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さすがB・A・パリス。
デビュー作『完璧な家』で読者の手に汗を握らせ、心臓に圧をかけてきた作者である。
この『正しい恋人』でも、私はしばしば悲鳴をあげ、震え上がりながら読み進んだ。
最後のページを読み終えた時には、ほっとしたものである。
では、あの『完璧な家』と比べてどうだったか。
好みの話ではあるが、私は『完璧な家』のほうが好きである。
なぜならあちらには破壊力があった。
まあそれも無理のないことで、『完璧な家』は、今ある場所からの脱出がテーマである。
自然、話は今ある場所の破壊となっていく。
いっぽうこの『正しい恋人』は、今ある場所がじわじわ崩されていく話だ。
破壊力は持たない。
破滅力とでも名付けようか、それは充分にある。
くわえて『完璧な家』の主人公は女性だった。
作者も女性で書きやすかっただろうし、私も読んでいて感情移入しやすく、まるきり主人公に肩入れしていた。
『正しい恋人』の主人公は男性である。おおむね、彼の「ぼくはこうした」「ぼくはああした」と語る形で進んでいく。
やはり、私は同性ほどのめり込むことはできない。
さらにこの主人公、成人男性として頼りなさを感じるのだ。
女々しいというより、子供っぽい。
読んでいる最中はもちろん震え上がっていたのだが、読後に振り返ってみるとそこに難を感じざるをえない。
男性作家の描く女性、女性作家の描く男性に、不自然さを感じることはままある。
残念ながらこれもその例かもしれない。
と思ういっぽう、意外に現実的かもしれないとも思う。
ある人曰く、投資銀行家というのは、ひどく子供っぽい人が多いのだそうな。
金を増やすことに優れて長けていても、他が成長していなくて、いい年をしながら実に子供じみた人がいてびっくりするのだとか。
ほほう。
作者は金融関係で働いていたことがある。
ある人のその言が正しければ、作者は以前周りで見た人たちを有り体に描いたのかもしれない。
そしてこれはまったくの想像になるが。
読みながら私は、主人公の行動に一点疑問を覚えることがあった。
「なぜそれを言わないのか」
大きな疑問なのだが、これはひょっとすると、彼がアイルランド出身というのが理由になれるのかもしれない。
大阪人=よくしゃべる というように、
アイルランド人=○○ というものがあるだろう。
そこに「口べた、だんまり」とあるならば、それを知る人にはすんなり納得いくことかもしれない。
ふたつの作品に共通しているのは、恐ろしくて、ハラハラして、とにかく先が気になって気になってしょうがない面白さがあることだ。
そして、いい友達という存在がある。
読後振り返ってみれば、あの人、いい人だったなあと思える友人たちが、どちらの作品にも登場する。
これが、しみじみとよい。
B・A・パリスは優れた書き手であることに間違いはなく、大好きな作家であることも間違いない。
私は次作ももちろん読む。
そして震え上がるのだろう。