紙の本
ありそうで、ない本
2019/11/24 17:12
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:makiko - この投稿者のレビュー一覧を見る
愛する意味を知りたいと思っていたところ、どんぴしゃりの題名の本だったので買いました。愛されるのを待つのではなく、自分が積極的に人を愛することの大切さを伝えてくれる本でした。
投稿元:
レビューを見る
この本を簡単にまとめると「愛されるよりも愛したいマジで」。やはり松本隆はスゴイです。でも松本隆がkinki kidsに歌わせた事を、今、ぜひ伝えなくては、と思ってこの新書を書いた上田紀行もエライです。今こそ行こう、生産性という打算の向こうへ!
投稿元:
レビューを見る
読んでいる途中は「ふむふむ、なるほど」と読み進めていたが、読み終わってみると、あんまり心に残ったものが無い。
結局、3ページくらいで終わるような話を延々と引き伸ばしただけなのだろう。
中学受験から大学受験まで頻出の「生きる意味」と同じ著者の作品だけあって、文章はとてもわかりやすく読みやすい。
投稿元:
レビューを見る
愛する意味
著者:上田紀行
発行:2019年6月30日
光文社新書
1990年の著作で「癒やし」という名詞形を世に放った文化人類学者にして仏教徒である上田紀行の最新本。広辞苑第七版にも、「癒やす」はあるが、まだ「癒やし」は掲載されていない(「卑し」は載っている)。この本は、今時の日本の若者が気にする「愛されたい」感覚、言い換えれば、「愛されていないと不安症候群(北原が作った言葉)」に悩む人たちに、文化人類学というより、心理学の対人認知的な切り口でアドバイスを送る生きるための指南書。僕と同じ年のせいか、彼の主張はどれも当たり前に聞こえる。それだからこそ勉強になった。今の若者はそうは思っていないんだな、と。
同じ対象物について、考え方、見方を変えれば、それ以降の自分の行動が全然違ってくるでしょ、解き放たれるでしょ、という説話を随所でしてくれる。自らの体験、2歳半の時に財産を持って家族を捨てて出て行った脚本家の父親、ミステリー翻訳家の母・上田公子との確執、20代での離婚といった個人的な事情を通して買ったっているが、本来なら恨み、後悔するそうした体験も、それがあったからこそ今の自分があるという解釈をして生きている、というのを大きな実例として語っている。
コップに半分の水を「もう半分しかない」と考えるか「まだ半分ある」と思うか。
私たちは愛について相当の欠陥商品。ほとんどの人がゆるぎない自分への自信もないし、見返りを求めずにどれだけでも愛を送るというほどの度量もない。多くの人が愛の不毛を感じているが、そこから愛のある生活をみな立て直していく。
誰の人生にも「神さまの穴ぼこ」がある。病気、家族関係の悪化、社会的騒動への巻き込まれ・・・避けられないが、そこに落ちるおかげで気づきや出会いがある。
恋愛結婚は、情熱がマックスになるのは結婚式と披露宴。愛のエネルギーが高まりフルチャージが近くなると結婚を決断し、ハイパーインルレ化もする。しかし、本来はそこから始まる結婚生活こそが人生の彩りなので、エネルギーを使い切ってバブル崩壊を起こしてしまってはいけない。
日本の伝統的挙式スタイルと思われている親善結婚式が始まったのは明治33年。
人には「人生の癖」がある。「私と世界とは違う」という分断線が入った時、それは生まれる。例えば、弟や妹が生まれて「あなたはもうお姉さんだからそんなふうに甘えないでしっかり」と言われた時。「いつもこう言ってします」「こうするしかない」とやむにやまれずはまり込んでしまう言動にこそ、「人生の癖」が隠されている。恋愛結婚の相手に「こんな人じゃなかったはず」と思うのは、自分自身の「人生の癖」を知らず、自分自身を知らないのに、ぴったりくる相手など見つかるはずがないから。
「この場ではこういう私だけど、家庭の中の私とは違う」「フェースブックではこう書き、子供のPTAのLINEではこう書き、彼へのメールにはこう書く」と人格を使い分けることへの罪悪感のなくなっているかもしれない(→平野啓一郎の「分人」につながる?)
プラトンのイデアは「真善美」。真実の美と��を追い求め続けるのが愛の目標だとした。
男性社会は自分たちが何の命も生み出せないという無力な現実から逃れるため、男性の方を優位にする試みをしなければいけない。
神様は一つの性にのみ産むという行為を授けた。でもそのことをあまり強調すると男性がいじけるので、男性を何かと文化的に持ち上げて女性を劣位においたのだという考えた方がある。
欧米では子供は別部屋で寝かせ、夫婦はセックスを含めて愛の交換をする。横のラインを重要視する。
日本は親子で川の字で寝て、縦のラインを重んじる。
熟年離婚が増えている背景には、社会制度の変化などによって、家庭にあった縦のラインが崩壊し、そこではもう満たされなくなっているという状況がある。
スリランカは、イギリスの植民地であったことから西洋医学もしっかり導入され、しかも公立病院の医療費はタダ。しかし、農村部には徹夜で行われる悪魔払いの儀式が残っている。治療というより、その人が背負ってしまった心の痛手を悪魔のせいにして祓ってしまう儀式。
日本各地にもまだ狂ったように踊ったり、神輿を担いだりする祭りの風習がある。しかし、全体的には祭りが持つ狂気を管理する方向が見え隠れする。狂気を許さない社会は歪んでいる。
テレビで頑固親父キャラのタレントが若者を叱ると、「おじさんだてそんな怒るキャラで儲けているんでしょ」と言う。若者は自分たちを「存在」ではなく、「役割」と考えている。
著者は講演で年配者によくこう言う。「あなたたちの人生の運はもう使い切ったので、のこりの人生は若い人たちにいかに幸せに生きてもらうだけを考えて生きてください」。日本経済があんなに右肩上がりの時代があったこと、そこに生きてきたことは、運そのものだから、もう使い聞いているはず、という論法。
投稿元:
レビューを見る
だいぶ前に読み終わっていたが、何をどう書き残すかにややとまどって、遅くなった。
読みにくい本ではない。
文章は平易。
上田さん自身の体験を交えての議論は具体的でわかりやすい。
たしかに、今の社会の閉塞感を変えるには、積極的に愛することは必要かもしれない。
その愛は、プラトニックなもの、博愛みたいなものから、偏愛、性愛を包含する。
愛に区別をつけられないのはわかる。
どこかで線を引くという行為は、どうしても恣意性を帯びる。
けれど、DVを伴う関係にも愛を認めることはできるか?
では児童性愛は?
これらの場合、愛としては認め、行為としては間違っているとすればよいのか?
なんだかそこがどうしても自分の中でうまく折り合いをつけられなかった。
投稿元:
レビューを見る
■■評価■■
★★★☆
■■概要・所感■■
●感想
○「愛すること」と言うタイトルには当初は大層な印象を持って読み始めた。結果内容は非常に良かった。
○最後の手紙 一歩を踏み出せない人のための文章は、また読みたくなる。
伝えたいことは、繰り返し、自分の言葉で、感情に訴えるようにありありと書く。さらけ出して書くと、こうも響くのかという感じを受けた。
○愛されたいけど愛していない 人が多い。。。自分も含め。と感じる。
●愛は与えたら減るものではなく、増えるもの。お金や物質みたいに、与えた(使った)ら、減るものではない。そこがポイント。愛情はどんどん与えることが幸福につながる。
●承認欲求は他人からの愛を求めている。自分本意ではない価値観。それが感情を不毛にさせるとある。
○ここでの愛はGIVEと読み替えたほうが良いかもしれない。
○今思い返すと、本書は非常に良かった反面、愛の定義が多面的すぎて、愛という言葉の意味にall in one感がある。
○なので、ここで使われている愛という言葉の抽象度を一段具体に進めた言葉で理解すると良いと思う。これにより、ふんわりしたところから行動につながる具体の世界に、還元することができると思った。