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いつも紫のスカートをはいた女の人がどういう人物なのか。をおいかける女視点で描かれている。(←この地点で地味に怖い)人間の豹変していく様がじわりと怖く感じる作品。登場人物みんなキャラが濃く、紫のスカートの女の変?さが、そこまで際立っていなかったかも。それより、紫の~を観察してた権藤さんの方が怖い(笑)
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むらさきのスカートの女と黄色いカーディガンの女の話。
むらさきの女と友達になりたいと思いながら、就職先まで誘導して結局友達になれずに終わる。
しかし奇妙なお話でした。そしてむらさきのスカートの女はとても面白かった。
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権藤さんコワいよ!
いつも一人称の主人公がどこか平衡を欠いていて読み進めていくとその周りの人物よりもなんだか毀れている感じが不安感と不安定さを醸し出していて落ち着かなくなりますね。ヤケに存在感のある歪なキャラがユニークで好き。
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読み手の平衡感覚を失わせるというか、産毛をそっと逆なでする、というか、とにかく「心ざわつき小説」を書かせたら今村夏子が天下一品だろう。
小学生たちからからかいの対照にされるほど街で有名な「変わった女」を、執拗に追いかける「わたし」。
なぜそんなに固執するのか。なにが目的なのか。おかしいのはむらさきのスカートの女なのか、わたしなのか。
軽やかな文章でおかしな女のこだわりをコミカルにつづっているけれど、実は「変わった人」に対する世間の「常識」の不確定さというか危うさを内包している。あなたは自分のことをまともだと思ってますか。まともってなんですか、という問い。
これを読んで「だからどうだ」というヒトがいるかもしれない。そういうヒトには「だけどそうだ」と答えよう。だけど、そうなんですよ。
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この地味やのに癖が強いちょい怖い人
語り口調で状況説明するような文章
ソワソワしながら読み終える感じも
好きです。
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芥川賞候補になっているのを知り、慌てて購入。
今村作品を読むたび、その不穏さに引き込まれてきたが、「今回はこれまでほどではないな」と読後に思い、ちょっと肩透かしをくらった気がした。が、時間が経つにつれ気になり出す…。「一番おかしいのは誰なんだ?」
むらさきのスカートの女なのか、いや、黄色いカーディガンの女も相当じゃないか?そもそも平気で嘘をついたり不正やいじめまがいのことをしている職場の面々はどうなんだ?
「父と私の桜尾通り商店街」に本作に結びつくような短編があった。この「父と私の…」から作風に明るさやユーモアの色が加わったと感じていたが、その流れは続いているようだ。しかし根底には、多くの人が持つ悪意やエゴが変わらず描かれている。これからどんな物語を読めるのか楽しみだ。
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えー。すごい。「自分はその人」「社会のただのパーツ」という話は遥か昔から使われているけれど、こんなふうに現代にアップデートされたなんて…
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少なくとも古川真人よりも断然読みやすい。話として(つまり、プロットとして)面白い。そのことは言えると思う。
話の筋は、その界隈で「むらさきのスカートの女」として(奇人として)有名な女をひたすらストーカーのように観察する女性目線の話。その観察の徹底ぶりは異常であり、ついに女を自分と同じ職場に導くことに成功する。ところが、変人奇人扱いされていたむらさきのスカートの女は、職場で気に入られ、だんだんと「リア充」の方向性へ。それを目の当たりにする主人公の女が強くオレンジを噛む場面があったが、そのようにむらさきのスカートの女がだんだんと「普通」の女になっていくことにやや焦りも垣間見えるが、最後所長を突き落としたむらさきのスカートの女を逃す場面は、そうした「普通の生活」が破綻し、自分の元へ帰ってくることを信じて疑っていない。そう実は、語り手の女も同じく「黄色いカーディガンの女」として(おそらく)近所でも知られており、同じような存在と思っていた彼女に近づこうとしていたのであろうか。それともむらさきの女が「普通」になっていく過程を見たかったのか。
前回読んだ「星の子」と同じく、形容や描写に優れているとか、記述の方法に特徴があるとかいう作家ではないのに、あっというまに読者を自分の世界観に引きずりこむのはさすがである。
変人奇人扱いされている人は、本書に書かれたケースのような場合に限らず、例えば学校のクラス内とかにもいる。本書では最初にむらさきのスカートの女がなぜ「有名」なのか、子どもたちのからかいの対象となってしまっているのかについてはそれほど説明されていない。実際、変人奇人扱いされるほどの奇行をしているとも言えないのではないか?それが、だんだんと子供達とも仲良く話し、職場でもそつなくこなせるようになっていく。しかし、そのきっかけは?内面にどのような変化があったのか?何が普通で、何が奇行なのか。何がその両者を分けているのか。むらさきのスカートの女の専用シートは、誰でも座ることとなる可能性を秘めている。怖い小説であった。
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とても奇妙な話だと最初は感じたが
読んでいるうちにむらさきのスカートの女が
どんな人間なのか、語りの女と共に覗き見的な
興味がジワジワと湧いてくる。
むらさきのスカートの女より、黄色のカーデガン
の女の執着と異常性が際立って来て、最後は
むらさきのと黄色の女が鑑合わせの様に入れ替わる。
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今村夏子は「あひる」から注目していた作家さん。
どこにでもあるような日常から、視覚的な違和感と
心理的な不安感を掻き立てる描写が秀逸(と思っている)
いつかは芥川賞間違いないと思っていたけど、
意外と早かったのかな。。。
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文句無しの芥川賞。
星の子の方が個人的には好きだが。
設定的にコンビニ人間を思い出しながら読んだ。
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主人公が最後の方まで誰だかわからない。紫のスカートの女もそうとうだが、主人公もかなりのものだった。バスで、肩の米粒をとってあげようと手を伸ばすだけでも、おかしくて笑いがこみ上げて来たのだが、その後の展開がとんでもなくて、電車で読んでいて思わず顔を隠して声を殺して爆笑した。
主人公の主観がどこまで信用していいのか、読んでいて揺らぎ続けて最後までよく分からない。大抵はすんなり信用して安心して読むものだが、ミステリーやサスペンスでないはずなのに、そんな要素が強い。
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近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性のことが、気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で働きだすように誘導し……。
『こちらあみ子』『あひる』『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』と、唯一無二の視点で描かれる世界観によって、作品を発表するごとに熱狂的な読者が増え続けている著者の最新作。
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不思議な物語である。とはいえ、作中で起こっていることにはさほど不思議なことはなく、(癖はあるが)普通の女たちの日常が描かれているに過ぎない。それでも、始まりから不穏さが漂う。「むらさきのスカートの女」は、働いたり働かなかったりで、昼間公園の決まったベンチでクリームパンを食べていたり、人にぶつからずに道を歩くことができたり、何となく変わり者として町の名物のようであり、自称「黄色いカーディガンの女」であるわたしは、彼女と友だちになりたいがためにあれこれ策を弄するのである。むらさきの女=変人、と思い込んで読み進めるのだが、ふと立ち止まると、ほんとうに変わっているのは別の人のように思われてくる。その視点の切り替わり方が不思議さにつながるのかもしれない。自分の目が信じられなくなるような……。むらさきのスカートの女を描いていると見せかけて、実は別の人のことをクローズアップしたかったのではないかと、ページが残り少なくなってやっと気づかされる。一筋縄ではいかない物語であり、ラストのその後が気になって仕方がない一冊でもある。
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近所のコミュニティで浮いている「むらさきのスカートの女」と彼女を観察し友達になりたいと思う「黄色いカーディガンの女」,まるでストーカーのような語り手が努力した結果むらさきの女がだんだん普通のラインに近づきつまらない女になっていくことに失望し,終盤思い切った行動に出る.完全に裏切られた語り手が,今やむらさきの女の立場にとって変わったかのようなラスト.じわっと怖いです.
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本書のなかばくらいから、むらさきのスカートの女ではなくあなたの正体は誰?何?と色々考えて一周した感じだった。むらさきのスカートの女を権藤チーフが観察していて、権藤チーフを読者が観察しているという構造にエンターテイメントを感じた。