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西洋史が大半を占めていますが、とても勉強になりました。また、教養=読書の重要性を改めて再認識しました。
将来の日本を担う子供たちへ、今後も読書を強く勧めていきたいと思います。
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【感想】
近代の世界史について、筆者の客観的な視点も相まって、読んでいて非常に勉強になった。
どの国の歴史を見ていても、(当たり前だが)やはり自国の国益を最優先に考えて動いており、その中で社会主義や資本主義が発展しているのが読んでいて分かった。
正直、「教養」というのは一文の得にもならないということを分かった上で、ただ欲望にまみれた本能を抑制する手段として身につけなければならない。
ナチスドイツの発展やソ連の誕生なども、国民の教養不足の合間を縫って発展したのだから、その点は非常に頷ける。
ただ、作中にもある通り、利害損失のみで動いている人間が多い今世において、果たして「教養」という剣が本当に役に立つかどうかについては、甚だ疑問とも思った。
これから必要な教養として、「人文的教養(哲学や古典)」「社会的教養」「科学教養」「大衆文化教養」などが挙げられているが、この世で生き抜くにあたっては、メシのタネになる、あるいは自身を守る盾になる「実学」を身につけなければいけないのではないか。
自身の仕事に直結するための勉強や、収入につながる勉強、誰かに騙されないよう見抜くための勉強など・・・
多少軽薄なのかもしれないが、誰かに欺かれたり競争で勝ち抜くためには、そういった知識も身につけないといけない世の中なんだと個人的には思っている。
「教養が大切だ!」という意見は勿論頷けるが、綺麗事だけではこの世の中で生きていくにあたってハズレを引き続けてしまう気もする・・・
リベラルアーツなど、知識として身に着けておく重要性も感じたが、それと同時に、いやそれ以上に、「VUCA」と称されるこの世の中を生き抜くためにも、別ジャンルで必要な知識やスキルを身に着けていく必要がある。
「性善説」を貫いて生きるのは確かに素晴らしいが、それは疑う事を怠けてしまっているのと同義である。
この世に悪意が潜んでいる限り、「清濁併せ吞む」覚悟で生きていく必要があるなと、最近になってとても感じる。
とても面白い本だったし、勉強にもなったが、結局は筆者の主張とは大きく異なってしまった。
結局、マジメな人間が損をしてしまうリスクが大いにあるこの世の中では、「功利性」や「金銭」の大切さから極端に目を背ける事が今の自分には到底できない。
前記したが、「清濁併せ吞む」スタイル。
また、「性善説」に依存しすぎないスタイル。
「教養」をしっかりと身に着けつつ、決して貧乏くじを引かないためにも、打算的に狡猾に世の中を生きていくダークスキルも併せて今後は身に着けていこうと思った。
【内容まとめ】
1.「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力。
2.アメリカのトランプ大統領も、口ではウォール街を牽制しているが、実際は金融規制緩和などでウォール街を喜ばせ、国益を優先としている。
アメリカに限らずどの国も、弱者や敗者への惻隠などはどうでもよいこと。
世界中の99%の人々は、ほとんど利害得失だけで行動しており、そういった��々から成る国家がそのような浅ましい行動やさもしい行動に向かうのは、残念ながら仕方のないこと。
そんな中で、「教養」は本能を制御する力として大きな意味を持つ。
3.リベラルアーツの起源
アリストテレスは数学中心主義から離れ、広く人文、社会、自然からなる3つの科学が体系的に教えられた。
アリストテレスはリュケイオンで教えながら哲学・論理学・生物学・修辞学・倫理学・政治学をはじめ諸分野で膨大な業績を残し、「万学の祖」と呼ばれるようになった。
4.※補足「リベラルアーツとは?」
リベラル・アーツとは、 ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸の基本」と見なされた自由七科のことである。
具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科のこと。
(Wikipedia引用)
5.これからの教養とは?
書斎的の知識ではなく、現実対応型のものでなくてはならない。
現実対応型の知識とは、屍のごとき知識ではなくて、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識。
実体験は擬似体験により補完され、健全な知識と情緒と形、バランスのとれた教養を!
【引用】
「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力だ。
では、教養を身につけるためにはどうしたらいいのか?
教養の歴史を概観し、その効用と限界を明らかにしつつ、数学者らしい独創的な視点で「現代に相応しい教養」のあり方を提言する。
p25
誰しも、有限の人生において、無価値の情報に関わっているヒマはありません。
自分にとって価値のある情報だけを選択したい。それらがその人の判断力の基盤となるからです。
ありとあらゆる情報から、どんな物差しにより自分にとって有意義で価値のある情報を選ぶのか?
その嗅覚は何によって培われるのか?
教養とは一体何か?
p28
紀元前三三一年、ギリシア人の国家マケドニアのアレクサンダー大王は、念願のペルシアとの戦争に勝利しました。
その後10年も経たないうちに32歳の若さで病没してしまい、大帝国は将軍達により三分割されました。
そのうちの一つが、アレクサンドリアを首都としてプトレマイオス一世の創立したプトレマイオス朝エジプトです。
アレクサンダー大王は「父から生を受け、アリストテレスから高貴に生きることを学んだ」と言うほどアリストテレスを崇拝し、その下で教養を積んでいましたが、このプトレマイオスも同様に学問や文学を愛好していました。
彼は首都アレクサンドリアに学術研究所「ムセイオン」を作り、文献学を中心に、数学、物理学、天文学など70万巻以上の蔵書数を持ち、大いに隆盛しました。
プトレマイオス朝は300年ほど続きましたが、陰りの見えてきた紀元前30年、絶世の美女クレオパトラが即位し、美貌美声媚声を駆使してローマ帝国の英雄を籠絡したが、乳房をコブラに噛ませて自殺してしまい、その後プトレマイオス朝はローマに滅ぼされました。
p41
・12世紀ルネサンス
バグダッドを拠点としたイスラム国家アッバース朝が地中海沿岸を占領してから3世紀あまり、地中海貿易は停滞し、この海はいわば閉ざされた海となっていました。
アッバース朝の勢いが衰えた12世紀になって、ジェノヴァやヴェネツィアなどの北イタリア都市国家が地中海貿易の主導権を握るようになりました。
ヴェネツィアの貿易商人だったマルコポーロはジェノヴァとの戦争中に捕虜になりましたが、その時に著したものが「東方見聞録」です。
日本をジパングとして初めてヨーロッパに紹介しました。
ギリシア古典は千年間もビザンティン帝国やイスラム国家に保存されましたが、衰退する帝国に見切りをつけた幾多の学者たちがヨーロッパに里帰りしました。これがルネサンスです。
知識人は新たな知識を求め、これら古典をむさぼり読みました。
p49
・リベラルアーツの起源
アリストテレスは数学中心主義から離れ、広く人文、社会、自然からなる3つの科学が体系的に教えられた。
アリストテレスはリュケイオンで教えながら哲学・論理学・生物学・修辞学・倫理学・政治学をはじめ諸分野で膨大な業績を残し、「万学の祖」と呼ばれるようになった。
※補足
リベラルアーツとは?
リベラル・アーツとは、 ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸の基本」と見なされた自由七科のことである。
具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何・天文学・音楽の4科のこと。
(Wikipedia引用)
p52
現代人は、科学技術や生産手段の進歩を人間性の進歩と勘違いしたまま、自惚れと傲慢に身を置くようになっている。
このような現代人は、生存競争に勝つためにも、生活を豊かにするためにも役立ちそうにない教養などは、遺物であり暇人の時間潰しと見下すようになっている。
功利性、改良や発明、金銭は確かに大切だが、教養が疎かになってしまうのは、、、
p55
アメリカのトランプ大統領も、口ではウォール街を牽制しているが、実際は金融規制緩和などでウォール街を喜ばせ、国益を優先としている。
アメリカに限らずどの国も、弱者や敗者への惻隠などはどうでもよいことなのです。
世界中の99%の人々は、ほとんど利害得失だけで行動しており、そういった人々から成る国家がそのような浅ましい行動やさもしい行動に向かうのは、残念ながら仕方のないことなのです。
そんな中で、「教養」は本能を制御する力として大きな意味を持つのです。
p60
ヨーロッパでは「大戦争」と言えば第二次ではなく、より多くの死者を出した第一次世界大戦のことです。
大戦勃発の引き金は「サラエボ事件」です。
1914年6月に、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻が、サラエボでセルビア人に暗殺された。
事件の発生とともにオーストリアでは新聞などが国民を煽り始め、それに反応した国民が激昂したため、政府は事件のひと月後にセルビアに対し宣戦布告をした。
p67
・近代ドイツの振り返り
長い中世を抜け出たものの、16世紀にはルターの宗教改革、17世紀には30年戦争と、プロテスタントとカトリックの抗争で人口は激減し、国土はすっかり荒廃していた。
約300もの領邦に分かれ、それぞれが主権や外交権まで持っていたため、国としてのまとまりはなかった。
1807年にナポレオンに国土を蹂躙された挙句に国土の7割あまりを奪われ、巨額の賠償金を課せられた。
ナポレオン失脚後もドイツを弱体化させたままにしておくというコンセンサスがヨーロッパにはあった。
このような数重なる国家存亡の危機に立たされたところでドイツはやっと目を覚まし、国家主義の気運が一気に高まった。
果敢な政治改革、軍制改革、そして教育改革が断行されてゆく。
p81
産業革命を経た19世紀末から、ドイツでは大衆の精神的空隙に、まずマルクス主義が、ついでフェルキッシュ運動(民族運動)、そしてついにナチズムが怒涛のように入り込んだのです。
p114
第一次大戦末期、ロシア革命(1917年)が起きてロマノフ王朝は滅び、1922年にソ連が誕生しました。
その間にレーニンにより、世界革命を目指すコミンテルン(共産主義インターナショナル)が組織化されました。
日本共産党は、その日本支部にあたる組織です。
満州との国境を平穏に保つため、同じコミンテルンの出先である中国共産党を用い、日本軍を挑発し続けて中国と日本の戦争を泥沼化させました。
またドイツ軍に追い詰められたソ連を救うため、アメリカを世界戦争に参加させます。
そのためには日独伊同盟を結んでいる日本に、アメリカに対して最初の一発を撃たせることを行います。
日米通商条約の一方的破棄、在米日本資産の凍結、鉄鉱石や石油の対日禁輸、日本を真っ向から侮辱するハル・ノートなど。
p127
・独ソ不可侵条約の密約
ソ連がバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を併合し、独ソでポーランドを分割するというもの。
結果、1937年9月にドイツがポーランドに突如侵攻して第二次世界大戦の引き金を引き、密約通り18日後にソ連が東からポーランドに侵攻、独ソに占領・分割統治されました。
ポーランドは両国に対しいかなる敵対行動をとったわけでもなく、それどころか両国と不可侵条約を結んでいました。
しかもこの密約の存在は独ソが明かさなかったため、ゴルバチョフが1989年に情報公開するまで、50年間も隠蔽されていた。
p148
・これからの教養とは一体なに?
書斎的の知識ではなく、現実対応型のものでなくてはなりません。
現実対応型の知識とは、屍のごとき知識ではなくて、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識です。
実体験は擬似体験により補完され、健全な知識と情緒と形、バランスのとれた教養を!
p175
・これから必要な教養
何かが突出しているだけでは、いくら論理的であっても間違った方向に行ってしまう。
人文的教養(哲学や古典)
→長い歴史をもつ文学や哲学など
社会的教養
→政治、経済、地政学
科学教養
→自然科学や統計学
大衆文化教養
→漫画やアニメも
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書評は、加筆修正の上、ブログに書きました。
https://dark-pla.net/?p=2963
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「もっとしっかり勉強しなければならない」「もっとたくさんの本を読まなければならない」そう思わせてくれる本でした。
そして何より日本人であることを誇りに思えるように、恥ずかしくないように、しなければならないと思いました。
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藤原正彦 著「国家と教養」(2018.12)、私には難しかったです。最近は、冗談交じりで、教養とは「今日用事がある」(教育は「今日行くところがある」)なんて言ってる私ですw。教養はなぜ必要か、教養の衰退、教養と欧州、教養と日本、国家と教養・・・、難しかったです。著者の思いを推察すると、疑似体験の柱となる「読書」と教養の4本柱(人文教養、社会教養、科学教養、大衆文化教養)の重要性でしょうか。就中、大衆文化教養(情緒)の大切さに力点を置かれています。とにもかくにも難しかったですw。
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イギリス寄りの立場からフランスの弁舌を胡散臭く捉え、アメリカの無教養を主張する。前提となる立場が明確なので、同意できない主張も含めて筆者の意図が理解しやすい。出来れば、他の2者の立場からの書籍を読むと、視野にバランスが保てそうだと感じた。
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経済上の変化が、不思議といおうか、当然といおうか、人の優しさ、おだやかさ、思いやり、卑怯を憎む心、献身、他者への深い共感、と日本を日本たらしめてできた誇るべき情緒までをも蝕み始めたのです
イギリス人には他人と違うことはかっこいいと言う文化があります
読書を通じ、古今東西の賢人や哲人や文人の言葉に耳を傾けることができます
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・明治大正時代、舶来の教養を無邪気に身につけた世代は、日本という根がなく、借り物の思想であることに気づかず、大正デモクラシーを謳歌しているうちに、ロシア革命がおきるとマルクス主義にかぶれ、昭和ではナチズム・軍国主義に流された。戦後は、左翼思想に流され、今は新自由主義やグローバリズムに流されている。「上滑り」「虚偽」「軽薄」は一貫している。
・基盤となる形をもたない個性は、流行りの新しい思潮に常に圧倒される。ドイツでも、フェルキッシュ運動・ファシズム・贖罪意識に圧倒された。
・現代に至る日本の知識人のひ弱さは、世界に誇る我が国の大衆文化、日本人としての情緒や形を軽侮したことに因がある。
・民主主義という暴走トラックを制御するのは国民の教養である。
・実体験や大衆文化により養われた情緒や形があって、初めて知識に生が吹き込まれる。知識に、情緒や形がまぶされて初めて活性化され、真の教養になる。例えばグローバリズムを考えるとき、経済(=西洋の輸入品)だけを考える人と、日本の国柄とか美しい自然や弱者への惻隠を大事にしたい人はまるっきり異なる見方をする。
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「教養は大事である」と口々に言われるが、教養とは何なのかについて、本書読了前は全く理解していなかった。本書を通して、教養とは”堂々たる価値基準”であると理解した。民主主義が成り立っている以上国民一人一人にこの教養が求められている。昔の同世代の人々と比較していかに自分の教養のないことか。
また世界が以前より近いものとなっている昨今、日本人としての価値基準を持つことがアイデンティティとなるはずなのに、自分にはそれがあると断言できないことに気づいた。グローバルスタンダードに踊らされることなく、日本的教養を身につけることが重要であると感じた。
最後に本書で紹介された、教養の4本柱。
人文教養…文学や哲学
社会教養…政治、経済、歴史、地政学
科学教養…自然科学や統計
大衆文化教養…情緒や形の修得。大衆文芸、芸術、古典芸能、芸道、映画、漫画、アニメなど。
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【情報を論理的に体系化したものが知識とすると、これからの教養は書斎型の知識でなく、現実対応型のものでなくてはなりません。現実対応型の知識とは、屍のごとき知識ではなく、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識です】(文中より引用)
主に日本、そして欧米における教養の歴史を振り返りながら、現代社会を生き抜く上で本当に必要な教養とは何かを探求した作品。著者は、大ベストセラーとなった『国家と品格』を手がけた藤原正彦。
教養という多義的な言葉に切り込み、今日的な知の在り方について光を当てた点を評価したい一冊でした。かなり刺々しい言葉が作品中に目立つため、それを毛嫌いしてしまう人もいるかもしれませんが、藤原氏の思考回路をたどっていくのも本書の楽しみなのかもしれないなと感じました。
『国家と品格』が懐かしい☆5つ
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「考え治す」必要がありました。
自らの身体のこと(非常にまずいことになりやした!)
が御座いまして。読書?識字に問題が出ていまして
丁度しんどい時に読みました。
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特に、現代のデジタル化された社会において、論理や結果はコモディティ化してくる。その中で、自分らしく、社会正義に基づいた考えを持つことが重要だね。それには、日本人らしい、教養の持ち方、自分らしい教養の持ち方が問われる。でも、そんな教養人を凌駕する権力や大衆の空気とは、何ものでしょう。できることは、教養の無い人をリーダーにしないことですね。
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国家を正しく導くためには真の教養が必要で、日本もドイツも偏った教養のために破滅の道を突き進んだ、という。また、第二次大戦前のアメリカの日本へのオレンジ作戦など、私の知らない記載が多く、目を疑った。世界には偏った教養ばかりで、真の抵抗は生まれなかった。▼「教養が哲学や文学に偏るのは危険で、人文教養・社会教養・科学教養・大衆文化教養の4つがすべて必要です。民主主義という暴走トラックを制御するのは、国民のこの4つの教養だけなのです」、と説きます。▼そのなかでも、日本古来の情緒あふれる文学や芸能は世界に誇るもの、大事にすべきと説きます。▼筆者の意図はよく分かるのですが、国民全体が筆者の説く教養を身につけることは、多大な努力を国民に求めるもので、残念ながら達成できる日は遠いと感じました。でも独自の考察には感心しました。読んで得るところは大きいです。
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ギリシア・ローマ文化をスタートとした「教養」というものと国家がどう付き合い、またその付き合い方により国家がどのような運命を辿ったか、主にドイツやイギリス、アメリカ、そして日本といった国を中心に論じている。
ここでは教養プラス「ユーモア」を大切にしているイギリスが教養とうまく付き合っているとされている。それについては学の浅い私には正誤はわかりかねるが、頭でっかちにならずにユーモアを大切にすることの必要性は同感である。
この本で私が一番納得したのは、民主主義の欠点をズバリついているところ。つまり大衆が政治に参加するためには大衆にも「教養」が必要であるが、現代の民主主義は経済性や効率性ばかりに目が行き、教養が疎かになっているために単なる衆愚政治に陥っているという点。
そのために日本人は哲学や自然科学といった従来の教養のほか、芸能や大衆文化も含めた教養を身につける必要があるとしている。
さて、これらの教養が私たちにとって必要なのかは私にはわからないが、少なくとも政治家を選ぶのに必要な教養が我々に備わっていないのは確かである。その結果が現在の日本の政治、である。まさにいい得て妙だろう。
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おそらく積読だった本書をようやく読了。民主主義である以上国民一人一人が教養を育むべき、というのは本質的で明快な話と思う。で、何が教養かというと人文的教養、社会的教養、科学教養そして大衆的教養の4つがあり最後の大衆的教養が最も軽んじられているが実は重要なのだ、というお話。自分は科学教養と大衆的教養はあると思うので人文的および社会的教養を意識して育んでいきたいと思う。