紙の本
もどかしい
2019/09/29 14:52
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アメリカの歴史学教授がいわゆる成果主義のもとになる物事の測定基準について考察し、大学や学校、医療、警察、軍、ビジネスと金融などの分野について、広範囲に記述されている。アメリカやイギリスが対象地域となっているが、両国の事情を知ることができ、おもしろい。
成果主義の功罪については日本でも批判的な本も出版されてきているが、多くの分野に亘って論述されているのはあまりないのではないか。
はじめにのところで、著者は述べている。
本書では全く新しいことは非常に少ない。
本書な内容の大部分は多くの執筆者から引用したものを組み合わせている。 測定基準への執着による組織的機能不全についてはすでに指摘されている。 これらをとりまとめ、組織の指導者や労働者に利用し易いものはなかった。 そして、結論の最後に、
組織や測定対象を実際に知るために重要なのは、経験と定量化できない技術である。重要な事柄の多くは標準化された測定基準だけでは解決できず、判断力と解釈力が必要である。判断のもとになる情報源として 1つ1つの測定基準について、その重みづけや特徴的ゆがみなどよく認識しておくことが重要である。しかし、各界のリーダーたちはそのことを見失っている。
と記し、まとめている。
都合の良いデータを使って自分たちに都合のよいように解釈し、意思決定していくリーダーも多くいるが、そのような人達は確信犯なので著者の指摘には耳を貸さないだろう。
国民や労働者から見れば、リーダーの判断力や解釈力に疑問を持ったときには、客観的なデータということで測定基準等による補完的説明、証拠を求めたくなるだろう。
なかなか難しい問題である。
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行き過ぎた測定、透明性に対する圧倒的なアンチテーゼ。色々書いているが結論の部を読めば、過度な透明性の弊害と、どういうときに測定すべきかの基準がわかる。
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徹底して可視化や透明性など、昨今の大学に求められる測定主義の落とし穴について批判的に論じている。本書を書くきっかけも、著者が大学の執行部にいる時にアクレディテーションに疑義を感じたことであるとのこと。色々考えさせられた。
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良かった。簡潔に様々な事例が散りばめられていて、読みやすくわかりやすい。そして嬉しくないことだが、非常に共感することが多い。測ることの信頼性、妥当性、測ったものの使われ方について、もっと我々は体系立てて理解し、常識として共有しないといけない。官僚主義が進むことによる疎外の問題、と考えれば社会学者や社会心理学者は無視できない問題がたくさん含まれている…
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測定には良いところもあるが、負の側面もある。この負の側面を無視して数値指標を作り続けるような状態を「測定執着」と読んでいる。
様々な分野において、測定が成功した例と「測定執着」と思われる上手くいっていない実例を示した本。
数値化して管理する事により、数値化されなかったものが放っておかれる、数値をあげるために本末転倒な行動が起きてしまう、かけたコストに対して効果がない、などの例が満載。
結論のパートでは、測定すべきか否か、測定した項目をどう使うべきか自問するためのチェックリストを提案している。
数値目標の設定と達成を、仕事の「目的」ではなく「手段」として行いたい方々にお勧め。
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測りすぎの背景にある大きな要因は以下の2つのように思います。
・透明性/客観性の問題
・統制性(コントロールの欲望)の問題
透明性/客観性の問題は本書でも論じられていますが(pp.162-167),コントロールの欲望については十分に論じられていません。
そして,実はこの「コントロールの欲望」こそが,問題の本質だと思います。
なぜなら,透明性/客観性の問題も「コントロールの欲望」に由来するからです。
どうやって統制性の問題(コントロールの欲望)と対峙するのか?
これを考えなければいけないなと思いました。
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世界中の経営者、管理者の必読本にすべき名著。「測れるものは改竄できる」といった原理原則が、昨今の不祥事につながっていることをもっと危惧すべきだ。
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時間なくざっとしか読めてないけど、ほんと同意。なんでもかんでも測りすぎ、測ることが目的になってる。しっかり読みたい…
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レビューはブログにて
https://ameblo.jp/w92-3/entry-12517610934.html
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データをもとに国の政策や企業経営、従業員の報酬体系がが決められていくというのは、当然のことだし、科学的で良いことと思われている。しかし筆者は、測定に執着しすぎることには多くの悪い側面があるという。本書では、「測りすぎた結果かえって悪くなった」例がいくつか紹介されているが、ここではアメリカの学校の事例を取りあげたい。
2001年にアメリカで、通称「落ちこぼれ防止法」が施行された。これは、成績に関して民族間の根強い格差が存在していたため、その解消を狙って作られた法律だ。
この法律ものとで、毎年3年生〜8年生に算数、読解、科学のテストが受けさせられた。テストの結果、特定の生徒のグループの進歩が見られない場合、学校には罰則が与えられる。これにより成績の悪い学校や教師は頑張るはずだから、成績は改善されるはず。
しかし、10年以上経ったいま、成績の改善効果は証明されなかった。
何が起こったのか?まず、教師は、テストの対象の科目しか教えなくなった。つまり、歴史や音楽、体育といった科目がおざなりにされたのだ。また、テスト対象の教科でも、幅広い認知力の育成よりも、テスト対策が重要視された。そして、学力の低い生徒を「障害者」として対象から除外して平均点を上げようとしたり、さらには、教師が生徒の回答に手を加えたり、点数の悪そうな生徒の答案用紙を捨ててしまうといったあからさまな不正も行われた。
測定は役に立つ。テストをすれば、教師は生徒のつまづきポイントが分かるので次の指導にフィードバックできる。でも役に立つのは、測定が「重要性を持たない」ときだ。測定結果が重要になると測定自体が捻じ曲げられてしまう。
アメリカ人社会心理学者の名前をとったキャンベルの法則というものがある。「定量的な社会指標が社会的意思決定に使われれば使われるほど、汚職の圧力にさらされやすくなり、本来監視するはずの社会プロセスをねじまげ、腐敗させやすくなる」
この本ではほかにも医療現場や軍、ビジネスにおける測りすぎの事例が紹介されている。測定基準を使用する場合に気をつけるべき点をまとめたチェックリストも載っており、読者が職場などで測定を利用するときにも参考になるはずだ。
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測定することは数字の改竄などの様々な弊害を産み、必ずしも有効ではないという話。それはごもっともで納得感ある話なのですが、あれもそうこれもそうという列挙が長く、またそれ事態有意義な話でもないので冗長な印象を受けました。あるあるネタでなくもう少し構造的な話が読みたかったですね。
序章と結論だけはみんなに読んで欲しいですが、序章と結論だけ読めばいい気がします。
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「測りすぎ」というタイトルの翻訳が秀逸すぎる。
言わんとする事がある意味読まずともよく分かる(汗)
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仕事などで様々なものを測定する測定執着に警鐘を鳴らす図書。簡単な測定で人事評価やペナルティを設けると必ず不正が起こり、測定された人の仕事のパフォーマンスは落ちる。何を測定したいのか、測定には現場の人間も関わっているのか、測定できないものを評価できているかどうか、常に測定を検証することが大事と知った。仕事で報告、会議が増え、上層部は部下を信用せず、行政的に突然、異動してきたトップが測定値のみ信用し、様々な人間のパフォーマンスが落ちていく…という負の連鎖もありうるので常に測定は注意したい。
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証拠ベースの政策決定。アカウンタビリティ(説明責任)。PDCAサイクル。それらのためにはまずは測定することが第一歩。ということで何でもかんでもまずは数値化という昨今。本書は、測る仕事ばかりが無意味に増えて頭にきた大学教授が専門外の文献を読んでまとめた論文の形になっている。測ること自体が問題だと批判しているわけではない。測ることが万能だと思うのが間違いである。数値化して可視化すれば何でも上手く行くわけではないのだ。測ろうとしている対象、例えば、学校の教師の能力だとか、会社組織のパフォーマンスなどのうち、実際に数値化できることはそのほんの一部分限られているし、測るのは数値化しやすい部分に限られるということ。測りやすいものだけ測って全てのように評価すると、測れない重要な事項が無視されることになる。欠点を認識せずに導入することは問題だし、測定に執着するのが間違いの元凶。測りすぎることのコスパも考えるべきだ。それらのことがもうずいぶん前から研究者によって明らかにされていることを、本書は教えてくれる。
本書は言うなれば、”測りすぎ”の失敗学とも言えるだろう。こうすれば失敗するという分かり易い実例がたくさん紹介されているので、「さぁ測ろう!」という組織のトップには、本書を読んで過去の失敗例を学んでから測りはじめて欲しい。しかし、本書で紹介される失敗例をなぞるような「改革」が自分の所属する組織で進行していくのを知ると残念な限りかもしれない。
本当に有意義で機能する「測定」システムは現場を担当する内部から改善運動のための起こる測定であって、測定される対象の人々が測定の価値を信じている場合のみだということを忘れてはいけない。最も失敗するのは、上からの「測定」を「報酬」と連動させる場合のようだ。特に、公的な仕事。公務員、警察、教師、医師、大学教授など、人々への貢献による精神的な内的報酬を重要視する分野では、数値化しやすい項目による実績評価を使った成果と給与とを結びつけることは、逆効果になることと結論付けられているらしい。うーん。
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成果主義の名の下に成果の測定を求められることが、営利企業はもとより役所や学校・病院など非営利組織でも一般的になっている。しかし、測定するという行為は組織が本来やるべき業務を妨げ、意図せざる副作用をもたらしてしまうことがある。例えば、医師の成績を手術の成功率で測ると、難病の患者は手術してもらえなくなり、警察の成績を凶悪犯罪の発生件数で測ると、強盗事件が単なる盗難事件とカウントされてしまう。
測定結果を絶対視して組織や個々人に対して鞭のように使おうとする事が生み出す様々な歪みや悪影響を筆者はしつこいくらいに列挙しているのだが、測定すること自体は決して悪い事ではないし、測定の効用も筆者は認めている。
では測定結果をどう活用すればいいのか、それを筆者は最終章で提言しているのだが、なるほどと思える穏当かつ妥当なものである。
外部からパラシュートのように降りてきた経営者やコンサルに対して何とも言い難い胡散臭さを感じている人が本書を読めば、首がちぎれそうになるくらい頷きたくなるだろう。