紙の本
何度でも読んで、何度でも心揺さぶられる
2019/08/02 07:26
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近理不尽な事件が多い。
何の罪もない人や子供たちが犠牲になる。そのことにやりきれない思いを感じる。
一方、事件を起こした人の心の闇の深さに呆然となる。一体どのようにしてその心の闇は生まれたのだろうか。
そんな時、京セラの創業者で現在名誉会長である稲盛和夫氏のこの本を読んだ。
その冒頭にこうある。
「人生で起こってくるあらゆる出来事は、自らの心が引き寄せたものです。」
だから、「心に何を描くのか。どんな思いをもち、どんな姿勢で生きるのか。それこそが、人生を決めるもっとも大切なファクターとなる。」
生きていくことは一筋縄ではいかない。
稲盛和夫氏も今でこそ多くの賛辞を得ているが、そこに至るまでには多くの波乱があったことは、稲盛氏は多くの著作の中で書いている。
そうして、たどりついた思いは、心が持っている強い力。
誰もが稲盛氏になれるわけではないということはわかっているが、少なくとも稲盛氏が教えることを素直に聞くことが、人生を意味あるものにするのではないだろうか。
稲盛氏はこの本で「人生の目的」をこう語っている。
一つは「心を高めること」、これは魂を磨くことだという、そしてもう一つが「利他の心」で生きることだという。
稲盛氏の著作は一度読んでそれで終わりではない。
人は時に傲慢になり、怒り、欺こうとする。だから、何度も稲盛氏の著作を読んで、心をきれいに保つしかない。
稲盛氏は最後に「いまどんなにつらい境遇にあるとしても、それにめげることなく、気負うこともなく、ただ前向きに歩んでいってほしい」と書いている。
きっと多くの人の心に届く言葉であるだろう。
紙の本
「心」に論点をしぼった本
2019/07/19 17:39
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しおかぜ - この投稿者のレビュー一覧を見る
稲盛和夫氏の著作は、書籍ごとに内容の重複もあるものの、膨大である。この本も、これまでの書籍とエピソードや内容がかなり重複しているが、切り口としての「心のあり方」から再構成されており、その意味では新鮮であり、かつ大変理解しやすくなっている。
私も会社員として働いていると、働く意欲を失うようなことも多いが、稲盛氏の著作を読むと、前向きな気持ちに切り替わることができる。それだけでも、この本の価値がある。
電子書籍
心を高める
2022/01/12 09:20
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:sas - この投稿者のレビュー一覧を見る
稲盛さんの本には、必ず「自分の心を高め、利他の心を持つことが大切である」と書かれています。読んだ時は、その気になるですが、段々と忘れてしまいます。
忘れないように、いつも心の真ん中に置いておけるように心掛けることが大切だと思います。
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投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この解説を読んだだけでも、日々失敗した時にも、いつまでも引きずる事なく切り替えていった方が良いと学べた。今、ちょっと後悔することがあったけど、切り替えていこうと思えた。
紙の本
稲盛さま
2020/03/09 21:43
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:masa - この投稿者のレビュー一覧を見る
非常に興味深く拝読いたしました。
私の人生の大きな指針の1つとなりました。
また、再読してみたいです。
なんとか家族にも読んでもらえると嬉しいです。
電子書籍
繰り返し読みたい
2019/07/06 08:16
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投稿者:かのま - この投稿者のレビュー一覧を見る
読むたびに納得します。そして、読むたびに、前回とは違ったところに興味を持ち、違う感想を持ちます。そのときの自分の気持ちとか、人間関係や仕事の状態などが影響しているのでしょうか…。だから、1回だけの読み捨てではなく、繰り返し読むことができるように、購入して、手元に置いておきたい1冊です。多くの方に読んでほしいので、お勧めします。
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良いことも悪いことも
全ては自分の心が招くこと。
正しい心、利他の心を持って
不撓不屈、ネバーギブアップで
ひたむきに努力する。
心を磨き、他に尽くすこと
忘れていた大切なことを改めて
思い出させていただきました。
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より良き人生を送るための、究極の極意を示した本。
すべては心に始まり心に終わるというシンプルな考え方であり、非常に納得できる内容であるが、これを継続して実践するには極めて大変な事であり、相当な忍耐力が必要と感じた。
損得ではなく自分が正しいと思う事をやる、なかなか難しそうだが実践していきたい。
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いつ読破しても、稲盛和夫氏の境地にはなれませんね。学ぶべきバイブルです、一度お元気なうちにお逢いしたい方です。⭕️
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稲盛さんの「生き方」に続く二冊目を読了。
この本を読んだ人には、書いてあることがある意味で化石化した考えだと思う人も中にはいるかもしれません。しかし、私は日本人として働くうえで、大切なことはいつまでも変わらないのだろうな感じました。
「利他」の心や「駄目だと思った時が仕事の始まり」という考え方は大切なことを思い出させてくれました。
「人間として何が正しいか」ということを常に頭において、過ごすことがさらに重要になってくるのではないかと感じました。
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行き着くところまで行き着いた感がある。内容には新しいことはないが、語り方に衒いがなくなっている感じ。船井幸雄と近しいものがあるような。思想としては取り立てて難しいことはないが、ある意味ではとても厳しい教えである。運命自招ということは、全てが自己責任というか、因果応報ということなのだから。著者の生き方はまさに誰にも負けない努力で成り立っているが、誰でも真似できるものではない。
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稲盛和夫さんの「生き方」に非常に似ている内容だと感じた。
人生の目的は心を磨くこと。
利他の心で、自分磨きを怠らず、
自分が正しいと思う選択をして、
人生を切り開いていこう。って感じ。
個人的には、TED の
There is more to life than being happy
の方が心に刺さった。
これから生きていく中で、自分の想い、言葉。
何気ない1つ1つの言動に注意しようと思った。
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所謂啓発系の本道のような内容
でも、いちいち納得してしまう。
道徳の教科書みたいな内容。
でも書かれてあることが絶対的に正しいと
思ってしまい、ほぼ宗教の世界かと
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書かれていることは非常にシンプル。
自己啓発書に言及されていることが書かれている。
しかし、稲盛和夫の実績に裏付けがある分だけ重みが違う。
・利他の精神を持つ
・動機が善であるかが判断軸
・裏にあるのは心のありようがすべてを決める。
動機が善であるかという点はギリシア哲学の真・善・美に通じる考えにも思える。
精神の修養、経験から導かれ辿り着いた境地という点が本書の価値を高めている。
過去の経験から導かれた点が多いことから稲盛和夫の自伝などを読了して置くと理解が深まる。
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直球で「心。」と題されている。2019年末で長年主宰してきた盛和塾も終了するという稲盛氏の集大成ともいうことができるのかもしれない。いかに「心を高める」ことが重要なことなのかを滔々と述べ、美しい心がよいことを引き寄せると書く。そこには仏教の教えをときに引きながら説明され、論理的な説明は薄いが、自らの経験と結果を通してそれは示されているのだと説く。集大成ということですべてをまとめるというよりも、できるだけ平易に多くの人に自らの考えのエッセンスが届くようにという想いで書かれているように感じる。そのエッセンスは次の通りだ。
「いま多くの人たちに伝え、残していきたいのは、おおむね一つのことしかありません。それは、「心がすべてを決めている」ということです」
そして、すべてのことが自責によって起こっているものであるのだから、それは受け入れるべきものであり、さらに心を高めるための切っ掛けにすべきものなのである。
「人生とは心が紡ぎだすものであり、目の前に起こってくるあらゆる出来事はすべて、自らの心が呼び寄せたものである」
さて、この本を読んで何を思ったかというとックス・ウェーバーの古典『プロテスタンティズムと資本主義の精神』いわゆる『プロ倫』のことだ。「心」が大切だという稲盛氏の言葉が、プロテスタントの教えが資本主義の発展につながったと論じた『プロ倫』に書かれていることとを現代において示していると感じたのだ。『プロ倫』でウェーバーは、利益を求める活動が市場で調整されて発展するとされる資本主義が、自らの利益のために活動することを是とするような考えの下ではなく、逆に禁欲的なプロテスタントの社会で発展したことについて、その禁欲的な教えこそが逆説的に資本主義の発展につながったということを示した。
「自分が持つ才能や能力は、けっして自分の所有物ではなく、それはたまたま自分に与えられたものにすぎない。私がやっている役割を他のだれかが演じても、何ら不思議はないし、私の能力も、私のものでなくてもいっこうにかまわない。だからこそ、それを自分のためだけに使うのではなく、世のために使うようにしよう - そう考えるようにしたのです」
上記の考えは京セラが上場を果たし、多額の財産を手に入れたときに稲盛氏が考えたことだという。全員が自らの利益を求めて行動することで資本社会が発展するとした資本主義の理論とは異なり、禁欲的な考え方こそが資本の再投資を促し、価値の蓄積に努め、資本主義の発展につながった、というのが『プロ倫』の分析である。稲盛氏のここでの考え方は、まさにその考えと相同ではないか。
特に次の言葉は、『プロ倫』の鍵となる「天職」の概念にも結びつく。「天職」は神により与えられたものであり、人々の義務はその「天職」を通してできる限り多くの貢献を行うことであり、利益が世の中の役に立ったことの証拠ともなるという考え方である。
「私たちが自分のものと考えているものはみんな、現世における一時的な預かりものにすぎません。また、その真の所有者がだれであるのかを私たちは知る由もない。そうであるからこそ、私たちはそれを自分のためでは���く、世のため人のために使わなくてはならない」
プロテスタントの基軸となるカルヴァンの予定説は、ある意味で神の超越を示すもので論理的な教えであるが、一方でキリスト教徒を不安にさらすことになった。なぜなら、この世で功徳を積むことで天国に行けるのではなく、天国に行けるかどうかはすでに決まっている中で日々教えに沿って行動せよというものであるからである。
その中でプロテスタント教徒は、自らに与えられた「天職」を一心にこなして社会に貢献することで、そういうことができているという事実が自らが神に選ばれたものであることを示すものであると考えることで心の平安を手にしたのである。天職への没頭によって「魂を磨くこと」こそ、予定説によって不安に苛まれることとなったプロテスタントが一心に行ったことに他ならない。そして、だからこそその仕事への打ち込み方は際限がなく、これだけ儲かったから十分だとするのではなく、またその利潤を放蕩するのではなく、次の投資に回して事業を大きくすることにつながったのである。
本書の中の次の文章は、まさしく『プロ倫』の「天職」の概念をそのもののように写し取ったかのようである。
「このように、目の前に与えられた仕事を懸命にこなすことが、何にもまして心の修養となる。日々の労働によって心はおのずと美しく磨かれ、人格は陶冶されていくのです」
「天職」という言葉は、勝ち目の薄い業界の中で驚異的な成功を収めたナイキ創業者フィル・ナイトの自伝『SHOE DOG』にも出てくる。利益の追求よりも「天職」が大いなる成功につながることが示される。フィル・ナイトは自著の最後近くで次のように語る。
「20代半ばの若者に言いたいのは、仕事や志す道を決めつけるなということだ。天職を追い求めてほしい。天職とはどういうものかわからずとも、探すのだ。天職を追い求めることによって、疲労にも耐えられ、失意をも燃料とし、これまで感じられなかった高揚感を得られる」
フィル・ナイトは靴という「天職」を見つけたことによって、彼自身の欲望の枠を超えてナイキという会社を大きくすることができたのである。
2007年5月に資本主義の私欲の塊が渦巻くような東京証券取引所で稲盛氏は次のように語ったという。こちらの言葉も本書の内容とほぼ同じであるが、より一層『プロ倫』との内容の相似性がよくわかる。
「『半導体が勃興していくには、ある人間が必要だった。たまたまそれが「稲盛和夫」であっただけで、ほかの存在が「稲盛和夫」と同じ才能を持っていれば、その人が代行していてもよかったはずだ。私が一介のサラリーマンであってもおかしくはない』
つまり我々が生きている社会は、壮大なドラマだと思うのです。劇場です。その劇場で、たまたま私は京セラという会社をつくる役割を担い、京セラという会社の社長を演じることになった。ただし、それは『稲盛和夫』である必要はなく、そういう役割を演じられる人がいればよい。たまたま、私であっただけなのです。
今日は主役を演じているけれど、明日の劇では別の人が主役を演じてもよい。にもかかわらず『オレが、オレが』と言っている。それこそが、自分のエゴが増大していく元にな��ように思うのです。
自分の才能は、世のため人のため、社会のために使えといって、たまたま天が私という存在に与えたのです。その才能を自分のために使ったのでは、バチが当たります。エゴを増大させていっては身の破滅だと思った私は、それからエゴと闘う人生を歩いてきました」(2007年5月 稲盛和夫 東京証券取引所にて)
引用元: https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00124/00016/
稲盛氏と『プロ倫』の違いは、プロテスタントの世界では宗教とその道徳がその行為の必然性を一定程度保証をしていたが、現代においては宗教はそのような形では働かないということである。したがって、稲盛氏の言葉が宗教に近しい色を帯びるのは必然のことのように感じる。それは、自らの心を高めるだけではなく、周りも同じように心を高めることを要求する。
「十分に魂が磨かれ、清らかで美しい心で生きているならば、まわりにいる人の心も同様に美しくなっていくはずです。そうならないとしたら、まだまだ自分の心の”修行”が足りないせいだと思わなければなりません」
その結論として、稲盛氏の考えの下にあっては、従業員を大切にするが、その従業員は同じように高い心を持っていなくてはならない。言い換えると「信者」である必要がある。救われるのは、彼らが信者であるからである。本書の中でも悪しき心を持つ人にはかかわらないのが最善の策とも言い、結果、信者であれば救われるというものである。
「京セラが株式上場を果たし、思いがけない大きな資産を持つにしたがって、私は少なからず戸惑いを覚えるようになりました。そこで、財産とはけっして自分個人の持ち物ではなく、社会から一時的にお預かりしたものにすぎないと思うようにしたのです」
上記は、正しく資本主義の精神として、プロテスタントの資本家が当初持っていた心意気でもあった。
「本書で再三述べてきたとおり、人生は心のありようですべてが決まっていきます。それは実に明確で厳然とした宇宙の法則です」
いわゆるそれが「宇宙の法則」であるわけはなく、そもそも人生のすべてが心のありようで決まるようなものではない。「宇宙の法則」だから正しいというのでは循環論法だと言われても仕方がない。「生存者バイアス」というものを知っている人は、多くの失敗者の中でたまたま成功した人の経営ポリシーがこうだったということだと諒解するものもいるかもしれない。しかし、京セラを起業してグローバル企業に成長させ、第二電電を成功させ、JALの再生まであの短期間で成功させた実績について、それをもってたまたまであるとかその教えを「生存者バイアス」の結果であるなどとするべきではないだろう。さらに「心」について考えを進めるといくつかのことがわかる。
「いかなるときも自分の心を美しく、純粋なものに保っておくということが大切です。それこそが自分の可能性を大きく花開かせる秘訣であり、幸福な人生への扉を開く鍵なのです」
「美しい心」とはいったいどういうものを指すのか。「美しい心」を、「私心のない心」と言い替えてもおそらく大きな間違いはないだろう。では、「私心のない」とはどういうことか。「善なる動機」=「利他の精神」と言ってよい��ではないだろうか。
「利他を動機として始めた行為は、そうでないものよりも成功する確率が高く、ときに予想を超えためざましい成果を生み出してくれます」
なぜ「利他を動機として始めた行為」は成功率が高いと言えるのだろうか。正に、ここでも『プロ倫』での分析がその理解に役に立つ。
利己的な経済主体が自己の利益のみを望んで市場で行動することで全体的な最適化が実現されるという資本主義社会が利己的である程度先進的でもあった中国を始めとしたその他の地域ではなく、利他的ですらあるプロテスタントの社会で逆説的にまず実現されたのか、を説明したのが『プロ倫』であった。まさしく、利他、ときに社会の発展を目的とした場合それは、利潤はその目的の達成のための手段となり、利潤の蓄積自体が目的となる。それ自体が目的となった利潤の追求は留まるところを知らず、予想を超えた成果をもたらすことになる。
稲盛氏の考え方が宗教的かと言われれば、「宗教的」とは何かという問いはあれこそすれ、おそらくは間違いなくYESと言ってよいだろう。それが、実利的で世俗的なビジネスと結びつかないのかと言われると、答えはそれどころではなくだからこそ成功したのだと言うことができるのである。
それは、ここで見たように資本主義の誕生の頃から、動力として思想があり、よくありたいとする心による際限のない達成があるからである。信念と言い換えてもよいかもしれないが、いわゆる利己的ではない心が、結果として資本主義社会における成功をもたらすのは、意外なことでも、その信念が美しいために天が味方をしてくれるからでもないのである。その集団が合わせて同じように心を高めることができるのであれば、成功は当然の帰結となるのである。
「人生の目的とは、まず一つに心を高めること。いいかえれば魂を磨くことにほかなりません」
そして、信じるものは救われていくのである。
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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4003420934
『SHOE DOG』(フィル・ナイト)のレビュー
https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4492046178