密度によって大きく左右される。
1.組織のトップは世代交代を経るごとに劣化する
2.おっさんは尊重するべきだという幻想を捨てよう
3.オピニオンとエグジットを活用しておっさんに圧力をかけよう
4.美意識と知的戦闘力を高めてモビリティを獲得しよう
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高齢者での仕事を、と政府は推奨しているが、70歳までできる仕事はほんのわずか、ほとんどの経営者は好んで雇うことはまず無い。だが、高齢者=経験者であることは会社の人事・人間関係・組織など関われることもある、それはでしゃばらないでやることかもしれない。
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劣化するオッサン社会の処方箋~なぜ一流は三流に牛耳られるのか~
著:山口 周
年をとっただけで「老いる」ということはない。つまり「オッサン」というのは、好奇心を失い、謙虚さも失い、驚きながら学び続けるという姿勢を失ってしまった人たちのことを言う。
そしてその人物像とは①古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する②過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない③階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る④よそ者や異質なものに不寛容で、排他的
本書はそんな「オッサン」への処方箋について以下の8章により説明している。
①なぜオッサンは劣化したのか
②劣化は必然
③中堅・若手がオッサンに対抗する武器
④実は優しくない日本企業
⑤なぜ年長者は敬われるようになったのか
⑥サーバントリーダーシップ
⑦学び続ける上で重要なのは「経験の質」
⑧セカンドステージの挑戦と失敗の重要性
若い若いと思っていたものの、気づけばすっかり「オッサン」になっていた。本書でいう「オッサン」にはなりたくはないものの、もしかしたら自分も気づけばそんな「オッサン」への道に進んでいるのかもしれない。
自分は違うと言っても決めるは外部。しかし、危機感を持ち、謙虚な気持ちで変わりたい。変わる中で驚きを持って学び続けることを継続していればそんな「オッサン」には成り下がらない。
「オッサン」は世界の闇であるものの、ここ日本ではそんな「オッサン」が生まれるべくして生まれる環境でもある。
処方箋があれば対応が100%できるとまでは言わないものの、避けるだけではなく、立ち向かう局面の際に役立つことが記されている。
「オッサン」は自分自身を「オッサン」とは思っていない。そう自分にも言い聞かせながら「オッサン」と向き合い続けたい。
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◾️概要
中長期キャリアを考えるヒントとするため、読みました。本書の要点は「新しいことに前向きに挑戦し変化し続けることが、個人・組織双方にとって極めて重要」です。その前段として、止めることが必要というのは示唆に富みました。
◾️所感
学習し変化し続けることは、個人のキャリア形成ひいては幸福に直結すると再確認できました。不安定こそ安定、自分はどこに行ってもやっていけるという根拠のない自信を持つこと、それに繋がる挑戦と失敗を重ねたいと思います。
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今まで経験知として機能していた年配上司がサイクルの早さで劣化していき三流が上に残る日本社会を論じた本。
クソみたいな老害が見当はずれなこと言っているのも理屈が通る。
大隈重信と南極探検の話は笑えたが簡単にいえばアホ(念のために大隈重信のことではない無知なこと)でも若手を全力でサポートすれば成果がでることの証でもある。
自分は初老の身ではあるが仰っていることはその通りだと思う。そもそも低い結晶性知能を高めたいと思う。
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会社に不満を抱きながら「オピニオンもエグジットもせず、ダラダラとその日の糧を得ている」自分自身にハッとさせられ、情けない気分になった。このまま自分も燻りながら40代になり、「戦力外通告」を受け、3流の経営者の下で惨めな日々を過ごすのだろうか。。
実は先日まで、転職するか悩んでいて、結局今の会社を続けることを選んだばかりである。まさに、サーバントリーダーになりたいと思ったから。今の会社の上層部は強権的なオッサンばかりだが、自分は若者を惹き付ける人材として成長したいと心から痛感した。
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日常、政界やビジネスの場で感じることが言語化されていて非常に勉強になった。つくづく年功序列のエスカレーター企業/政界が癌だと思った。変化を楽しむ国や社会でありたい、、!!!
人生100年時代、出口治明さんも言うように、今後定年制の考え方はなく、多様性のある魅力的な組織で経験を積むこと、廃れない教養を深め、好奇心を常に持つことが大切だと思った。
刺激のない価値観に照らして合わない組織にはOpinion or Exit 意見するか退出する。
そのためにも、個人としてはどこでも通用するスキルを高め、人間関係を増やす・深める。
私個人としては、今後は、
・子育てしながら新たな経験、家族経営、コミュニティ参加を満喫する
・仕事、仕事上の人間関係やトライを通じてマーケティングや組織運営の知識経験を積む
・人生の夏から秋にかけて、趣味や運動、語学、旅行などで常に豊かな心を耕す
ということを頭に据えて邁進します!
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タイトルほどどぎつくはなく、自分の生き方の指針となる視点を与えてくれる本。すごい発見があるわけではなかったが、特に終盤に踏み出す勇気をもらった。
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著者の社会構造の考察を通じて「劣化したオッサン」を分析している。そして今後の社会構造として、長く働く事や長く生きる事を前提に、学び直しや50歳以降の人生の歩み方の道標も示している。
新しいことにチャレンジするのに歳は関係ないと言い切っている点が良かった。
一方で個人的には「いつ取り組んでも遅くない」というなら、若いうちにうまく苦労できなかった人や、頑張れなかった人も「いつからでも取り組める」という内容があるといいなと思った。あくまで若い頃の良い仕事経験が前提のような感じがした。
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人生100年時代。実り多いサードステージにするためには、セカンドステージの過ごし方がカギになる。サーバントリーダーシップの発揮や学び直しによるパラダイムシフトで「オッサン」は輝ける。刺激と勇気をもらえる本だと思う。
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書かれている内容は「Life Shift」共通の主張が多いけれど、「オッサン」という平成エスタブリッシュ世代を立板に水にディスる話芸を混ぜている。2018年の執筆当時の50代以上を指している。著者は1970年生まれなので当時48歳。文章の立ち位置として「オッサン」を揶揄するニュアンスがある。
「サーバントリーダーシップ」については知らなかった。グリーンリーフの著作を購入した。
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・なにかにチャレンジする、ということはそれまでにやっていたなにかを止める、ということでもあります。
・「学ぶ」ということは本質的な意味での「若さ」を保つ秘訣でもあります。
・年をとっただけで「老いる」ということはありません。つまり「オッサン」というのは好奇心を失い、謙虚さも失い、驚きながら学び続けるという姿勢を失ってしまった人たちのことを言うのです。
・最もシンプルかつ重要な処方箋は、私たちの一人ひとりが謙虚な気持ちで新しいモノゴトを積極的に学び続ける、ということになると思います。