投稿元:
レビューを見る
シェムリアップ(この本の中ではシアムリアップとなっているけれども、シェムリアップと書く方が、今では一般的なようなので、そのように書く)は、一ノ瀬泰造が写真を撮ることを狙っていたアンコールワットに一番近い街だ。カンボジアの内戦時代に、アンコールワット近辺はクメール・ルージュ側に占拠されたが、周囲の街までを制圧したわけではなく、シェムリアップ近辺は、クメール・ルージュと政府軍の戦いの前線でもあったようだ。
アンコールワットには一度だけ行ったことがある。
僕の住んでいるバンコクからは、アンコールワットへ行くツアーが沢山組まれていて、僕もそのうちの1つ、1泊2日のツアーに申し込んで出かけた。時期はずれに申し込んだためだったと思うが、現地に着いてみたら、そのツアーに申し込んでいたのは僕1人であることが分かった。参加者が1人であっても、あたり前だけれども、ツアーを中止するわけにはいかないだろうから、空港にはガイドが1人と運転手が1人待っていた。要するに、2日間、専用のガイドと専用の運転手がつく豪華なツアーになったのだ。
バンコクからシェムリアップ空港までは、1時間弱。シェムリアップはアンコールワット観光の拠点になっている街であり、新しいホテルやきれいなレストランが多い、かなりにぎやかな街だった。
一ノ瀬泰造がシェムリアップに滞在していたのは、1970年代初めのことなので、今からだと50年も前のことになる。
内戦前はやはりアンコールワット観光でにぎわった街であったようであるが、内戦が起こってからは、更にその内戦が激しさを増してからは、戦場に近い場所になってしまっていたようであることが、この本を読めば分かる。
一ノ瀬泰造は戦場カメラマンだ。クメール・ルージュの占領していたアンコール・ワットの写真を撮影しようと、シェムリアップの街に住み込み、実際何度となく、それを試みる。
何度も危険な目に会いながら、その都度生き延びるが、最後にはアンコール・ワット方面に出かけたまま消息を絶ってしまう。26歳であった。
無謀で野心に溢れた若いカメラマンの日記と、両親や友人にあてた、あるいは、両親や友人からの手紙、そして一ノ瀬泰造が撮影した写真で構成されている本だ。
日記に溢れ出る無謀さと純粋さには、胸を打たれるものがある。
投稿元:
レビューを見る
だいぶ昔に読んだ本。
これがアンコール・ワットへの旅のきっかけ、原点。
今回旅立つ際に再読したので、登録。
投稿元:
レビューを見る
カンボジア旅行前に関連書籍を読みたくて購入。
著者が家族や友人にあてた手紙やその返事、日記を時系列に追っていく形式。途中で著者が撮影した写真も多く紹介されている。
当時のカンボジアの人々の生活はもちろん、先頭の描写がリアルで生々しい。
読み終わってから知ったが、映画化もされており当時の若者には大変人気があったそう。
確かに明確に目的をもってそれに人生をかけた彼の生き方は、同世代の人間だけでなく引き付けるものだと思う。
投稿元:
レビューを見る
エッセイというのか分からないけれど。
ひょうひょうとしているのに、楽しそうなのに、どこか読んでいて悲しい。
親御さんの気持ちが分かるからだろうか。当人の押さえきれない夢を感じるからだろうか。
その後のカンボジアを思うと、何を目指して戦っていたのか、とまた悲しくなる。
ポル・ポトを考えると、先生は…やっぱり。
皆どこへ行っちゃったんだろう。
今の世界を見せたい気がした。そうしたら、きっと伸びやかに世界の中へ駆けだしていくのだろう。その無邪気さを見たい気がした。
投稿元:
レビューを見る
1970年代、内戦状態の続くカンボジアに向かったフリーの報道カメラマン・一ノ瀬泰造。クメールルージュと一緒にアンコールワットをカメラに収めたいと単独潜行。「上手く取れたら東京にもって帰ります。地雷を踏んだらサヨウナラ」。結局そのまま帰ることはなく、1982年に死亡が確認されたとのこと。肉薄する死と生との境界、なぜ彼は自らの危険を顧みずシャッターを切り続けたのでしょう。克明に記された記録から彼の足跡を、考えを体感。平和すぎる時代だからこそ読んでおきたい作品でした。
投稿元:
レビューを見る
戦地でも、その土地全部が戦争しててどこもかしこも危ないわけではない。戦争中であっても、そこに住んで生活する人たちがいる。子供は遊ぶし、料理屋も営業する。当たり前なんだろうけど、そのことに気づかされた。いつ、死んでもおかしくない生と死が隣り合わせの中で、写真を撮る。いつ地雷を踏むやも知れない。さっきまで一緒に遊んでいた子供がロケット弾でこの世から去る。さっきまで従軍中行動を共にした兵士の額に穴があく。続々と運ばれてくる負傷兵と死体。いい感じで平和ボケしてピアノ線が緩みまくってるぼくには想像できない環境だ。
フリーの報道カメラマンとして2年間、バングラデシュ、ベトナム、カンボジアの激動地帯を駆け抜け、26歳で倒れた青年。戦場が1番の教科書と勇む青年。それを裏付けるように急激に写真の腕を上げ、駆け上がっていく軌跡が、まっすぐでものすごくかっこいい。ぼくと4歳しか違わない。ぼくはその状況におかれて同じようにユーモアを忘れずいられるだろうか。銃弾飛び交う中へ飛び込む勇気があるだろうか。負傷しても再び向かう勇気があるだろうか。マラリアになっても友人の結婚式へ行けるだろうか。日頃は闘志に溺れて前へ、前への意識に熱中しているが、たまにそれが剥離して、ものすごい孤独にかられるの同じような気がするのだが。
"求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん。"
求めてます。だけど、まだ得ることができません。叩いてます。だけど、まだ開きません。
すごく印象に残っている。目の前の事に集中して、後悔のないように全力を投じようと思った。
投稿元:
レビューを見る
泰造さんは最後の瞬間に何を思ったのだろう。合掌。同名の映画も見てみたい!それにしても、彼のご両親の文章は素晴らしい。彼の親友である、ロックルーもポルポトに処刑されたらしい。何とも痛ましい限り...
投稿元:
レビューを見る
世界遺産のアンコールワットを観光したことより、読んでみたww旅行前に読んどくべきだったな☆超肉食系男子?の戦場カメラマンである本人・家族の手紙の原文で構成wwいつ死んでも、自分のやりたいことをやれているので幸せ・・・。自由を愛し属することを拒み、ただただ写真を撮ることを貫くww自分にはできないが、非常に魅力的であるww生きていないことが本当に悔やまれる☆だた、親である自分の立場からすると自分の子がこのように生きたいと望むと100%応援できるか、正直、自信はない・・。
投稿元:
レビューを見る
少し前に読んだ本ですが、印象的。飾らない文章で、筆者がカンボジアで過ごした日々を書いていました。
それに加えて、開高健が寄せた序文がお気に入りです。あまり詳しく言えませんが、一之瀬泰三の記憶にふれた辺り、それとカメラマンとはどういう性格の職業か、そういうくだりが、すばらしく格好いいと思ったものです。
投稿元:
レビューを見る
二度目。
カンボジアで死んだ戦場カメラマンの手記。憧れるが、実際は大変だ。
文章が中盤以降上手くなっている!
投稿元:
レビューを見る
日記と書簡中心で、いろんな人に同じエピソードを書いておりダブりがあるものの、文章が軽妙かつ臨場感があるのであまり気にならず。母親からの書簡は泣かせますね。結局、ロンノル政権軍とクメールルージュの最前線であるシェムレアプから、クメールルージュ支配下のアンコールワットに入ろうとして、処刑されてしまったら...しいのだけれど、もちろんそれは後日談。書簡はあっさり途絶えています。常に覚悟はしているんでしょうが。。アンコールワットに行く前に読んでおけばよかった。
投稿元:
レビューを見る
浅野忠信主演で映画化された本書。
しかし、映画版とは違い実際に知り合いや家族に宛てた手紙、
現地からのルポタージュなどで構成されているので、
戦場で働くとはどういうことなのかが分かって、こちらの方が面白い。
泰造さん、
今も生きてたら66歳だったことにちょっと驚いた。
それほどこの本に書かれている文章は若々しく、
無鉄砲で女好きな若者の心情が生き生きと写し出されている。
それは今をがむしゃらに生きる若い人たちと変わらないように見えるし、
大量虐殺が起きる前のカンボジアが好きだった
26歳の在りのままの姿がここにある。
しかしこの男、
一人でポルポト派のいるアンコール・ワットに乗り込むとは無謀過ぎる。
何故そこまでこの遺跡を撮ることに拘ったのか・・・
報酬が目当てだったとか、キャパ賞を狙っていたとか色々考えられるが、
たった一枚の写真で世界が大きく変わってしまう
戦場カメラマンとしての宿命をリアルに感じていたんだと思う。
地雷だらけのキルゾーンで働くのは無理だが、
でも一つのことにとことん打ち込み、
生涯をかけれる仕事に出会えるってちょっと羨ましいと思った。
[1985年、日本、324P]
投稿元:
レビューを見る
古本で購入。
フリーカメラマン一ノ瀬泰造の日記と両親や友人に宛てた書簡などで構成された本。
激動のインドシナの戦場と日常が、「全身がシャッター」の男の目を通して見えてくる。
戦場の描写は時に滑稽で時に凄惨だけど、「戦争に対する怒り・憎しみ」のようなものはそれほど前面に出ていない。
理不尽な暴力や差別に見舞われる人々への同情・優しさを感じる箇所が多いだけに、少し不思議な感じ。
NHKの番組に出演した際、あまりに戦争を楽しそうに話すから放送されなかったこともあるとか。
戦場を駆け回って命がけで写真を撮る戦場カメラマンっていうのは、やっぱり常人では測り難い精神構造をしているのかな。
「アンコールワットを撮りたい。できればクメール・ルージュも一緒に」
その願いを抱いてアンコールワット単独潜行を試み、消息を絶った一ノ瀬泰造。
その9年後に遺体が発見され、クメール・ルージュによって処刑されたことが判明したという。
カンボジアを愛した男は最期に何を見たのだろう?
彼が若くして死んだことがわかっているだけに、途中に挿入される両親の手紙や日記が非常につらい。
戦場カメラマンのルポルタージュであると同時に、ひとつの家族の物語にもなっている。
ベトナム戦争ルポルタージュの傑作、開高健『ベトナム戦記』と併せて読んでほしい本。
投稿元:
レビューを見る
私がまだ生まれる前、カンボジアは戦地だった。
そこに日本人の従軍写真家がいて、当時の現地の写真を撮っていた。
なかなか壮絶な写真である。そして26歳で死亡してしまったそうだ。合掌。
投稿元:
レビューを見る
戦場での撮影の状況が伝わってくる。
印象に残った言葉が、「人の戦争」と「機械の戦争」カンボジアとベトナムでの戦争のあり方を表しているが、今の主たる戦争は本当に「機械の戦争」になっている。
人が人を殺す戦争が、圧倒的兵力で的を殺す戦争に変わっていく。そこに迷いも後悔もない。あるのかもしれないが、それを写すことは難しくなったことは確かだ。
残っている手記のまとめなので仕方ないが、繰り返しや重複が多いのが気になった。友人にあてた手紙に女を買った話を、母親へはその部分はカットして描くなど書き分けは整然の様子を伝えるようで興味深い。