投稿元:
レビューを見る
とても奇妙な話だと最初は感じたが
読んでいるうちにむらさきのスカートの女が
どんな人間なのか、語りの女と共に覗き見的な
興味がジワジワと湧いてくる。
むらさきのスカートの女より、黄色のカーデガン
の女の執着と異常性が際立って来て、最後は
むらさきのと黄色の女が鑑合わせの様に入れ替わる。
投稿元:
レビューを見る
今村夏子は「あひる」から注目していた作家さん。
どこにでもあるような日常から、視覚的な違和感と
心理的な不安感を掻き立てる描写が秀逸(と思っている)
いつかは芥川賞間違いないと思っていたけど、
意外と早かったのかな。。。
投稿元:
レビューを見る
文句無しの芥川賞。
星の子の方が個人的には好きだが。
設定的にコンビニ人間を思い出しながら読んだ。
投稿元:
レビューを見る
主人公が最後の方まで誰だかわからない。紫のスカートの女もそうとうだが、主人公もかなりのものだった。バスで、肩の米粒をとってあげようと手を伸ばすだけでも、おかしくて笑いがこみ上げて来たのだが、その後の展開がとんでもなくて、電車で読んでいて思わず顔を隠して声を殺して爆笑した。
主人公の主観がどこまで信用していいのか、読んでいて揺らぎ続けて最後までよく分からない。大抵はすんなり信用して安心して読むものだが、ミステリーやサスペンスでないはずなのに、そんな要素が強い。
投稿元:
レビューを見る
+++
近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し……。
『こちらあみ子』『あひる』『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』と、唯一無二の視点で描かれる世界観によって、作品を発表するごとに熱狂的な読者が増え続けている著者の最新作。
+++
不思議な物語である。とはいえ、作中で起こっていることにはさほど不思議なことはなく、(癖はあるが)普通の女たちの日常が描かれているに過ぎない。それでも、始まりから不穏さが漂う。「むらさきのスカートの女」は、働いたり働かなかったりで、昼間公園の決まったベンチでクリームパンを食べていたり、人にぶつからずに道を歩くことができたり、何となく変わり者として町の名物のようであり、自称「黄色いカーディガンの女」であるわたしは、彼女と友だちになりたいがためにあれこれ策を弄するのである。むらさきの女=変人、と思い込んで読み進めるのだが、ふと立ち止まると、ほんとうに変わっているのは別の人のように思われてくる。その視点の切り替わり方が不思議さにつながるのかもしれない。自分の目が信じられなくなるような……。むらさきのスカートの女を描いていると見せかけて、実は別の人のことをクローズアップしたかったのではないかと、ページが残り少なくなってやっと気づかされる。一筋縄ではいかない物語であり、ラストのその後が気になって仕方がない一冊でもある。
投稿元:
レビューを見る
近所のコミュニティで浮いている「むらさきのスカートの女」と彼女を観察し友達になりたいと思う「黄色いカーディガンの女」,まるでストーカーのような語り手が努力した結果むらさきの女がだんだん普通のラインに近づきつまらない女になっていくことに失望し,終盤思い切った行動に出る.完全に裏切られた語り手が,今やむらさきの女の立場にとって変わったかのようなラスト.じわっと怖いです.
投稿元:
レビューを見る
本書のなかばくらいから、むらさきのスカートの女ではなくあなたの正体は誰?何?と色々考えて一周した感じだった。むらさきのスカートの女を権藤チーフが観察していて、権藤チーフを読者が観察しているという構造にエンターテイメントを感じた。
投稿元:
レビューを見る
いつもの今村夏子作品通り、着地点の読めない先が気になる展開。だが、過去作に比べて心がざわつかなかった。特に不穏な空気を感じることもなく終わりを迎えてしまった。わりと序盤で(あ、こっちの人がおかしいパターンね)となってからは新しい展開はなかった。結構エンターテインメント性の強い作品だった。
著者のファンだし、今作も面白かったが、正直これが芥川賞?と思ってしまった。著者の他作品はもっと面白い本があるだけに、このタイトルで芥川賞を獲った(獲ってしまった)のはなんだか残念に感じてしまう。
投稿元:
レビューを見る
清掃。仕事。コミュニケーション。
芥川賞。
むらさきのスカートの女を見つめ続ける黄色のカーディガンの女。
でも色味とかはそれほど出てこない。
投稿元:
レビューを見る
友達になりたいけど声をかけられずいきなりむらさきのスカートの女に突っ込んでいって肉屋のショーケース破壊するドジっ子のお話!かと思ってニヤニヤして読んでたらとんでもない。一気に読み終えてしまった
投稿元:
レビューを見る
不思議な話だった。「紫のスカートの女」を背後霊のように付きまとう「黄色いカーディガン」の私。
どちらかと言うと、その私の生活が詰んでいるような感じで、紫のスカートの女がだんだんまともに見えてくる。どちらにも大して感情移入出来ないままだったけど、続きが気になってつい一気読みしてしまった。
昔、同僚を殺して、顔を整形したりしながら長年逃げていた女性がいた。事件の起こった当時、その被害者の服等を身につけたりしていたと何かで読み、不思議に思っていた。
ただ嫌いで殺した訳ではない。
憧れの混じった憎しみみたいなものか。
一番近いのは支配欲なのだろうか。
ところで、備品を持ち出していたのは結局誰?私?
投稿元:
レビューを見る
近所に「紫のスカートの女」と呼ばれる女がいる。彼女は呼び名の通りいつも紫のスカートを履いていて、商店街の人波を泳ぐようにすり抜け、行きつけの商店街ではクリームパンをいつも買う。それをもって行きつけの公園には彼女専用のベンチもある。子供たちは彼女にジャンケンで負けた子が声をかけたり、体にタッチをするという肝試し的な遊びが流行っている。そんな彼女は【私】の姉や、小学校時代のハーフの友人、身近にいたはずの誰かに似ている。彼女と仲良くなりたい【私】は職を転々としながら暮らしている紫のスカートの女に自分の働いている職場に働きに来るように様々画策をする。その頑張りで、なんとか遠回りしながらも同じ職場で働くことになった紫のスカートの女は、最初こそ躓いたが、少しずつ頑張りを認められていく。しかしそのいい流れはゆっくりとおかしな方向へ流れていく。そして招かれた結果に【私】がとった行動とはーーーー。
今村さん初読み。
やわらかくて、読みやすい文章はなんだか可笑しみも注入されていてふわりと不思議な世界に足を半分預けているような感覚になった。お話し的には気持ち悪さとか、痛さとか、切なさとか、ホラー感とかが詰まって詰まって、瓶詰めされて、ふふふと笑いをかみ殺すような気持になった。
投稿元:
レビューを見る
のっぴきならない状況の自分自身はそっちのけで、むらさきのスカートの女の観察者に徹する主人公。
どれだけ執拗に観察したとて、視点と思考回路が独特だから、こちらとしてはどう捉えていいのか判断がつかない。
これ、笑っていいんだろうか…と訝しみながら、あやふやなまま笑ってしまってた。
違うタイミングで読んだら、また全然印象が変わりそう。
ある箇所の言い回し、南キャン山ちゃんの声で再生された。
投稿元:
レビューを見る
大人にも子供にも、近所の皆にその存在を知られている「むらさきのスカートの女」。肩まで伸びたツヤのないパサパサの黒髪、いつも紫色のスカートをはき、週に一度商店街のパン屋でクリームパンを買い、公園の一番奥のベンチに座ってパンを食べる。
そんな彼女を密かに観察する「私」。彼女が気になって仕方がない「私」は、彼女と友達になるためある策略に出て、まんまと同じ職場で働くように彼女を仕向けることに成功し、その日常を観察し続ける。
「私」目線で語られる「むらさきのスカートの女」の日常。当初奇異な存在と思われた女が職場の仲間に溶け込んでいく姿を見るにつれ、逆に浮かび上がってくるのが「私」の狂気。「私」が「黄色いカーディガンの女」として輪郭が露になるとき、「私」目線で読んできたこちら側の足元が揺らぎだす。
今村さんらしいどこかねじれた感じの物語は最後まで不安定で、どっちが正しくてどっちがおかしいのかわからなくなる心許なさが付きまとう。
そもそも、正しい正しくないはそれぞれの目線によって自在に変化するものだということに気付かされ、言いようのない不安感がもたらされる。
だけど、そんな作風がクセになり、また今村作品を読んでしまうのだろうな~
投稿元:
レビューを見る
街をふらつく変人、「むらさきのスカートの女」をストーカーする、「わたし」の話。
むらさきのスカートの女みたいに、
勝手にあだ名をつけられて、勝手にジンクス背負わされて、勝手に有名人になって、からかわれたり冷ややかな目で見られたりしている人、どこの街にもいると思う。
でもそんな奇人に憧れてストーカーする主人公はもっと変、というか、イカれていました。
話したこともない同姓を追いかけたり、自分と同じ職場に務めさせるために切磋琢磨する姿が淡々と描かれています。
中身があるような、ないような。おやつ感覚で読める一冊でした。