紙の本
死は避けられない
2017/05/24 13:03
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
余命半年と宣告されて、滞在中の米国で手術を受けて以来、約10年間の癌との闘病生活を経験した宗教学の碩学が死について記した論考10編である。
冒頭の「我が生死観」がまとめの文章として位置づけられよう。死の3ヶ月ほど前に書かれた文章であり、10編の文書を最後まで一通り読んだ後、これを再読すると著者の思いがよく伝わってくる。
自分自身も齢を重ねるともに、東日本大震災の被災地石巻での体験や妻の父が他界したことなどを経験し、最近、人の死について身近に考える機会が多くなった。本書は貴重な示唆に富む文章群である。
1973年発行の文庫本は2016年で42刷を数え、毎年増刷されているようだ。長い時間の中で多くの人に読みつがれている良書だろう。
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がんの闘病には「壮絶」という言葉がよく使われるが、その言葉がまったくふさわしい。著者の十年にわたる闘病は1954年に始まる。がんについての知見や治療法はこの60年余りの間にめざましい進歩を遂げたが、著者の発病当時はがんは死の宣告に等しかっただろう。そのため、死を見つめる目には、差し迫ったものがある。黒色腫が再発するたび手術を受けること十数回、そのなかで、宗教学の研究、諸外国での講演を行い、東京大学図書館長として老朽化した図書館の近代化までなしとげた。
宗教学者であった著者は「死後の生命の存続という信念をもっていない」。生命飢餓状態におかれた人間が「ワナワナしそうな膝がしらを抑えて」、死の脅威に抵抗するために役立つような考え方を求めて、「死というものは実体ではなくて、実体である生命がない場所であるというだけのことである」「生と死とは、ちょうど光と闇との関係にある」という理解に到達する。こうして、与えられた人生をどうより良く生きるかということが何よりも大切だと考えるようになる。「序にかえて」を書いた学生時代からの友人、増谷文雄氏は「人が変わったような立派な生き方であった。それ以前だって、すぐれた学者として、立派に生きてきたのであるが、いまや、その生き方には、あきらかに質的な変化があった」と書いている。
発病してから七年たったとき、「別れのとき」という考え方に目ざめる。こうなってはじめて、死から目をそらさず、面と向かって眺められるようになった。ただ激しく生きることがいいのではなく、静かに人生を味わってくらしてゆく方が、ほんとうの人生ではないかと考えるようになった。
そのうち、がんも生活習慣病の一つにすぎないと考えられる時代がくるかもしれないといわれているが、そうなったとしても、誰でもいつかは死に直面する。本書の価値は、今日も将来も変わることはないと思う。
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此の書は日本における宗教学の権威である岸本英夫がガンとの闘病において自らを材料として死生観を考察する書である。
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死は唐突に訪れ、容赦なく猛威を振るい、あっさりと去っていく。
現代人は、生活水準の向上、分業の浸透、能率中心の機械文明のため、特に死を忘れて生きている。しかし、死の存在、裏返せば、生の存在は忘れらているだけで、常に傍にある。
死とは何かを問うことは、人間とは何かを問うことに等しい。(その思考活動を代行するのが宗教活動である。)
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50年ほど前に書かれたもので、がん治療の話などは今ではあまり参考にならない。ただ日本人(とりわけ男性)が死生観を考える上では「必読」というくらいの書。
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1964年に10年に亘る癌との闘いの末60歳で亡くなった宗教学者・岸本英夫が、自らの闘病と生死観について雑誌・テレビ・ラジオ等で発表したものをまとめ、死後に出版されたもの。
本書には、第一部「死に出逢う心がまえ」に、癌の再発に絶えず脅かされながら、やがて、癌や死を乗り越えてゆく境地に達した著者の人生観に関する3篇、第二部「癌とのたたかい」に、10年間の生々しい体験、精神的な苦闘とそれを克服していった経緯を語った3篇、第三部「現代人の生死観」に、宗教学者としての死に対する人間の考え方の分析に関する4編が収められている。
著者は宗教学者であるにもかかわらず、死後の生命の存続について、「私自身は、はっきいえば、そうしたことは信ずることはできない。・・・それが、たとい、身の毛がよだつほど恐ろしいことであるとしても、私の心の中の知性は、そう考える。私には、死とともに、すなわち、肉体の崩壊とともに、「この自分の意識」も消滅するものとしか思われない」という考えで、それ故に、「さしあたりの解決法のない生命飢餓状態にさいなまれながら、どこまでも、素手のままで死の前にたっていたのである」という。
そして、死の恐怖との長い格闘の末、「死というものは、実体ではない・・・死を実体と考えるのは人間の錯覚である。死というものは、そのものが実体ではなくて、実体である生命がない場所であるというだけのことである」ということに気付き、その後は、「人間にとって何よりも大切なことは、この与えられた人生を、どうよく生きるかということにあると考えるようになった。いかに病に冒されて、その生命の終りが近づいても、人間にとっては、その生命の一日々々の重要性はかわるものではない。つらくても、苦しくても、与えられた生命を最後までよく生きてゆくほか、人間にとって生きるべき生き方はない」という、“生命の絶対的な肯定論者”に転回することができたのだと語る。
その上で、現代社会において宗教に求められるのは、死後の生命の存続を示す天国や浄土に対する信仰ではなく、「人間は、なんのために生きているか」と「人間は、どう生きてゆけばよいか」という、人間についての究極の二つの課題に何らかの指針を示すことであろうと加える。
50年前の著書であるが、語られる生死観は普遍性をもつものであり、心に残る一冊である。
(2008年5月了)
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東大の先生が書いた本なので、一部難解な部分もあったが読了
巻末の御家族の手記が泣けた
示唆に富み考えさせられる内容だった