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2018/10/6 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2020/3/2〜3/9
世間を騒がせた「STAP細胞」騒動の顛末を綴ったノンフィクション。著者の須田さんは当時twitterで情報を沢山流しておられたのを覚えている。読んでみて、当時を思い出したが、発言や行動を見ていると、論文の主著者は昨年私も悩まされた“関わってはいけない人”だったのでは無いか。科学が愚弄されたのはもちろん端くれで暮らすものとしては許せないことではあるが、笹井氏が亡くなられたことが一番大きな損失であろう。
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【大宅賞受賞作が新章を追加。佐藤優氏推薦】誰が、何を、いつ、なぜ、どのように捏造したのか? 歴史に残る不正事件をスクープ記者が追う。事件のその後も加筆した「完全版」。
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当時、連日の報道が盛り上がりすぎて、途中からなにがそんなに?と、よくわからなくなってきた。
先日、記者の方が出された『東芝の悲劇』がことのほか興味深く、取材の幅と質に引き込まれて読んだ。そんな経緯もあり、別の記者ではあるけれど手に取った。
が、読み終えて、非常にがっかり。
全体的に単なる取材日記的な印象で、報道されていること以上のものが何もない。
記者自身の正義感の押し付けが、非常に嫌な気分になった。
論文捏造とはいえ、結局、なぜそのようなことが起きてしまったのかは何もない。糾弾して終わり。そんなことなら私にだってできる。
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客観的な経緯はわかるけど…
なぜ科学者がそういうことをしたのかという点をもう少し踏み込んでほしかった。
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博士号の意味、未熟な研究者排出の大学の責任、組織防衛の論理、資金獲得戦術、マスコミの報道の在り方、諸々あるが、ヒトが1人亡くなったという事実。
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著者は毎日新聞の記者。内容は表題の通り。文庫化に際して追加された末尾の部分では、この事件の総括を改めてされているのと同時に、小保方氏による手記『あの日』に出てくる名指しによる批判への再反論ともなっている。あの事件の何が問題で、どうして”STAP細胞は存在しない”と言い切れるのかを科学にあまり詳しくない人にもわかり易く伝えようとする姿勢がとても感じられて、興味深く読めた。
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結局この事件は何だったんだろう、とずっと思っていたので読みました。毎日新聞の須田記者が、最初はみんなと同じようにSTAP細胞に興奮して報道したジャーナリストの1人として責任を取るかのように丁寧に経緯が書かれていました。
私はやっぱり個人の問題(研究の作法を知らなかった、データの扱いがあまりにずさん)がメインであって、理研の責任論はいまいちピンとこないのですが、周りの若山さんや笹井さんら有名な研究者たちが共著になっていたからみんな簡単に信じてしまった。なぜそのようなしっかりした研究者たちや、ネイチャーがコロッと信じてしまったのかはやはりよく分かりませんでした。あとからきちんと調べたら、ツッコミどころ満載の論文で、出されたデータもめちゃくちゃだけど、そのときはまさかデータ自体がそんなひどいものだとは思わなかったということなのかな…
いろんな研究室を渡り歩いていて、理研にもハーバードからの客員だったという小保方さんの経歴も、扱いが難しいところだったのかも。また、iPS細胞への対抗心、STAP細胞で予算を獲得したいという気持ちもあったんだろう。
仮説や期待を持ちすぎるのも研究を危うくすると感じました。自分も今後臨床研究をするかもしれない、意図せず不正をしてしまうかもしれない、と思ってドキドキしながら読みました。
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ニュースを新聞よりネットで見て、情報の奔流にさらされるようになってからでしょうか、特にノンフィクションが大好物になりました。
何か大きな事件が起きたとき洪水のように押し寄せる報道は、ある時期が過ぎると一気に潮が引くように見かけなくなります。掲載する紙面や取材する記者、そして受け手のキャパシティのいずれにも物理的に限りがある中で新しい事件事案が発生し続けるのですからやむを得ないことだと承知しています。
でも、「結局どういうことだったの?」という疑問は消化不良なまま燻ぶり続けます。そんな状態でノンフィクション作品を見かけると、つい手が伸びてしまうのです。
この本はSTAP細胞をめぐる騒動について、毎日新聞科学部の記者が2014年1月のプレス発表から論文撤回、2014年8月の笹井芳樹の自殺、その後の小保方晴子の博士号取消、調査委員会の第二次報告書の発表まで追ったノンフィクションです。
筆者が自らの興味関心と疑問に基づき、関係者に取材を重ね、記事にまとめて発表していく過程が時系列に沿って記述されています。
取材情報は、雑誌に投稿された論文の査読者コメントなどの資料や日時・記名のあるメール本文といった客観的で形のあるものから匿名による聞き取りの要約までが、記事となり紙面に掲載されたものから諸般の事情により掲載や公表に至らなかったものまで大量に掲載されています。
筆者の須田桃子は当時毎日新聞科学環境部所属の記者で、一連の出来事の取材に当たっていました。早稲田大学大学院修士課程修了(物理学専攻)で科学的な素養はお持ちのようです。皮肉なことに、小保方晴子とは卒業した大学が同じ。8歳上ということなので、キャンパスで顔を合わせたことはなさそうですが。
記憶に残るこの騒動は、割烹着での実験や研究室の壁にムーミンといったステレオタイプ化された「リケジョ」像から始まり、「STAP細胞はありまぁす」の記者会見、実績のある前途有為な研究者の自殺、堕ちたヒロインの博士号の剥奪に至るまで、「持ち上げてから叩く」劇場型の報道が行われているように感じられ、自分は意識的に膨大な報道から距離を置くように努めてきました。
渦中の人だった小保方晴子が、騒動が落ち着いた後、グラビアに登場し、またインタビューを受け書物を執筆するなどの行動をしていることも、自分にとって「劇場型」という感想を補強するものでした。
そんな自分が、事態が鎮静化し、むしろ風化しつつある今、一連の出来事を振り返るにはこの本はとても有用でした。
ただし(持ち上げてすぐ叩くわけですがw)この本の性格上やむを得ないことであるのは承知しつつも、それでも残念に思える点が2つありました。
まず、「真相」が明らかになっていないこと。
殺人事件や重大な事故など、刑事責任が問われている事象については、公権力により強制的に捜査が行われ、裁判を通じて認定された「事実」が存在します。自分がこれまで読んできたノンフィクションの多くは、この「事実」を前提として、そこに至るまでにあった背後要因――例えば犯人の生育環境であったり、組織の体質であったりすることが多��印象です――をレポートして読者の疑問に答えようとするか、逆に不適切な取り調べにより真相と異なることが「事実」とされていることなどを主張していたように思います。
これに対してこの「捏造の科学者」は、「真相」は藪の中です。科学誌に投稿された論文中の記述や写真に「不正」や「捏造」があることは調査委員会の報告で認定されましたが、「どうしてそんなことをしたのか」については、関係者の中で最も重要と思われる小保方晴子氏へは記者会見の場以外の取材はできておらず、笹井芳樹は多くを語らないまま自殺してしまいました。
そもそも理研の調査は「STAP細胞の有無」に注力する一方で論文不正の追及には及び腰で、最終的に懲戒解雇相当とされた小保方晴子の辞任を認めてしまうなど、真相解明より組織防衛や当時の理事長でノーベル賞受賞者である野依良治に傷をつけないことを優先したという心証を抱きました。
筆者らはこの調査報告に疑義を呈する一方で、研究室内で行われたとみられるES細胞の「混入」を直接調査したり聞き取り取材することはできていません。ノンフィクションとしての本書の限界の原因は、筆者が新聞記者だったことにあるのかもしれません。
ですから、この騒動で自分が一番知りたい疑問、
「どうしてすぐばれるような嘘をついたんだろう」
「どうしてすぐばれるような嘘を見抜けなかったんだろう」
に対する確たる答えは得られませんでした。
この根本的で本質的な疑問は、本書冒頭で匿名ではあるものの科学者から「全くの新奇な研究で不正はあり得ない」――周りがこぞって追試をするはずだから、不正や捏造があればすぐに発見される、だからそんなことをするはずがない――というコメントもあるように、自分に限らず多くの人が感じているはずのものです。
笹井芳樹の秘密主義や基礎研究の予算獲得に関する厳しい状況などには触れられていますが、この事件の発端となる不適切な論文記述は小保方晴子が理研入りし笹井芳樹と出会うはるか前、早稲田大学に提出された博士論文ですでに確認されており、理研の体質や笹井芳樹の思惑は研究不正を助長し、火に油を注いだのかもしれませんが、それはこの騒動を拡大しただけです。炎上する素地はあったとしても火が着かなければ燃え上がらなかったわけです。しかし、「そもそもどうしてそんな大発見をしたと嘘をつき始めたのか」をには手が届かず、解明されないままです。
そして、渦中の人物、小保方晴子についても、わからないままです。
本書を読むまでは、この騒動を「功を焦った若手研究者の暴走」から始まった事件だろうと思っていましたが、一読してそんな簡単に総括できるものではない、ということだけはよくわかりました。
博士論文の時点ですでにみられる多くの不適切な記載、そのような論文の著者がハーバード大学、理化学研究所と華々しいキャリアを積み上げることができた不透明な採用・抜擢の過程、問題発覚後の理研や早稲田大学の何とも煮え切らない調査と発表、一方で自殺者まで出したメディアスクラム。小保方晴子は出発点に過ぎず、最初のプレス発表以降は彼女にとって事態が全くコントロールのできなかったであったろうことは間違いありません。小保方自身はこの騒動の一つのピースに過ぎないのです。
でも、コピペだらけの論文で多くの先輩科学者の目を欺き続け、口さがないネットをして「鋼のメンタル」と言わしめたそのキャラクターには大変関心を引かれます。
健康な存命の人物であり、「あの日」なる本を上梓して自身への取り調べやマスコミの取材方法について反論しているのですから、可能であればインタビューを、そうでなければ反論の寄稿を受けるなどしてその内面にもう一歩踏み込んで欲しかったと思います。
なお、「あの日」ですが、「怖いもの見たさ」で読んでみたいとは思いますが、この本と対比させて相互の主張を検討するほどの価値はなさそうです。
面白いことに、「あの日」に関してはamazonでの評価(★5から順に60,16,15,4,6%)とブクログの評価(14,34,37,11,4%)とが大きく乖離しています。さらに興味深いことに、amazonの高評価のレビューを見ると陰謀論の香りが香ばしく漂っています。陰謀論者はどこにでも湧くのだなと感心しつつ、陰謀論の発端が観察できるなかなか興味深い事例ではないかと思います。
一方ブクログではかの「絶歌」と対比させているレビューが多い印象でした(自分も相似を感じます)。
これだけ見ても「怖いもの見たさで読む」態度が相応しい、と思いませんか?
ただ、メディアスクラムを受ける側の立場の主張を読めることは多くは無いと思いますので、そういう読み方もあるのかもしれません。取材する側は理路整然と疑問点を問い合わせているように書いていますが、仮にそのとおりだったとしても、取材される側は同じようなことを何回も繰り返し聞かれるわけですから受け止め方は全く変わってくるでしょう。
さて、自分の関心への回答としては隔靴搔痒の感のある本書ですが、ノンフィクションとしては――というより、その前段の新聞記事執筆の時点で「しっかりしている」と感じました。
何よりも、「突っ込みどころ」、問題になった論文自体や、疑問に対する共著者や理研やCDBその他の関係者の回答や応答の「どこがおかしいのか」を自ら科学的に検討して追及していて、報道における専門的な知識を有する識者の必要性がよくわかります。
余談ですが、これを書いている今、現在進行形で起こっているウクライナに対する侵略の報道に関しても、本当の有識者の意見と、単なるコメンテータの妄言を比較してみても明らかです。
ただし、書物にまとめるにあたって説明の仕方を相当見直したのでしょうけれど、普段なじみの薄い概念について書かれた文章を、例えば「短期間での培養ではトリソミーはほとんど生じないが、継代培養したES細胞ではよく見られることが知られている。」→「論文の元データになった細胞にはトリソミーが見られる」→「ES細胞ではないか」という論旨を、まず理解したうえで本当に筆者の主張が妥当なのか自分の心証をまとめる、という読み方をすると大変疲れます。
自分は本書を2回通読し、1回目はいつもの悪癖で流し読みしてしまったのですが、それでも読了に時間を要した(一般的な小説の概ね3倍は必要でした)うえ、できるだけ読み飛ばさないように心掛けた2回目は気を付けないとすぐに目が滑るので読み進めるのに大変な集中力を必要としました。
また、色々なところで筆���が(悪い意味で)「新聞記者だなあ」と鼻につくことが多く、辟易させられることもしばしばでした。
例えば「理研は」「CDBは」などと特定の個人ではなく法人や組織を主語にしたり、受動態を利用するなど主語を明らかにせず批判したりする話法を多用すること。
「理研は論文不正の解明には及び腰だったが、このような説明では理研の信頼は回復されないだろう」みたいな言い方です。
特定個人を批判して、万一その批判に瑕疵があった場合に自らが非難されるリスクを避けつつ、何か実のある主張をしたつもりになるこの話法は、刑事事件があった時に「社会」が悪いとする主張と通底しているように思えます。かっこよく見えますが空虚です。
もう一点、笹井芳樹の自殺について、遺書で「マスコミのバッシング」を理由に挙げているにもかかわらず、自らの取材姿勢を全く顧みていないことは、失当だと感じます。もっと早く解任すればよかったのではないか、無理をしなければ研究費が獲得できない今の制度は問題はないか、などと言い訳に終始していますが、この「マスコミによるバッシング」には一言も触れられていません(遺書にこれが書いてあったことを隠さなかったがせめてもの誠意なのかもしれませんが)。
もしかしたら筆者の取材に対する姿勢は真摯で抑制的だったのかもしれませんが、同じ真摯で抑制的な質問を繰り返し複数の記者から聞かれればそれだけで被取材者は消耗するでしょう。また、理研の信頼回復等、社会正義の実現を錦の御旗として掲げつつも、「NHKの特ダネ」「日経新聞が先に報じた」などの記載が多数見られるように熱心な取材や記事化の根底には一つの動機としてスクープ合戦があるのは間違いなく、NHKスペシャル「調査報告 STAP細胞 不正の深層」がBPOから人権侵害を指摘されていることからわかるように、一連の報道が全体として必要以上に煽情的だったことは論を待ちません。
STAP細胞にまつわる論文不正に関するノンフィクションであって、メディアスクラムに関しては稿を改めるべきなのかもしれませんが、悲劇の原因をすべて理研側に背負わせる態度はやはり悪しきマスコミの典型だと思います。
なお、著者須田桃子は小保方晴子の手記「あの日」の中で名指しで批判されていることに対し、文庫本の出版に当たって一部追記を行い、「殺意を感じた」とされたメールをすべて上司に提出して批判が当たらないことを確認したとしていますが、取材メールが妥当なものであるかどうか「身内」である新聞社内関係者が判定するのでは、納得は得られないのではないかと思います(マスコミ語法ですw。書き直すと「私は納得できません」)。反論するのであれば、参考資料としてでも掲載することはできなかったのかと思います。
批判が多くなってしまったように見えますが、科学的素養がなくても「STAP細胞事件」を俯瞰できる資料は本書だけです。先に書いたことの繰り返しになりますが、極めて有用で貴重な書籍だと思います。
ちなみに、記者会見での小保方の発言「STAP細胞はあります」は2014年の「新語・流行語大賞」にノミネートされています。同時にノミネートされているものには「集団的自衛権」「積極的平和主義」「雨傘革命」「号泣会見」「エボラ出血熱」などがありま���が、これらは、2022年の現在から振り返ると、お祭り騒ぎとして消化してしまうのではなく、真剣に検討したり議論したりしておくべきではなかったかと思われます。「STAP細胞事件」についても、8年経過した今であっても、コロナなどをめぐって非科学的な言説が飛び交う今だからこそ振り返っておく意味があるのではないかと思います。
一読をお勧めします。
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著者が笹井さん、若山さん、丹羽さんらにインタビューや確認をしながら自身のSTAP細胞への認識がどのように変わっていったかが書かれている。
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小保方晴子さんのあの日と併せて読みました。
事件の事はあまり理解できませんでしたが、自分は理系ではないということがわかりました。
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STAP細胞事件を追った毎日新聞の女性科学記者の取材ドキュメント。本書を読んで、STAP細胞事件が解明されたとは思わないが、少なくとも、他社を圧倒する取材力で、当時の関係者の心情、STAP細胞に対する見解を引き出し、それらがどう変わっていったのか(または変わらなかったのか)がよく分かり取材ドキュメントとしてとても興味深く、面白かった。個人的には、小保方さんをはじめ主要関係者の人となりがわかるようなエピソードなり、人物像を浮かび上がらせるような丁寧な記述が含まれていると、より読みごたえが増すのではないかとも感じた。
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科学には疎いこともあって時間をかけて少しずつ読みました。細かい内容はわからないところもありますが、着実は取材を積み上げて事実を解明していこうとする過程はよくわかりました。その意味では、非常にわかりやすかったです。
STAP細胞が発表され、騒動になった初期、僕自身、小保方氏を引きずり下ろそうとする何らかの圧力が働いているのではないか、と考えていた時期がありました。
政治面や経済面ではそう簡単に陰謀論に巻き込まれない自信があるのですが、自然科学の面では陰謀論とは言わないまでも、自分が信じたい事象だけをつなぎ合わせて考えてしまうのだと痛切に感じた事件でもありました。結局、一定の知識がないと、「これぞ隠された事実」「教科書では教えない真実」などというキャッチーな言葉に引っかかってしまうのだと思います。そう感じていたことを読みながら思いだしていました。
最近、Twitterで新聞記者も博士課程を出た方がいいのでは、という論争もどきがありました。現場の記者からそんなものはいらない、的な意見が多くてびっくりしたのですが、記者の専門性については程度問題だと思います。著者の須田さんが、理系の大学院(修士)まで修了していることが本書のわかりやすさ、追求の的確さにつながっていると思います。別に須田さんは物理学専攻だそうですので、本事件の分野とは直接関係はありません。しかしおそらくは、科学者が話すことを理解でき、あるいは自分が理解できていないことが何かを理解できるのだと思います。だから、的確な取材と検証ができ、自然科学にド素人な僕でも理解できる内容に仕上がっているのだと思いました。
最後の方に、小保方氏の責任、理研のガバナンスの問題点とともに、もっと大きな問題点に言及されていました。それ点は、行政の観点、経営の観点としても僕自身が問題だと考えていることと一致します。どうやらその点は、共著で出された『誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃』に書かれているようなので、次に読んでみようと思います。
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STAP細胞は無い派の本。
あの日、つまりSTAP細胞発見の記者会見当日に筆者が記者としてその場に居合わせたところから始まるが、少しの無駄もなくSTAP細胞への疑惑を丁寧にまとめてある。
小保方氏と擁護派の本を2冊続けて読んだあとにこの本を読んだが、STAP細胞はないと確信させられるほどに記者としての手腕を見せつけられた。
小保方氏いわく、この筆者の取材メールは殺意を感じるほどのものだったそうだが、そう言わしめたのも納得の内容。更にはこれを家事と育児の合間に書き上げたというのだから驚きである。
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力作。
膨大な取材データと専門的な話を、
一般の人にわかり易く書こうとしているので
ものすごく読み応えがある。
当時の状況を、時系列ごとに問題点をあげて構成されているので、
なんとなく知っていたこの事件が、ああこんな問題があったのかと
改めてわかった。
これぞノンフィクションな一冊。
でも、最後がチョットだれるかな。
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オーディブルのポッドキャストで柳瀬博一氏のゲストで須田桃子さんを知って読みたくなって手を出した。
「STAP細胞はあります」以降のことを知らなかったし、なんなら事件のこともよくわかっていなかった。
難しいけど、専門外でも読めるように説明が多いので読めました。