紙の本
ドイツの文豪ゲーテの代表作の上巻です!
2020/07/24 12:02
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、18世紀から19世紀のドイツを代表する詩人であり、劇作家であり、小説家でもあり、自然科学者でもあったヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作です。同氏は、『若きウェルテルの悩み』、『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』、『ヘルマンとドロテーア』などの作品でも広く知られた人物です。同書は、中公文庫から2巻シリーズで刊行されている上巻です。ファウストが悪魔メフィストと出会い、死後の魂の服従を交換条件に、現世で人生のあらゆる快楽や悲哀を体験させるという契約を交わします。ファウストは素朴な街娘グレートヒェンと恋をし、とうとう子供を身籠らせます。そして逢引の邪魔となる彼女の母親を毒殺し、彼女の兄をも決闘の末に殺してしまいます。そうして魔女の祭典「ワルプルギスの夜」に参加して帰ってくると、赤子殺しの罪で逮捕された彼女との悲しい別れが待ってるのでした。同書には、本編の他、解説として「一つの読み方」(手塚富雄氏)が付いています。ぜひ、同書を読む参考にしてみてください。
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あらゆる知的探究も内心の欲求を満たさないと絶望したファウストは、悪魔メフィストフェレスと魂をかけた契約を結ぶ。〈巻末エッセイ〉河盛好蔵・福田宏年
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https://www.chuko.co.jp/bunko/2019/05/206741.html
https://ameqlist.com/sfg/goethe.htm
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老学者ファウストは悪魔メフィストフェレスと「とまれ、おまえはじつに美しいから」と言った時、自分の魂を渡す契約を結ぶ。その代償として若返り、
「さっぱりと知識欲を投げすててしまったこの胸は、
これからどんな苦痛もこばみはせぬ。
そして全人類が受けるべきものを、
おれは内なる自我によって味わいつくしたい。
おれの精神で、人類の達した最高最深のものをつかみ、
人間の幸福と嘆きのすべてをこの胸に受けとめ、
こうしておれの自我を人類の自我にまで拡大し、
そして人類そのものと運命をともにして、ついにはおれも砕けよう。」(第一部PP142~143)
と人生をやり直すことを決意する。しかし、一幕一幕場面が変わり、主人公のファウストは相変わらず、女性の後を追いかけ回し続ける。最後は寄せて返る波の非生産性に腹を立て、海の埋め立てを実行する。そして、立ち退かない老夫婦を焼死させることになりながらも、自身は
『自由な土地に自由な民とともに生きたい。
そのとき、おれは瞬間にむかってこう言っていい、
「とまれ、おまえはじつに美しいから」と』(第二部P568)
と思いを馳せ、亡くなる。しかし最後は、メフィストフェレスとの契約履行のとき、天使たちが突然降り立って、約束を反故にしてしまう。
天使たちは
「どんな人にせよ、絶えず努力して励むものを、
わたしたちは救うことができます。」(第二部P598)
といって、主の救いを歌う。
傍から見て身勝手な物語だと思う。しかし、これは憂いを克服する物語なのだ。老学者の頃のファウストに自殺を考えさしたこの憂いを、悪魔の力を借りながら最後は退ける。ゲーテにとって、この、憂いがどれだけ生命に反するものだったかを察しなければならない。解説文で中村光夫が『ファウスト』のセリフは「作者の体得した人生の真実」と書いていた。それを汲み取る努力が、この読書には必要だ。
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聖書のヨブ記を彷彿とさせる厳かな出だし。失望の賢人ファウストに取り引きを持ち掛ける悪魔メフィストフェレスと彼に見初められた女性に降り掛かる悲劇。森鴎外訳を読んだ事があるのですが、それと比べると読みやすいです。
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知的好奇の執着から悪魔メフィストフェレスと命をかけて契約し霊力を持って突き止めようとする。訳者の解説が嬉しい。2022.3.5
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・老いてはがんぜない子供に返ると人は言うが、そうじゃなくて、老いてこそ神に近いほんとうの子供に育つのですよ。
・霊の世界が閉ざされているのではない。なんじの耳目がふさがり、なんじの心が死んでいるのだ。起て、学徒よ。誓って退転することなく、塵界の胸をあかつきの光をもって洗え。
・精神が一時どんな崇高なところへ舞い上がっても、たちまち物質の垢がこびりついて、それを下へ引き下ろす。いっぺん俗世の宝を手に入れると、より高い精神の宝が幻影に見えてくる。われわれに生命を授ける美しい感情も、地上の冷気にあって、凍てついてしまう。
・悪魔も何物かであらねばならぬ。さもなければ悪魔が存在するはずがないではないか。
・悪魔たちがいるからには、善い霊たちが存在することも、疑いようのないことだから。
・メフィストは、人生の意義の否定とか絶望とかという消極的な形においてではあるが人間に最も関心をもつものである。関心をもつというのは、いくら否定的な形においてであっても、実はその対象と深いつながりをもっていることである。われわれ自身に内在するわれわれへの否定の心理について考えられたい。これは人間を滅ぼしもするが、反語的に人間を促進もしよう。元来切っても切れない人間の内的伴侶である。彼がいなければおよそこの「ファウスト」劇は成り立たない。
・発展は外形にだけあるのではなく、その根源は意欲である。
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こんなに好き勝手やって、最終的に救済されるのは納得いかない
信仰心があればもっと理解できるのかもしれない
グレートヒェンに関しては悲劇っていうかもはやファウストの罪でしょ
親殺させて兄殺して行方をくらませてる場合か?捕まってから助けに行くのはあまりにも遅いのでは?
一部と二部だとまだ一部の方がおもしろい
二部はキリスト教知識に加えてギリシャ神話とか歴史に詳しくなくて読むのが大変だった
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第二部も含めての感想です。
初読。訳は手塚富雄ので。ファウストが思ったより大分ろくでもない奴で、その上内容も中々ぶっ飛んでるせいで、なんか途中からギャグ漫画みたいに感じながら読んでた。そのせいか登場人物の脳内イメージが漫☆画太郎の絵柄で再現されて困った。たぶん正しい読み方ではない。
まあでも解説で「読み方は自由」と言ってたしこれも正解の一つなのかな?
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古典で戯曲というと近頃シェイクスピアを数編読んだという程度のニワカだが、古典で名作といわれる作品らに感じることがないわけではない。必ずしも面白いものではないこと、週刊少年ジャンプ掲載作品のようだということ。前者については戯曲に限らぬこと。後者については、作者が第一に気にすべきは人気であっただろうということである。客が席を立たぬようにすることが第一で、叶うならばリピーターを生産したかっただろうということである。それを由来として、いろいろと雑なところがあるように見える。
『ファウスト』も古典で戯曲だが、第一部を読んだ限りでは前述のようなことはない。雑だと感じないし、面白い。
なぜか第一部の巻末に掲載されている、第二部まで含めた解説によればゲーテは半生をかけてこの物語を綴ったそうで、死の間際にも改稿を施している。重ねた推敲が悪く働かず、作品を昇華させたということか。
巻末エッセイによれば、ファウストの翻訳は森鴎外をはじめ幾つも存在するが、必ずしも読みやすいものではなかったらしい。本書はそのあたりを強く意識して翻訳がなされたということで、そのためだろうか、読みやすいと感じるのは。
さて、本作品にはノストラダムスの名が登場する。ただ一度だが、出生地たるフランスはおろか全世界的にはそうでなくとも、一時期日本人なら誰でも知ってるくらいの著名人たりえたのは、古典名作の権威があったからなのかなとか。
石川賢が「虚無との戦いは空間の奪い合いだ」としたネタ元だったのかなとか。
ワルプルギスの夜の描写は『ベルセルク』の蝕に着想を与えたのかなとか。
ハロルドシェイの呪文はこの辺由来なのかなとか。
思ったり思わなかったり。