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凄まじくストイックで目的の為なら、あらゆる手段を考えしかし、無頓着ではなく、限りなく冷静。登山家は、時に修行僧のようでもあり、利己的でもあり。極限に身を置く者の性か。
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山井泰史さんの「垂直の記憶」もぐいぐい来たけど、この本で対象となるポーランドのアルペンスタイルのクライマー、ヴォイテク・クルティカも同じ匂いを感じた。頂上よりも過程を重視する、難しい壁を楽しんだ後の退屈な頂上へのアプローチはマストではなく不要という考え方は、求道的でありながら、傲慢さはあまり感じられないのがこのクルティカという人の特異さと感じられた。たぶん二回離婚しているから、家族から見たら傲慢というか、自分に正直だったのだろうと思うけど、そのシンプルさは魅力的。クライミングの描写も本人が書いていないからこその客観的な視点が好ましい。
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大切なのは、生きて帰ること。
自分が生きていることの尊厳を証明するために、目標はとにかく高く。ただし標高は問題ではなく、ひたすらルートの美しさをひたすらに求める。
彼らにとってクライミングは日常であり「なぜ登るのか?」は、もはや意味をなさない。とにかく「どうすれば美しく登れるのか?」という問いだけが、彼らには重要。
だが、いったん命の危険が迫った時は、法を犯そうが、家庭を壊そうが、仲間が断固進むを言い張ろうが、とにかく直感が働いた時は、退く、かわす、逃げる。
ポーランドの登山家、ヴォイテク・クルティカは、間違いなくヒマラヤに数々の偉大な足跡を残した登山家だが、時に入山許可を得るために堂々と嘘をつき、共産主義政権下のポーランドでは資金調達がままならず物資の密輸に手を染め(そして後にそのノウハウを活かして輸入業で身を立て……しぶとい)、ハシシをがばがばと吸い、仲間との調和ではなく自分の求める「美しさ」と「危機回避判断」をいちばんに信じて、パーティとの決裂を辞さなかったという。
信念を貫いた孤高の人。だから生き残れた、と。山に入れ込みすぎて二度離婚されていますが……
1,000m下まで切り立った岩壁の上、この大きく突き出したオーバーハングを越えないと頂上にはいけない。一方で装備が足りず、うかつに降りることもままならない。唯一の光明、思い切ってランジすれば届くあの小さなホールドに指をかけるには……
そんな極限状態で信じられるのは、結局のところ自分がそれまでに壁の上で積み上げてきた自分の身体との対話の経験値しかない。日和ったら、終了。
そもそもなんでそんな危険なことをするのか、というのは本人とっては当たり前すぎてまったく理解できない問いなのだろう。そうしないと生きている感じがしない、ということ。とにかく「自分の尊厳のために全力を尽くせ。しかしどうにもならない驚異が目の前に感じたなら、躊躇せず退け。命がなにより大事だ」と。
そういえば最近、なんか似たようなことを言っていた奴がいたなと思ったら箕輪厚介氏の「死ぬこと以外は、かすり傷」だった。
だからCOVID-19からは、とにかく必死で逃げていい。空気は読まなくていい。経済なんて無視していい。命が大事。生きるためには知恵をつかえ。結局、自分の尊厳を担保してくれるのは、自分だけだから、なんとでも納得できるはず。
それにしてもクルティカ氏、めちゃんこイケメンですね。
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クライマーとは何かという問いに対して、一つの解であることをはっきりと感じられる良書です。
フリーという言葉にすら縛られず、自由にそして賢く生きる姿がとても印象的でした。