紙の本
18世紀から19世紀のドイツを代表する文豪ゲーテの代表作です!
2020/07/24 12:06
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ドイツの文豪ゲーテの代表作です。中公文庫からは上下2巻シリーズで刊行されており、同書はその下巻です。内容は、皇帝の下に仕えるファウストは、メフィストの助けを借りて国家の経済再建を果たします。その後、絶世の美女ヘレネーを求めて、人造人間ホムンクルスやメフィスト達と共にギリシャ神話の世界へと旅立っていきます。ファウストはヘレネーと結婚し、一男を儲けますが、血気に逸るその息子はやがて死んでしまいます。現実世界に帰って来たファウストは、巧みな戦術で皇帝を戦勝へと導き、広大な所領を授けられます。やがて海を埋め立てる大事業に乗り出すのですが、灰色の女「憂い」によって両眼を失明させられます。そしてメフィストと手下の悪魔達が墓穴を掘る音を、民衆の弛まぬ鋤鍬の音だと信じ込み、その時に夢想する幸福な瞬間について「この瞬間が止まってほしい」とも言えるのだと云う想いを抱きながら死んでいきます。その魂は、賭けに勝ったから自分の物だとするメフィストフェレスの意に反して、かつての恋人グレートヒェンの天上での祈りによって救済されていくのです。ドイツだけでなく、今や世界の名作と言われる同書をぜひ、この機会に読んでみてください。
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巨匠ゲーテが言葉の深長な象徴力を駆使しつつ自然と人生の深奥に迫った大作を、翻訳史上画期的な名訳で贈る。読売文学賞受賞作。〈巻末エッセイ〉中村光夫
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https://longtime1116.hatenablog.com/entry/2021/10/16/223856
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ワルプルギスの夜に最愛の女性を救えなかったファウスト。舞台はギリシア神話の色濃い世界へと移ります。全てを見たいと欲していたファウストが盲人と化し、勘違いの上に至上の喜びを感じた結末は皮肉的でもあり、同時に向上心が強く、理想を抱き続けたファウストらしさも感じられます。キリスト教的な価値観で言えば、異教であるギリシア神話の世界との交流やファウストの犯した様々な悪行は救済に値する物ではない様に思えますが、単なるヨブ記的調和としての救済ではなく、ここにゲーテが作品に託した想いがあるのかもしれませんね。
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・眠りは殻、その誘いを振り棄てよ。臆することなく起って進め、世の人々はためらい惑うとも。気高い者が明知と勇気をもって事にあたれば、すべてのことは成就するのだ。
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第一部も含めての感想です。
初読。訳は手塚富雄ので。ファウストが思ったより大分ろくでもない奴で、その上内容も中々ぶっ飛んでるせいで、なんか途中からギャグ漫画みたいに感じながら読んでた。そのせいか登場人物の脳内イメージが漫☆画太郎の絵柄で再現されて困った。たぶん正しい読み方ではない。
まあでも解説で「読み方は自由」と言ってたしこれも正解の一つなのかな?
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厨二病に罹患した自覚のあるものはただちに読むがいい。圧巻のセンス・オブ・ワンダー! 物語の筋の悪さには目をつぶり、裏読みを要するような難解さは専門家に任せ、この大いなる幻想を楽しむがいい。
筋の悪さ。
悪魔の力を手に入れたファウストは欲望の赴くままにそれを楽しみ、時には非道な行いをする。それに悔いることもなく次なる欲望につきすすむさまは、芸術家ならわかる心情というものか。文豪がまれによく持つゲスい感性のなせるわざか、苦い経験などなかったかのごとく生きていく。
第二部は、行間を大いに読めば、奔放に生き、時には幸せを得、儚く失い、時には非道をふるまったファウストの人生模様である。いつとは知れぬ人生の場面をただ見せられる。なぜそういうことになったのか説明されないので、たいそう座りが悪い。壮大な幻想風景に感嘆させられながらも、物語性の欠如を強く感じさせられる。
そもそも神とメフィストフェレスが、ファウストが堕落するか否かを賭けて物語がはじまる。ファウストの血を混ぜたインクで契約書を書かせたにも関わらず、そんな事情を知らぬ天使たちにファウストの魂を天へ連れて行かれてしまう。天使たちの光はイノセントに見守るしかないメフィストフェレスを焼いている。
欲や罪にまみれた人生であっても神は救う。そういうことでいいの?
裏読みとは押井守氏の言葉を借りたものだが、氏曰く、映画は必ず裏読みできるようにあるべきだという。氏の作った映画は全てそのように作っているという。そういうふうに作ってあるからといって面白い訳ではないということだね。
氏の主張ではないが、文学もまた、そうあるべきという風潮があるように思う。あるいは、ない裏もあるとして論ぜねばならないように思う。だが、それはできる人に任せておけばよい。本書について言えば、注釈やあとがきによって、背景や感じ方というものに触れることはできる。無論、訳者の解釈に過ぎない。正解はおそらく著者も持っていない。
マーガレット・ワイスは、マジェーレ兄弟やソス卿の創造にあたってファウストを意識しただろうか。
永野護のFSSは、ファウストに依るところが大きいのかもしれない。
とか思いながら。
どうやら、現代に与えた影響を知ることを、古典を読む楽しみとしてるようだ。