電子書籍
孤篷のひと
2019/12/21 17:03
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投稿者:雨読 - この投稿者のレビュー一覧を見る
小堀遠州の生涯を描いた小説である。
羽柴秀吉に仕える小堀新介の長男に生まれ、後に父に従い秀吉の弟、秀長の小姓として仕えたが秀長が病没し遺領を継いだ秀保も亡くなった後、秀吉の直臣となる。
秀吉の死後は父と共に関ヶ原の戦いで徳川方に付く。
父の死後、備中松山の遺領を継ぎ、作事奉行として多くの普請に携わる。
千利休や古田織部に師事して極めた茶道から建築と造園の才能も発揮する。
その時代背景や、茶の道で縁を得た人物、茶道具の名品や歌などを多彩に盛り込んだ興味ある小説である。
葉室麟氏の生き様と似ているのではないかと感じました。
紙の本
綺麗寂を探求して
2021/04/26 17:11
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投稿者:かずさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
作庭家・茶人大名として有名な小堀遠州の物語り。遠州はその時代を生きた多くの人々と交わり学びながら己の茶の心を探し極め求めた。千利休、石田三成、古田織部、後水尾天皇、沢庵、藤堂高虎、伊達政宗、八条宮、等。昔話を語る様にして作者は遠州の茶の心を探り著していく。遠州の語り「われも生き、かれも生き、ともにいのちをいつくしみ生きようとする心」「・・・・いかなることに出逢おうとも自らの思いがかなわずとも生きる限りは自分らしく生きる・・」「この世の見栄や体裁利欲の念を離れて生きることをただありがたいと思うのが茶」ここに遠州の茶の心があるのか。各章の題名に茶道具・茶室に関する名がついているのも心を探る一助かもしれない。
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作事奉行としての造園家・小堀遠州は知っていたが、利休~織部と続く茶道を受け継ぎ、「天下一」の茶人として名を成したというのは、恥ずかしながら知らなかった。
主人公が晩年に、茶席で過去を振り返りながら、何らかの影響や強烈な印象を受けた人物を語る形で描かれる。
それぞれの人物を語る各章の小見出しは、「茶道具」で名付けられている。
(例)「肩衝」では、肩を張った茶入れの壺「肩衝」に、石田三成の孤独な姿を重ね合わせている等。
各章毎に語られた人物とは、千利休、古田織部、沢庵、石田三成、徳川家康、伊達政宗、後水尾天皇、本阿弥光悦、金地院崇伝・・・
ただそれらの人々は戦乱の世を生き抜き、個性の強い人物ばかりで「天下を狙う茶」であったが、遠州の茶は太平の世を「生き延びる茶」を求めて行く。
(追記)驚いたのは小堀遠州の岳父である藤堂高虎。
戦国の世にあって、浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉、徳川家康など8度も主君を変えていることから、歴史上風見鶏のような批判が多いが、文中で「おれは使えた主君には尽くし切り、一度も裏切ったことはない」という言葉が強烈であった。高虎は使えた主人が死んでやむなく、次の主人へと移ったのが事実である。
そうでなければ、晩年の家康が高虎に対して絶大な信頼を置く訳がない。
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久しぶりの歴史小説。
時代背景や言葉づかいに慣れていないところもあり、読むのは苦しかったです。
茶道家、小堀遠州の生涯を描いた作品。
「泰平」の世の中を目指してきた人です。
自分の考え方を押し付けるのではなく、時の人々との出会いを通して、茶との向き合い方を考えてきた人だと思います。
簡単な生き方ではないと思います。
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茶人であり武人であった小堀遠州を取り巻く人々と関わりを描いた短編集。
淡々と語られる内容に、気持ちが落ち着きます。
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小堀遠州について、知りたいと思って読んだ。
桂離宮の造園を設計したと言われているので、どんなひとなんだろうかと。
時代は、秀吉から徳川家康にうつり、江戸時代の初期の頃。
小堀遠州は、秀長の小姓として仕えるときから始まる。
秀長が、千利休と話している時に、
小姓の遠州は、その会話の中に入ってしまう。
弟子の山上宗二が 太閤の怒りを買うことで、処遇をどうするか
という話で、千利休は平然と「捨て殺し」と言い茶の道のためですという。
遠州は、その厳しさを、しっかりと刻み込むのだった。
遠州は、古田織部に師事することになり、伏見奉行になる。
千利休、古田織部は、太閤に切腹を命じられる。
茶の道を全うするために、死の覚悟を持って立ち向かう。
遠州は、「利休様は、客のためだけにお茶を点てられたのではない。
世間を相手に点てられた。この世が醜い争いの絶え果てた浄土
になるようにとの祈り子こめられていた。」という。
小堀遠州は、茶の心を大切にするが、千利休や織部とは違って、
ヒューマニズム的なところがある。
遠州は「力強きものに屈する生き方はしたくない」と織部にいう。
織部は、遠州に「茶碗を割って金でつげば新たな風合いが見えるが、所詮よくないものは、割ってもどうにもならぬようだ」という。非常にきつい表現である。
遠州は、伊達政宗にも 「退屈な茶」と言われ、
千利休や織部と違って、「業の深さ」がないと言われる。
遠州は、徳川和子に「われも生き、かれも生き、ともに命をいつくしみ、生きようとする心が、茶の心」という。ともに生きることの大切さを語る。
遠州は、織部の娘 ことに対しても、「ひとがこの世にて何をすべきかと問われれば、まず、生きることだ」と強く訴えた。
全く、ストレートで、外連味がない。戦国から徳川の争いのない平和な時代の中で、
まっすぐに答えながら、お茶をたてている。そして、お茶の心を大切にする。
一つ一つのエピソードが、何と無く聞いたことがあるのだが、奥行きのある話に構成されている。
藤堂高虎が、実に豪快な男で、憎まれ役で立ち回ることができる。
御水尾天皇に対しても、平気で脅しをかけ、自ら切腹するという。豪傑だ。
遠州は、徳川の命を受けて、作業をするのだが、
智仁親王から、桂離宮の造園を頼まれるが、遅々として進まず。
これは表立って、できない。庭師 賢庭は、遠州の仕事を手伝うが、
あくまでも、豊臣の恩義があるところがある。そのため、智仁親王の言われることに
対応しようとする。中沼左京、佐助を賢庭の要望に対して、手伝わせる。
時代の微妙なバランスと人の心を組み上げて対応する。
桂離宮が作られる時の時代的背景の中で、作り上げていく。
面白い物語に作り上げられている。
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利久、織部ののち、太平な世の中になる江戸初期まで活躍した小堀遠州の茶人として生涯を名物を段落に見立てて、その名物の所以より生き様がありありと描かれている。時代の移り変わり、価値の移り変わりに、過去を敬い、自分の価値を茶道を通して世の中に伝えた人物として畏敬せずにはいられない。一服の茶に込められた、遠州好みを堪能できる一冊。
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千利休以降、純粋な茶人というより、武士であり茶人という人物が増えた事で、茶という文化が独特の重みを持つ様になったんだと感じた。
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面白かった
戦国時代での茶の道を主題とした物語
千利休、古田織部と異なり、「泰平の茶」を目指した小堀遠州の物語です。
やはり、どこまでが史実でどこからがフィクションなのかわかりませんが、遠州が目指そうとしていたものが伝わる物語でした。
ストーリとしては
戦後乱世の時代、武人でもあり茶人でもある小堀遠州の生涯を語るもので、茶道具にまつわる章立ての、短編連作となっています。
各章で、遠州のもとに訪れる様々な人との会話から、自らの過去の出来事を振り返る形で、石田三成、伊達政宗、藤堂高虎などとのエピソードを語っていく形です。
茶道具に秘められた想い、一つ一つのエピソードがしっかり語られ、その中で、遠州の目指す茶の道がより明らかになっていきます。
「われも生き、かれも生き、ともにいのちをいつくしみ、生きようする心」
「おのれがいかに生きるか」
「ひとはひとりでは生きられぬ」
心にしみる言葉です。
お勧め
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歴史小説で茶道経験者には是非読んで見て貰いたい。読み応えのある作品。
どこまでがフィクションか分からないが、なかなか面白かった。
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大名にして作庭家としても名を残す小堀遠州。
彼を訪ねてきた相手に、往時を回顧する形式の歴史小説。
茶道具が各章のタイトルに付され、茶人としてあるいは作庭に関わった人々との交流が描かれる。
千利休、古田織部、石田三成、加藤清正、後水尾天皇、本阿弥光悦、沢庵、藤堂高虎、伊達政宗等々のエピソード。
彼らの人物評とともに、彼らと交わす言葉に、茶の心が綴られる。
「茶で心を安んじるとは、おのれを偽らぬことだ。ひとは世にある限り、身分や力でさまざまにおのれを飾り立てておる。…そのような虚飾を脱ぎ去り、あるのままのおのれと向き合い、おのれを知ることにほかならぬ…」
「建物や庭の形を見るのではなく、それらを眺めるひとの心を見つめねばならぬと思った。それは、すなわち、茶の心だ」
「恨みに報いるに恩を以てするのが茶の心…」
茶の心、すなわち生き方の指針か。
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戦国の時代を大名として茶人として生きた小堀遠州の半生を描いた物語、千利休や古田織部、伊達政宗等歴史上の人物が遠州の目を通して書かれいる。特に埋火の章は人の思いや儚さが書かれている。
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江戸時代初期の大名茶人、作庭家小堀遠州が、晩年に巡りあってきた千利休、古田織部、石田三成、後水之尾天皇、沢庵、藤堂高虎、伊達政宗らとのエピソードを回想した、葉室麟の心暖まる筆致での時代小説。