紙の本
横組みだったら星五つ
2004/12/15 20:54
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
最先端の数学理論を一般向けに巧みに語ることで定評ある著者の最新作。将棋の強くない将棋ファンが立派に将棋を楽しんでいるように、数学の得意でない数学ファンがいてもよいはずだという著者の信念にしたがって現代数学の初歩が解説されている。
とりあえず読んでみるなら第2章がお勧めだ。
話のとっかかりは具体的に著者の高校時代の失恋談から入り、そこからジョルダンの曲線定理の紹介を通じてあれよという間に距離空間の世界へと飛躍していき、最後にはトップレベルの数理テクニックとしてのP進解析にまで話を展開させている。こんなに面白いのなら、頑張ってもう少し専門的な本を勉強してみようかという気にさせるところがさすがだ。
アローの逆理を述べた第3章、ブラック・ショールズ方程式の解説を含む第4章など、巧みな比喩と例の取り方で本質を数理世界の本質を易しい道具立てで垣間見せてくれるところが嬉しい。
こうした書物によくある「数式を使わない」という方針をとらず、使うべきところは数式で表現するという方法をとっている。ここは読者の好みが別れるところだろうが、数学の本なのだから、ある程度の数式を用いた方が話の見通しがよくなるのは当然だと思う。
ただし、縦組みにしたのはどうだったか。文字を縦に組んだために、大事な導入部である序章がひどく読みにくくなっているように感じる。思いきって横で組んだ方が、本書には適合的だったように思う。
最後に蛇足を。現代新書の装丁リニューアル、ハッキリ言って失敗ではないでしょうか。並べたとき、いたずらに色がうるさい感じがします。古いタイトルについては、装丁の分だけ古書の方が人気がでるような気さえします。
紙の本
〈私〉の中に数学がある
2005/03/26 19:56
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
If you move, you shall die. と Don't move, or you shall die. は違う。前者は日本人の英語で、後者はネイティブの表現。数理論理の「ならば」(「AばらばB」の文は、Aが偽のとき常に真)と日常論理の「ならば」(A→原因、B→結果)は異なる。この違いがもたらす違和感は、セマンティックな立場(文を真偽だけから見る立場)から論理を扱うことから生まれるのであって、だからこそシンタックス(文の真偽と無関係な推論としての手続)から論理を理解することが肝要である(第1章「日常の論理と数学の論理」)。
スピノザの方法(『エチカ』の幾何学的証明)は、シンタックスとしては全くもって正しい。しかしスピノザによる神の証明は、森嶋通夫が言ったように、アローらによる一般均衡定理の証明と形式的には全く合同である。「神の存在さえ証明できるのだから、存在することが証明された均衡解にどれだけの意味があろうか」(『思想としての近代経済学』)。網野善彦によると、お金や金融と神や汚れとは深い関係にあった。神の数学から金融の数学への展開は、数学の世俗化の歴史を描いているのである(第4章「神の数学から世俗の数学へ」)。
数学はどのようにあるか、ということが神秘的なのではない。数学がある、ということが神秘的なのである。ハイデガーは「言葉こそ存在の住居である」と言った。人間は、存在すると同時にその存在を言葉によって体現する。そして数学もまた言葉であり、学校で教わる前から私の中に実在しているインネイトなものである。《ですから、筆者にとっての数学は、「能力テスター」でも「コンビニエントなテクノロジー」でもなく、ましてや「神との対話の道具」でもありません。自分という尊い〈存在〉の証し、「私がここにこうしている証し」、そういうものだと感じるのです。》(終章「数学は〈私〉の中にある」)
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文系のためらしいが、理系でもちょっとわかりずらい〜(><) なんか、ちょっと数式が出てくるわりには中途半端… まぁなんとか日常生活の題材に持っていこうとする気持ちはわかるのだが… でも、出てくる数式も(理系なのだが)忘れてしまっておる… まぁ数学なんてこんなもんだよね…
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ちょっと物足りないですが
取り出した話は使える 仕事に
数学をりようした発送の転換方法とか推論 論証の話をしたかった リファ本としてはいいかも
n進距離や経済学者 宇沢氏の距離の話など ヒントにはなりますな とりあえず
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距離の概念を変えてみよう!神様の存在を証明してみよう!数学を使って…数学キライに、せめて数学ニガテになってもらおうという意欲的な本ですが、結局数学キライが読んでも???らしいです。多分序章から積分なのがウィークポイント。
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[第3刷]2006年6月12日
「数学嫌い」から「数学下手」へとあるが、これは「数学好き」の文系のための読み物です。
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数学はあなたの中にある!
数式は、眺め方がわかればこわくない
数学はいまや理系に固有の学問ではなく、文系でも必需の道具として利用されているのです。「文系だから数学はわからない」と決め付けてしまうのは、実にもったいないことです。文系には文系固有の数学の利用方法、理解の仕方があっていいでしょう。(中略)実は、数学は「言語」の一種です。しかし、このことを意識している文系の方はあんがい少ないのです――<本書より>
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冒頭を読んだんですよ。
でもいきなり数式出てきて出鼻挫かれました。
評論とか読むのが恐ろしく遅いので、時間のあるときにゆっくり読みたい……
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筆者の著作はこれまで何冊か読んだことがあるが、非常に良い。
この本は冒頭に書かれている通り、「数学嫌い」が「数学下手」になることを目標としており、下手の横好きで現代数学のエッセンスを自分勝手に理解・応用して、人生を充実させてほしいという記述には好感が持てた。
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数理論理のifの構文「AならばB」という分は「Aが真であってBが偽であるときに限って偽となりあとは真となるように決められている。
したがってこの論理であれば「構造改革なくして景気回復無し」で「構造改革したけど、景気回復しない」っていうのも真となってしまう。
論理を扱う立場には二つあり、一つは論理分を構成する個々の文の真偽に立ち入って考える立場で、「セマンティックス」(Semantics)、それに反して、文の内容や真偽と無関係に、形式的な推論の仕方だけに注目する立場を「シンタックス」(Syntax)といいます。セマンティックス的な教育を日本では受けてきましたが、現在不明なことを議論するには「シンタックス」での議論も必要。
序章 棒グラフで微分積分読解術
第1章 日常の論理と数学の論理
第2章 「距離」を規制緩和する話
第3章 民主主義を数学で考える
第4章 神の数学から世俗の数学へ
終章 数学は<私>の中にある
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[ 内容 ]
数学はあなたの中にある!
数式は、眺め方がわかればこわくない数学はいまや理系に固有の学問ではなく、文系でも必需の道具として利用されているのです。
「文系だから数学はわからない」と決め付けてしまうのは、実にもったいないことです。文系には文系固有の数学の利用方法、理解の仕方があっていいでしょう。
[ 目次 ]
序章 棒グラフで微分積分読解術
第1章 日常の論理と数学の論理
第2章 「距離」を規制緩和する話
第3章 民主主義を数学で考える
第4章 神の数学から世俗の数学へ
終章 数学は“私”の中にある
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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高校時代に知り合いに勧められた本。
「数学って意味がわからん。日常生活で使わんくね?」
って思ってる人は読んでみるといいかも。
「微分って何なん?Σって何?」って疑問を
簡単な例で説明してくれるので少し数学が身近に感じられるかも。
この本で「数学って意外とおもしろいかも」と思いました。
それでも学校での勉強としての数学は好きになれなかったけど笑
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とりあえず最初に一つ批判させてもらうならば、著者は数学の純粋性を訴えているにも関わらず、全編を通して伝わってくることは、自らが選択している経済学に面白みや意義を見出しながらも軽蔑しているといった屈折した心情みたいなものなのだろうか?また、自分に価値があるかどうかなど問うてはいけない、といった道徳観を押し付けてくるあたりにも反発を感じる。確かにそれはかなり危険な問いであるが、しかしだからといって危険であるといった理由で思考停止状態を強いてくるのは世俗肯定主義に思われてならない、といった批判は加えさえてもらいたかったので一つ。
とはいえ、本著はかなり数学をわかりやすく教えてくれている。本来的に数学というものは面白いし、抽象的であるが抽象的であるからこその純粋性のようなものも含んでいるし、それが世俗に応用もされうる。著者は数学に価値があるのか?といった問いにかなり神経を尖らせて反駁しているが、そのような問いを出すのは単に数学が苦手だからなのだろうとは思う。実際問題頭がいいと感じような人は数学が嫌いではない。苦手な人は多いけれどそれは苦手なのであって嫌いとは言わない。恐らくは無意識的に数学の重要性みたいなのを感じ取っているのだろう。著者がヴィトゲンシュタインを上げているように我々が認識に<言語>を用いるのだけれど、そしてその認識から思考が展開されていくわけなのだけれど、それらは<言語>である限りにおいて数学すらも含んでいる。意図していないだけで数学的な認識や思考が働いているのであって、その点において数学が持つ意義があるのだろうと思うし、著者が純粋性を訴えることにも共感できる。ただ文学を見下す姿勢は少々どうかと思う。文学的素養がないのか知らないが、文学は少なくとも本気の文学は作者の実存がこめられているはずであり、その意味で<言語>によってそれも絶えまざる苦痛に寄って搾り出された<言語>によって綴られているものなのである。それを商業的といったもので切り捨てるのはかなり横暴であり、目には目をだか知らないが曽野綾子とかいう人と同じことを言っているだけである。わかりやすく数学を解説してくれているあたりにはどうにも感銘を受けるのだけれど、この著者はどうにも自分の偏見や鬱屈なんかをこの一著に点在させているように思われる。それでも、微分積分の概念・日常論理と数理論理のズレ(因果関係)・セマンティックス(真偽的論理性)とシンタックス(形式的論理性)・デカルトスピノザパスカルの神証明、ヴィトゲンシュタインハイデッガーへの言及などはかなり愉しく読み進めさせてもらったのもまた事実。
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高い視点からの平易な解説書は理解度を一段上げてくれるので大変ありがたい。
本書もそういった本だが、数学アレルギーのレベルの人には初っ端から少しハードルが高いかも。
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読み終わった、にしたけど途中で挫折。。。
でも、立体棒グラフのイメージとか具体的な例を出してもらって、
少しは数式と実例の結びつきができたかな。(でもこの内容は序章で、そこで挫折した私・・・)
苦手意識を払しょくしたかったけど、思惑どおりにいかず。
ほんの少しでも得るものがあったという意味で記録。