リベラル的保守の在り方についての本質だ
2018/04/14 19:12
9人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:日本海 - この投稿者のレビュー一覧を見る
あり得るべきリベラルの本質が良く分かった。マスメディアがこの本を読んで反省してくれればいいけど無理だな。この国のマスメディアは決してリベラルではない。ネトウヨと言われる人(僕もそうだけど)が左翼的言動をする人を短絡的、差別的に国籍がどうのこうのいう人に違和感を覚えながら黙っていたけどバカらしい。リベラル的保守を標榜する枝野の偽善にあきれさせられたし、まっとうな保守の在り方について考えさせられた。お勧めしたい。
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著者の観察、分析は正確で、的を射ている。
我が国の不幸はまともな野党勢力がいないことだ。
しかし、河合栄治郎が出てくるとは思わなかった。
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現代日本で奇怪な言説を振りまく、「リベラル」と称する人々の反知性主義的な主張をあらゆる点から批判した一冊です。私自身も、日々Twitterを見ていて「あのような頭のいい人がなぜこのような陳腐な発言にいいね!をしているのか」といった「リベラル」の知識人たちを見ていて不思議に思ったことから本書を手に取ってみました。本書では、「リベラル」と呼ばれる日本の知識人の言説を取り上げその批判をしています。特に印象に残に残った「リベラル」の言動についての批判は、第4章にある従軍慰安婦に対しての奇怪な議論です。韓国の言いなりになり謝罪をし続けろという「リベラル」の言論を取り上げ、彼らには「和解」の思想が欠けていると著者は説きます。韓国と従軍慰安婦問題に決着をつけ和解することで前に進むことができるのだと。これには納得しました。
そして、もうひとつ印象に残ったのは、日本型「リベラル」の人たちは、共産主義と融和性が高く、共産主義とは如何に恐ろしい考え方なのかその歴史を紐解くことで「リベラル」と共産主義を批判しています。
以上のように難しい内容を一般の人にも分かり易く読み解けるように書かれているので日本型「リベラル」に疑問を持った方にはオススメできると思います。
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いわゆるリベラルを名乗る集団への批判の書。
その基になっている日本国憲法、いわゆる平和憲法の欺瞞や成り立ち、共産主義がもたらす悲惨さや脅威についても平易に解説している。
良書だと思うし広く読まれて欲しいが、もう少し対象を絞るべきだった。
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「リベラル」というと響きはいいが、日本でリベラルを名乗っているのはただの「反知性主義」。
理想というか信条というか、スローガンというか。
それのみを掲げて、過去も現状も顧みない。
なのに、ただリベラルとレッテル貼ると、その言葉から全く違う存在のように周りが勝手に考える。本人もか。
保守、というレッテルもそうだな。別に懐古主義でもなければ軍国主義でも、増してやファシズムでもない。
所謂ストローマン的なことをやりたがるのも、「リベラル」な気がするな。
左翼、についても、「ガラパゴス左翼」とバッサリ。
共産主義が何故ダメなのかに付いても、簡潔に、明快に論じてあって、すっきりした。
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同じタイトル「リベラルという病」で山口真由の本もありますので、間違わないでね。
さて、本書を一言で言えば、
リベラルを自称する彼らの主張は、憲法9条が日本の平和を維持してきたという、日本でしか通用しない「信仰」を中核とし、本来のリベラリズムとは異なる特殊日本的な退化をたどった「ガラパゴス左翼」なのである。という一文(P128)に集約されます。
国家とは自国民のため最大の恩恵を与える国民の信託機関であるという前提に立てば、国家間による限られた資源の奪い合いは必然となり、他国民のためを思って遠慮していればたちまち食いっぱぐれるか収奪されることになるだろう。
つまり、日本国憲法の国際社会の認識は憲法前文で語られる「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という幻想と「いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という勝手な思い込みに彩られた世界観という矛盾を抱えたまま出発している。
本書で取り上げられている「リベラル」=憲法前文というお花畑思考の持ち主(筆者は反知性主義と呼ぶ)ということになるが、さらに始末に悪いのは、「反日」勢力の隠れ蓑としても利用されている点である。
お花畑思考の人はあくまでも個人の理想を追い求めるだけなら害は少ないのだが、知ってか知らずか反日勢力の中に簡単に組み込まれうまく利用される(隣人を信じ切るのがこの人たちの理想なので)存在となり、自国を守ることさえ放棄した「平和憲法維持」が目的化し思考停止してしまい、議論の余地がなくなる。
また、こうした人たちの特徴として、自国には厳しいが韓国にはなぜか物分かりがよく厳しいことが言えない(言わない)という点が挙げられる。
韓国は悪くない、いつも悪いのは日本人だという自虐史観にこだわる傾向も強い。
例えば、韓国の慰安婦問題などは国家間で既に2度にわたり解決済みの問題であるにも関わらず何度も蒸し返す事態が続いているのだが、日本のリベラルは必ず「日本人は過去に冒した罪を永遠に謝罪し続けなければならない」「許しが終わるのは韓国がそうだと認めたときであり、日本ではない」とあたかも韓国の蒸し返しに理解を示す発言を行う。
日本も米国から東京大空襲という無差別爆弾投下や2度の原爆投下という非人道的な行いをされたが(戦後ですら米兵専門のパンパンの存在や白昼強姦での泣き寝入り)、今でも日本人がこのことを蒸し返して謝罪を要求すれば、両国の信頼関係は生まれなかったでしょう。(きちんと言うべきだとは思いますが・・)
お互いに未来に向けて建設的な関係を構築するためには「和解」、相手を許すことが最初の一歩となるはずなのに、韓国は反日を政争の道具として毎度利用するばかりでらちが行きません。
一見韓国に理解を示しながらも、本当は両国の和解を妨げているのがリベラル勢力だという認識はお花畑思考の頭にはピンとこないようです。より正確に言えば、従軍慰安婦問題を解決させないことで、日本人を未来永劫責め続けることが出来るネタを手放さないという韓国の尻馬に乗って。
この辺の背景をわかりやすく解説したのが本書です。
良書ですので一読をお勧めします。
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日本の「リベラル」な政治家の中に、現実的に考えられる人が出てくることを願う。
ソ連の黒いところと言うと、スターリンが思い浮かぶけど、この本の言う通り、そもそも論、親玉はレーニンだし、個人がやったこと云々じゃなくて、共産主義っていう思想そのものにも問題があるってことを改めて実感した。テレビでも新聞でもネットでも、間違った情報、考えに流されないようにはやっぱり「過信と鵜呑みは禁物」だよなぁ~。
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「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義
by 岩田温
何故、私はそうした自称「リベラル」を批判するのか。それは、日本でリベラルを自称する人々の奇怪な主張が、自由の尊重や社会的弱者に対する配慮とは無関係でありながら、リベラルの条件のように語られているからである。我が国の「リベラル」という言葉には、極めて特殊な意味合いが込められている。私はこの日本における特殊な「リベラル」を批判しようというので
全く現実を無視したような奇怪な言説を展開する人々がリベラルを自称することに強い憤りを感じているから、自称「リベラル」を批判するのだ。 日本でリベラルを自称する人たちには、顕著な特徴がある。それは、現実をみつめようとせず、愚かな観念論に固執することだ。極めて反知性主義的な態度だといって
リベラル」は大袈裟な表現で国民を脅す。例えば、集団的自衛権の行使が可能になれば、「徴兵制がやってくる」「戦争がはじまる」という馬鹿馬鹿しい批判があった。だが、現実に集団的自衛権の行使が容認されたが、日本は戦争もしていないし、徴兵制も導入されていない。事実が大切だ。彼らの主張は極端で非現実的な主張であったのである。だが、彼らは自分たちの妄想じみた非難が的外れであったことを反省することは
共産主義が一億人もの人々を殺戮してきたことも決して忘れてはならないだろう。 日本ナチス党などという政党が存在すれば、多くの国民は驚くだろうが、日本では、未だに共産主義社会の実現を夢想する日本共産党が存在し続けて
だが、「リベラル」を自称する人々は共産党に対して極めて友好的で
私自身はテレビを見ると知性が腐食していくと考えているので、ほとんど見ないようにしているのだが、今回、この文章を書くに際して、友人に提供してもらった過去のテレビ番組をじっくりと眺め、驚愕した。こうした番組を客観的で中立的な番組だと思い込んでいては、多くの人は「リベラル」にならざるを得ないだろ
逆に、国家を守る自衛隊の存在が否定されてしまうようなおかしな憲法だからこそ、憲法を改正する必要があると考えている。多くの改憲派も同様に考えているだろ
図書館に籠もり、池上彰氏の膨大な著作群に目を通して、私が思い返したのは、この「鵺」の物語だった。 池上氏の著作の特徴は、一見すると際立った主張が存在せず、全く中立的な立場のような姿勢に終始している点にある。従って、本人の主張がどこにあるのかが判然としない。まるで鵺のように得体が知れないという思いを抱かせるの
熟読すると見えてくる
ところで、池上氏の本を読んでいて気にかかったのが、池上氏がインターネットのユーザーに対してかなり批判的な点で
嘘はつかずに「事実の選択」によって、国民を左に誘導する。それが池上氏の真実に他ならないだろう。奇怪な鵺のような言説は、あくまで中立的であるかのように装うための仮の姿であり、その本性は、視聴者を知らず知らずのうちに左へと牽引するガイド。それが池上彰氏の正体
共産主義思想は、全世界で��億人近くの人々を殺戮した。理想や理念が人を殺すという現実を直視すべきだろ
多くの人々がイデオロギーの犠牲となった。ナショナリズムにせよ、ナチズムにせよ、共産主義にせよ、政治的なイデオロギーは、正義の名の下に人を殺戮する。他者の存在そのものを絶対的な悪と断罪する。我々はイデオロギーから逃れることはできないであろうし、理念を捨て去るべきでもない。だが、それはつねに狂気や凶器となりうるという自覚が伴わなければならないだろ
もちろん、政党の政治理念や個性は複雑で幅が広いものであり、例えば、自民党でも様々な見解をもった政治家が存在し、それが自民党の懐の深さとなって
だが、左翼・護憲派の排除が持ち出されると、それまで小池氏を持ち上げていたマスメディアは、掌を返したように小池批判を展開した。理由は単純だ。マスメディアは改憲勢力を蛇蝎の如く嫌う「リベラル」「ガラパゴス左翼」の牙城だからである。彼らはリベラルを自称するが、リベラリズムとはほとんど無関係だ。彼らの主張は憲法九条が日本の平和を維持してきたという、日本でしか通用しない「信仰」を中核とし、本来のリベラリズムとは異なる特殊日本的な〝退化〟をたどった「ガラパゴス左翼」なので
保守主義とは、一切の改革を排除するような 固陋 な思想ではない。むしろ、改革を歓迎する思想なのだ。だが、改革の進め方は漸進的でなくてはならないと考える思想なのである。何故か。それは人間の理性とは極めて貧弱なものであり、現実は我々の思弁を必ず越えるものであるからだ。従って、全く根本から国家の制度を設計してみようと試みたり、眼前に存在する制度を根底から覆すような革命的な改革には猛烈に反対
我が国では、「憲法九条を守っていれば平和が維持できる」「集団的自衛権の行使容認で徴兵制がやってくる」といった、非現実主義的な「平和主義」を信奉する人々を「リベラル」と呼ぶことが多い。この人々の存在がリベラルだと思われているところに我が国の悲劇があるといっても過言ではない。 実際に、こういう人々の主張は本来、保守の思想に基づいたものでもリベラルの思想に端を発するものでもない。端的にいえば、彼らは保守でもリベラルでもなく愚かなだけである。自国が攻め込まねば他国は攻め込んでこないなどという主張には、何の論理性もない。集団的自衛権を限定的に容認すれば、徴兵制が敷かれるという主張も、あまりに極端
人類の社会は資本主義では終わらず、「共産主義」が到来するというのが、彼らの基本的な世界観なのだ。自由・民主主義社会から共産主義社会への移行を夢見る人々、それが共産党の面々なのだ。この事実を忘れてはなら
一つの理論を狂信する余り、歴史の名の下に数多の人々を殺戮し、あらゆる犯罪を行うこと自体が正義だと居直る。それが共産主義者の正体に他ならない。彼らは純粋であり、正義を追求しようとしているのだろう。だが、彼らが現実世界で行っているのは、殺戮であり、詐欺であり、背信なので
日本の「リベラル」を自称する知識人たちは、共産党に対して極めて融和的な姿勢を示しているが、このこと自体が異常な行為で
その場合、果たして、人間の能力があたかも平等であるかのように、すべての人々に経済的な自由のみを与えたら、どのような結果になるのだろうか。弱肉強食という状況が生まれ、富める者が益々富み、貧しき者が益々貧しくなる状態が永続することになるだろ
何故、右の全体主義、ナチズムを許さないという「リベラル」が左の全体主義である共産主義を奉ずる人々に対して寛容でありうるのだろう