紙の本
日本の学問や文学を背負って立つ学生たちに深い感銘と新鮮な驚きを与えた小泉八雲氏による明治期の東京大学での最終講義を含む名講義16篇が収録された貴重な一冊です!
2021/01/10 15:03
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、1800年代の後半に日本にやってきて、日本に魅せられ、帰化して「小泉八雲」という日本名で知られるラフカディオ・ハーン氏による一冊です。同氏は、日本で英語、英文学を講じる一方、日本人の内面や日本文化の本質を明らかにする作品を描き続けた人物としても知られています。同書は、まだ西洋というものが遠い存在だった明治期、将来、日本の学問や文学を背負って立つ学生たちに深い感銘と新鮮な驚きを与えた、東京大学での最終講義を含む名講義16篇が収録されています。生き生きと、懇切丁寧に、しかも異邦の学生たちの想像力に訴えかけるように、文学の価値とおもしろさを説いて聴かせてくれます。ハーン文学を貫く、内なる世界観を披瀝しながら、魂の交感ともいうべき、一期一会的な緊張感に包まれた奇跡のレクチャー録です!
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小泉八雲の講義録。
あの時代の講義録が残ってるってすごくないですか。。。ほぼ受講生の筆記と講義ノートでしょ。。。
しかも小泉八雲の授業を受けられるってうらやましすぎる。
「読書について」なんて少しドキリとしながらも。
最後は、日本語なんだよな。どれだけ海外のものを研究したとしても、日本語がダメだったら話にならないんだろうな。
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『本の内容について独自の意見を表明できない人は、誰であれ、本当の読書をしている人とは言いがたいのである』―『読書について』
小泉八雲がラフカディオ・ハーンという聞き慣れない名前の外国人であると知った時の驚きは、子供の頃に耳なし芳一の話を教科書で読んだ世代には共通の驚きではないだろうか。今時分の子供であれば近所に外国籍の隣人がいたり、同級生に目鼻立ちがすっと通った子がいたりするのかも知れないが、昭和40年代の子供にとって外国とは「わんぱくフリッパー」や「名犬ラッシー」や「じゃじゃ馬億万長者」のような見たことのない国のことで、名前だってサンディやデイジーのような響きがするものである筈で、鎌倉時代の日本の昔話をラフカディオなんて変わった名前の外国人がどうして日本語で書いているのか全く訳が分からなかった。もちろん、そこには子供故のありとあらゆる誤解と偏見が渦巻いていたのだが、そんな驚きのこともすっかり忘れていたいい年の大人がラフカディオ・ハーンが東京帝大で教鞭を執っていたこと、更に後任が夏目漱石であったことを知り、再び驚く。
その講義録があるという。120年前の日本に録音機がある訳はないし、当然本人の残した下書きなのだろうと思って読み始める。ところが、その文章が余りに語りかけるような口調で記されたものであることを知り首を傾げる。大急ぎであとがきを読む。
そこで改めてラフカディオ・ハーンの講義が全て英語で行われていたこと、かつ、ハーンは日本語を解さなかったことを知る。なんとこの一言一句の書き漏らしもないかのように綴られた講義録は、全て当時の学生たちが講義中に書き取った手記に基づくものだというのだ。明治の人はなんと偉かったことだろうか。それとも、当代の学生が試験の前にノートをコピーするような感覚で、お互いのノートを突き合わせ、こう言ってたよな、そうじゃなくてこうだった、というような遣り取りをした結果なのか。それにしてもここに訳出された以外にも数多くの講義の記録があり、後に米国で編集されたとはいえ、綿密な講義録として後世に残す形に仕立てたとは。当時の学生たちの「学ばん哉」という気概にはただただ頭が下がる思いがするばかりだ。
『富める者と貧しい者との差異がひとたび確立されてしまうと、富みかつ力ある者は、残酷で威圧的な存在になる』―『イギリス最初の神秘家ブレイク』
本書がここにある経緯に感じ入っているだけでは勿体ない。ここに書き残されたハーンの言葉は120年の時を経て今に響くもの。世の中というものが巷間喧伝される程には変わらないということか、あるいは人間なんてそうそう変わらないということなのか。いずれにせよ、ハーンの隻眼が物事の本質を的確に捉えていたということ。かくあらねば、と身の引き締まる思いが沸く。
ところで、ラフカディオ・ハーンという名前、どこかで最近聞いたなあと思っていたら、先日観直した映画の「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」でデカブリオを追い駆けるトム・ハンクスの役名、カール・ハンラティ、だった。アナグラムにもなってはいないけど。
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わかりやすい語り口で、断定的に批評していくスタイルは心地よく、また、当時の学生になった気分で読み進めると、明治という日本全体が青年期であったその風景の中にタイムスリップした気分で、通勤電車を一駅向こうまで乗り過ごしてしまうような本。
読書について、娯楽として読む事を諫め、時間つぶし読書の結末は、頭の働きを朦朧とさせるだけと批判している。他方で子供が徹底的に読み込む力があると評価している。少数の精選された書物を精読することの重要性、繰り返し読んで自分のものにする、大事ですね。推奨されていたゲーテの「ファウスト」精読チャレンジしてみようと思いました。
そして昨日、松江市内にある小泉八雲旧宅と記念館行って来ました。素敵なお庭の旧宅と八雲さんの情熱的な活動の歴史が分かる記念館でおすすめです