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最高傑作。
時間は、過去→現在→未来という単線的なものではなく、渾然一体となっていることを証明してしまった。
それは、19年前の小説「生きる歓び」を再掲することによっても現れている。
すべてが響きあっている。
●時間のイメージが、流れないで、過去と現在が同時にあると考えている人たちがいるとしたら、その人たちは死を生の終わりであるとは考えないだろう、生には終わりはあるかもしれないがそれを死とは呼ばない、というような。
●世界があれば生きていた命は死んでも生きつづける。/世界があるからこそ命は無になることはない。
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保坂和志「ハレルヤ」読んだ。超絶よかった http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/398208/ 犬猫だらけの実家で10匹以上の死を見てきて思うのは、どう生きていつ死ぬかは生まれたときにはもう決まってるんだ、ということ。保坂和志は主体はねじれてるし修辞は不明確だし、でもその文章だからこそ言い得ることがある(おわり
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愛猫との出会いから別れ。
その時々、心が動いた瞬間を作品にしたという。
まさに家族として、全力で愛し慈しみ、別れた猫たち。
最初読みにくかった文章も、慣れれば心地いい。
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四編の小説からなる。作者があとがきで「感動したことを書く、あるいは心が激しく動いたことを書いた小説」と書いているが、短編小説集というよりは3つの作品は、猫好きが書いたエッセイとしてぼくは読んだ。
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人間以外の動物と一緒に暮らす人は、その経験がない人よりも、大切な誰かが死ぬ過程を自分のこととして体験する機会が多いんだろうな。
死んだことがないから死ぬことと生きることがどう繋がるのかもよく解らないけど、きっと繋がってるのかもしれないと読みながら思った。
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保坂和志「ハレルヤ」読んだ。超絶よかった http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/398208/ 犬猫だらけの実家で10匹以上の死を見てきて思うのは、どう生きていつ死ぬかは生まれたときにはもう決まってるんだ、ということ。保坂和志は主体はねじれてるし修辞は不明確だし、でもその文章だからこそ言い得ることがある(おわり
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猫の花ちゃん。拾ってきた出会いからその死まで。
目が見えなくなっても最期の瞬間まで、生きることを精一杯楽しむ。
「生きることが喜び」「生きることが善」
傍らを駆け抜けていく小さな命が教えてくれる。
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小説風なエッセー4編.最後の「生きる歓び」が時系列では最初.飼い猫との出会いに始まって訪れる別れ,それらが,生活感の中で人生やもっと単純に生きることへの考察につながっていく.作者の思考の流れの形がすっと腑に落ちる.清々しい気持ちになりました.
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「生きる歓び」を久しぶりに読んだ。やはりとても良い。
作者が花ちゃんとの出会っていなければ、「生きる歓び」も「ハレルヤ」も書かれなかった、というのは考えてみればすごいことだ。
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小説、のくくりになっていますがエッセイに近いかなと読後感から感じます。
最初は読みにくくとっつきにくく「何故こんなにセンテンスセンテンス読点だらけなのか?」気になって仕方がありませんでした。
でも短編の「こことよそ」までたどりついたら「そうか、感性のままに文章をしたためたらこうなるんだな」とようやくちょっとわかったような気になりました。確かに「思考するとき」ってまるで読点を打つように、それほど脈絡のないものもどんどん連ねて流れるように考え続けます。
その感覚がつかめると文章が入ってくるようになりました。そしてこのような書き方は、きっと意図的にするのは実は大変難しいと思います。描写力がない人が真似すると多分とっちらかってしまいますから。
そして「こことよそ」すごくいい文章、と思いました。
個人的には、suchmos(バンド名。文中に出てきます)が大好きなのでもう、それが出てくるだけでも大満足なのですが文章も内容もじわじわと染み入るような何とも言えない静かな感慨を呼び起こしてくれます。
この短編川端康成文学賞受賞されたのですね。
成程なあと改めて感じました。今のでなく昔のコッチコチのするめのような文章(褒めてます)
最後の「生きる歓び」もまたとてもいい。こちらは昔に書かれたものなのですね。自分はこれを頭に持って来てからの「ハレルヤ」という時系列の流れの方がいいんではと思いましが、あえて逆にしてあることに作者の意図があるのでしょう。
でもこの本で一番良かったのはあとがきだな(笑)
ここの文章が一番ぐっときた。
猫好きがまず手に取ると思いますが、人間が猫にかける愛の深さ、猫の生きている姿が教えてくれることの深さをつくづくと感じさせられます。
もう装丁も、この写真しかなかったのだな、ということが読後とても染みます。花ちゃんありがとうです。
いい作家さんに出会ったなぁ。
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保坂和志さんの本は、初めて。
ネコメンタリーを観て、保坂さんを知りました。
初めて読むのには、適していなかったのかもしれない。
やはり独特の文体、スタイルに気を取られてしまい、なかなか内容が入ってこない。
また最初から順番に読んだけれど、「ハレルヤ」よりも先に「生きる歓び」を読んだほうが、花ちゃんとの出逢いが書かれているので、わかりやすい。
保坂さんの猫たちへの愛情の深さは、よくわかった。
他の作品も読んでみたい。
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久しぶりに保坂和志を読んだ。
懐かしい文体に懐かしい猫。あのときの花ちゃんの話だった。いつもの時間が流れていた。
あとがき、ありがとうございました。
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こういう保坂をぼくは忘れる事が出来ない。たかが猫でも、やっぱりネコでも、ネコフェチの話でもない。これが、これこそが小説なんじゃないか、そういう作品だと思う。
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ネコメンタリーを観て、この本を手に取った。
保坂さんの猫たちへの愛情がひしひしと伝わってくる本。
ネコメンタリーを観た後だから余計に、この方は猫なしには生きられないのでは?まだお元気だろうか?と一瞬不安になるくらい。猫たちを通して見る世界から、生きるという事についての尊さをあらためて感じた。
思ったこと、感じたことをそのまま文章に落とし込んでいるような文体で、慣れるのに少々かかった。
あとがきがものすごく良くて、腑に落ちた。
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「この感じ!」
と思ったとき、それをすぐに自分以外の人と共有できる言葉にしたいという欲求が誰にでもあるが、言葉へのその無邪気な信頼や依存によって言葉が実感を裏切る。
それに小説というのは小学校からみんな読書感想文を書かされた経験があったりしたために、読んでいる時間に没頭しないで、「これをどういう風に感想文にすればいいか?」ということを考えながら読むようになってしまっている。